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野球を通じて、日本人に世界と自分自身を見つめて欲しい:国際野球人、茨城アストロプラネッツGM 色川冬馬

※本記事は、台湾のスポーツメディア「運動視界」の彭善豪氏による、茨城アストロプラネッツGM色川冬馬氏へのインタビューを日本語訳したものです。
URL: 
https://www.sportsv.net/articles/100620                     https://www.sportsv.net/articles/100715

 
 世界各国が徐々に入国制限を緩和するにつれて、多くの人々が海外旅行に行き始めている。

 また、かつて台湾球界と縁があった人々も、一人また一人と台湾を訪れている。その中に2018年に「アジアンアイランダーズ」を率いて来台した日本の野球人がいた。当時の彼は17試合の交流試合を通して、選手達に野球選手の舞台は日本、日本のプロ野球や社会人だけでなく、世界中に多くの選択肢と可能性が存在していることを理解させようとしていた。

 彼の名前は色川冬馬。茨城アストロプラネッツの舵取りを担う人物だ。

 2020年に色川はBCリーグ・茨城アストロプラネッツの山根将大社長からGMのポジションを任された。この2年間で色川は多くの実力と話題性を備えた外国人選手を獲得し、また自らが世界を渡り歩く中で築いた人脈を通じて、日本人選手に海外の舞台で戦うための道筋を作っていった。また、チームが2022年に2位と7.5ゲーム差をつけての南地区優勝にも貢献した。

 2年間という短い時間の中で、色川のサポートのもと、茨城アストロプラネッツは既に日本の独立リーグにおいて、チーム独自の特徴と成果を残している。

「より大きな舞台」に向かえる場所になる:色川流交渉術、既定概念の外の舞台へ

「本当にお久しぶりです!」

 5年前、私は色川を球場でインタビューした。当時の彼はチームの監督を務めており、アジアンアイランダーズのユニフォームを身にまとっていた。5年後、色川はスーツに白色のTシャツとスニーカーという出で立ちで、リュックを背負い、機能性とフォーマル感を兼ね備えた服装で現れた。肌色は以前よりも少し白くなり、親切な笑顔と目つきで、どことなくここ何年かで積み重ねたオーラが漂っていた。

 Googleで色川の名前を検索してみると、すぐに見つかるのがセサル・バルガス、ダリエル・アルバレスという、かつてメジャーリーグでもプレーした二人の名前だ。バルガスは2021年のシーズン途中にオリックスに入団し、2022年まで一軍で登板。アルバレスは2021年のシーズン途中にソフトバンクに入団した。

 
彼らのようなメジャーリーグ、3Aでプレーする能力がある選手が茨城でプレーし、その後シーズン途中にNPBのチームに移籍し、より良い給与と待遇を手にしたのだ。中でもバルガスは東京オリンピックのメキシコ代表のメンバーとして、日本戦にも登板した。

 彼らはNPBで輝かしい成績を残していないではないか、という人もいるかもしれない。しかし忘れてはならないのは、NPBのチームに入団すること自体が容易ではないということだ。

 また注目すべきは、彼らは元々メキシカンリーグでプレーし、その後に日本の独立リーグ、そしてNPBでプレーをしたということだ。日本の独立リーグの給与はメキシカンリーグと比較して、大きな差がある。加えてメキシカンリーグでは選手、特にかつてメジャーリーグで一定期間プレー経験のある選手であれば、メジャーリーグ球団の目に留まる機会があるにも関わらず。

「今メキシカンリーグでプレーしている、レベルの高い選手の給与は月給100万円くらいです。もちろん、これより給与が高い、あるいは低い選手もいます。しかし日本の独立リーグでは、外国人選手に支払える月給は30万円くらいで、メキシカンリーグのおよそ3分の1です。」

 
では色川はどのようにして彼らをチームに招き入れたのだろうか?

