私の仕事を辞める決断について

「焼肉屋を一緒にやらないか?」

2018年9月にその電話はあった。

当時、私は株式会社セブンイレブンジャパンと名前を言えば誰でもわかる会社にいた。仕事内容はOFC(オペレーション・フィールド・カウンセラー)経営カウンセリングを加盟店のオーナー様・従業員さんに行なっていました。
別に仕事も好きでもなければ、嫌いでもない。
でも、鹿児島東地区のチーム12名の中で、ミスは多いが業務を率先して行なっていた。
そういった意味で、オーナー様からの評価が高く、上司からも厳しい事を言われながらも期待されていた。


「おぎさんのおかげで売場を作れるようになりました。」
オーナー様の奥さんからの言葉です。
僕はいつも本質的な仕事がしたいと思っている。
上司の報告の為に、体裁を整えた仕事ではなく、お客様がいつ来ても喜んで頂けるお店作りの為に日々奮闘していた。
朝の9時から翌3時まで仕事した時もある。
通常業務が21時過ぎまで終わらず、それからバックヤード整理、売場手直し、全20ゴンドラの解体及び作成。
そんなこんなで、日々口だけでなく、体を現場に入れながら、周りからの信頼を得ていた。
だけど、予約商品を売らなければならないという業務があった。
おでん、ケーキ、クリスマスオードブル、おせち、お歳暮など…
僕だけでなく周りも疲弊していた。
『何の為、誰の為の仕事を今しているのだろうか?』
『それが一番大切なのか?』
『何を自分はしたいのか?』

話は戻る。
そんな状況の中の電話だった。
「とりあえず、台湾行って話聞きます。」と返答。
9月27日に台湾に行く予定だったが、鹿児島に台風直撃で仕事が行けず、
2018年11月10日〜12日に台湾に行きました。
高級焼肉店2店舗に行き、夢について語り合った。

即決は出来なかったが、それから2週間自問自答した。
周りには相談出来ないし、する事でもない。
僕には24歳の時に描いていた夢・希望があった。
それは33歳までに飲食店経営か独立して仕事をしたいだった。
当時の年齢が32歳で翌年の8月には、決めていたはずのゴールに近づく。
このまま、仕事を続ける事は当時仕事に悩みながらも、前に進み、転職を決断した時の自分へ嘘を付く事になるんじゃないのか?
その気持ちを僕が書き記した『夢ノート』を見ながら考えた。

「仕事を辞めて、台湾に行こう。」
自分自身での開業にはならないが、そこに近づくチャンスだ。
①大学新卒で働いた会社での食肉の知識×②飲食店広告でのアピール・企画力
×③コンビニエンスストアで学んだ経営・スタッフ教育
と経験値が上がった今なら出来る気がする。
金もなくなる、地位も名誉もなくなるが、あの頃の自分と向き合おう。
会社を辞める決断をした。

2019年1月31日まで最終業務と引き継ぎを行い、2019年2月21日付で退職をしました。

退職と同時に、ホットペッパー北九州飲食時代のクライアント先である焼肉屋の店長に指導して下さいというお願いをしました。
その店舗の親会社である北九州市の食肉センター(屠畜場)に併設された株式会社ハマダを紹介して頂き、アルバイト(修行)を始めました。

思いのほか、解体の場所を覚える事、筋取りが難しかった。
そんな中、その会社で一番お世話になっていた部長の春山さんに
「スーパーにアウトパックで出す牛肉の焼肉カットもさせて下さい。」
とお願いしました。
「良いと思う!俺から話を通すから、ちょっと待ってな。」と言って頂き
現場で20年以上働いている山野さんにご指導頂きました。
「やる気あるのか?そんなんで焼肉屋出来るのか?普通だと鶏肉捌く事から始めるのが当たり前だからな。」と厳しくも優しく、自分の為に時間を割いて頂いてくれる人、自分の為に指導してやってくれと言ってくれる人がいる事の有り難みを感じた。
職人の世界ではコツコツ、進むのが当たり前の中、値段も高い牛肉をバンバン切らせて頂いた事、そんな機会を与えてくれた事が本当に有難いなと。

そんな時間を2019年8月31日まで約6ヶ月お世話になりました。

週6日勤務と夜の焼肉屋週3,4日勤務は、会社員時代よりも体力的にキツく、金もない日々でしたが、常に周りの人に助けて頂き過ごせてました。

それから9月オープンの予定が伸びたので、東京・大阪へ1人焼肉ツアーと友人に会いに1週間行ってきて、台湾へ飛び立ちました。

台湾編へ続く。

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