「私達は彼らと交渉する際、メキシカンリーグのような良い給与条件を提示することはできませんでした。そのため、"ここではNPBの球団に見てもらえるチャンスがある"という点をアピールして交渉を進めました。もちろん、彼らが必ず成功するとも限らないので、私ははっきりと失敗するリスクもあると伝えました。」

 
球団にとって、高いリスクを取って異国で挑戦する外国人選手は、日本人選手にも良い影響を与える。また色川は自らの人脈を生かし、NPB12球団のスカウトに茨城アストロプラネッツの試合を見に来てもらうことで、外国人選手がNPBの球団の目に留まる確率を高めた。

 そして最終的にバルガスとアルバレスの願いは叶い、NPB行きのチケットを手にすることができたのだった。

 
また、日本人選手が茨城でプレーすることで、これまでと異なる舞台へ行くチャンスも生まれている。昨年ドジャースに入団した松田康甫、昨年のドラフトでDeNAから育成ドラフト4位指名を受けた渡辺明貴、WBCニュージーランド代表としてWBC予選に参加した福田夏央がその例だ。加えて色川はアジアンアイランダーズを運営していた頃、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどとパイプを作り、異なるレベルの選手に異なる舞台でプレーできるチャンスを与えることで、選手達のキャリアを継続させることができたのだ。

「日本人選手にとって、学生スポーツという立場から卒業し、選手のキャリアを続けたいとなると、NPB、社会人、独立リーグという3つの選択肢しかないように見えます。ましてやアメリカは遠い夢のようです。しかし、世界から見ると日本の野球レベルは高く、海外のセミプロリーグでさえ、もし外国人選手を獲得して戦力アップしたい球団があれば、良い暮らしができる給与条件を提示してくれます。私は日本人選手に自分自身の価値を知ってほしいですし、自分の可能性を高くも、低くも見積もってほしくないのです。」

 
選手以外に、球団を陰で支えるスタッフも目に留まる機会がある。茨城アストロプラネッツでストレングス&コンディショニングコーチを務めた小山田拓夢は、2023年にトレーナーとして北海道日本ハムファイターズの一員となった。

「この2年間で、茨城アストロプラネッツは最も多くのNPBの球団のスカウトが見に来てくれる独立リーグの球団になりました。私は球団が選手のためだけでなく、全ての野球人がより良い舞台に進めるよう、サポートができる架け橋になりたいと考えています。」

 2005年に元プロ野球選手でオリックスブルーウェーブで監督も務めた石毛宏典は、多くの選手がNPBの球団に入団するチャンスを提供するため、四国に日本で最初の独立リーグである「四国アイランドリーグ」を設立した。17年後、色川は選手とNPBだけでなく、日本の独立リーグの球団と世界を繋げるため、「野球人がより大きな舞台に挑戦できる」環境を作り出そうとしていた。

育成と勝利を追求する環境:監督とコーチの違いを明確に。個人が強くなる=チームが強くなる


 色川は外国人選手の獲得以外にも、日本人選手が新しい舞台に向かう道筋を整えるため、茨城アストロプラネッツを選手が成長できる場所へと変えようとしている。

「多くの人は既にこのような考えを持っていないとは思いますが、昔の名残からか日本の学生野球では、個人のレベルアップとチームの勝利を分けて考える、あるいは監督がこの2つの間でバランスを取ろうとしている場面をよく目にします。」

「おかしいと思いませんか?選手が明らかにレベルアップし、野球に対する思考力が高まっているのであれば、チームの戦力もそれに伴って強化されるはずです。しかし私達は"チームの勝利のために取捨選択し、犠牲を払う"という思考回路から脱却することが難しいのです。」

 
色川は「選手の能力がレベルアップすることでチームが良い成績を残すことができ、またチームが良い成績を残すことができれば、それが選手やファンを引き付ける要素となりチームのレベルアップに繋がる」と考えている。そのため色川は監督、コーチを選ぶ際には多くの精力をつぎ込んでいる。色川はGMとして徹底的に、チームが試合を戦う上で最も重要な「監督とコーチの役割を明確に分けること」に取り組んでいるのだ。

 
色川は「監督は試合に勝つチャンスを高め、チームをマネジメントし、試合の中で判断を下すこと、コーチは選手をサポートし成長を促すことが必要です」と語る。

 
例えばある投手がマウンドに上がり、あるイニングで制球を乱し、連続で四球を出しピンチを迎え、点差も小さい状況とする。この状況で投手交代をするか、続投させるか、2つの選択肢が存在する。試合のためにこの投手を必ず代えなければならないという人もいれば、この難しい場面を乗り越えさせたいという人、あるいは彼の今後を考え、頭の中に上手く抑えられず降板したというイメージを持ってほしくないため、彼に打者1人または2人に続投してもらう、という人もいるだろう。

「毎試合、それぞれの選手が異なる状況を経験します。監督とコーチにとって、重要なのは試合の状況を考えることです。監督は選手の健康や怪我といった特殊な状況に関わる以外の場面において、試合中に"この選手の成長、未来のために"という考えで決断を下しすぎてはいけません。監督の仕事はチーム全体をマネジメントすることです。コーチは選手の成長に重点を置いてよく、試合の状況を把握し常に細かい点に注意を払い、監督へ現状を伝える必要があります。」

「もちろん、選手個人の成長を促しつつ、勝つための方法を考えると口にするだけなら簡単ですが、やってみると難しいものです。しかし茨城アストロプラネッツが7.5ゲーム差をつけて2022年の南地区優勝を果たしたことによって、私達がしたいことは効果があったと証明できたと思います。」

 2022年のシーズン終了後、チームの監督である松坂賢が指導者として海外での挑戦を決めた。色川と球団は新監督を募集することを決め、最後に選択したのはNHKのディレクターという経歴を持つ伊藤悠一だった。

 伊藤は学生時代に野球経験があるものの、慶応義塾大学では競走部に入り、4年時には十種競技でインカレに出場した経歴を持つ。想像通り、この決定には賛否両論があり、周囲からの雑音も少なくなかった。

「実は、野球の監督がしなければならないことは、ディレクターの仕事と多くの共通点があります。これは野球界における挑戦であり、化学反応を起こしていきたいのです。」

 多くの人がこの取り組みを興味深く見守っているに違いない。なぜなら野球は元々失敗する確率が高いスポーツだからだ。しかし本当に変化が起こるとするなら、どのような光景になるだろうか?

茨城の次の一歩:日本人に国際的なプロ野球球団を見せる

 色川は選手をNPBの球団に送り出し、玉木朋孝コーチを台湾の統一ライオンズに送り出したように、指導者や野球人を新しい舞台へと進めるサポートを行い、茨城アストロプラネッツを話題を提供しつつ、最も多くのスカウトが足を運ぶ優勝チームに変えた。この2年間で、色川と茨城アストロプラネッツは共に多くの新しい挑戦と変化に取り組んでいるが、彼は決してこれだけに満足していない。

「私達はアメリカの独立リーグと比較して、日本の独立リーグは規模、スポンサーなどにおいて大きく差があることを認識しています。もしチームとして観客を集めることができなければ、独立リーグ全体にまで影響が出てしまいます。」

 もし日本で地方球団を増やすのであれば、どうすべきだろうか?折よく、2022年11月にNPB12球団と日本野球機構はオーナー会議において、野球の裾野拡大を目的に2024年シーズンから新たに2球団の新規参入を認め、二軍公式戦を開催する方針を固めた。現時点では2球団のうち1球団は静岡県を本拠地として、二軍公式戦に参加する方針だ。

 
色川はこの動きを茨城アストロプラネッツがより上を目指すには、千載一遇のチャンスだと考えている。もちろん、多くの独立リーグの球団がこの球団増加案をきっかけに自球団のファンと規模を拡大したいと考えているはずだ。現時点でNPBは新球団公募という形を採り、参入を考えている各球団から提供された資料を元に内部で検討を進める方針だ。

「他のチームと比較して、私達の特徴は何でしょう?」

 色川が考える茨城アストロプラネッツの特色は、彼が若い頃に日本を離れ、南アジア、東南アジアでの指導者を経験し、アジアンアイランダーズを創設した時の思いと同じ―国際的な野球人のように、野球を通じて日本と海外により多くの繋がりを生み出すことだ。
 
色川は今の茨城アストロプラネッツには、日本球界と世界を繋ぐ架け橋になれるポテンシャルがあると考えている。

 
2022年9月、茨城アストロプラネッツはタイ野球連盟と連携。シーズン中にタイでよく目にするトゥクトゥクを導入し、リリーフ投手が登板するためのリリーフカーとなった。球界関係者に対してだけではなく、文化や球団のイベントにおいても、色川はこれまでの国際経験を生かしている。

「私達は野球を通して、日本人に世界と自分の違いを発見し、もう一度日本の価値を認識してもらうことができるかもしれません。」

 
2023年1月、色川と球団社長の山根将大は台湾に飛び、中華職業棒球大聯盟(CPBL)、いくつかの台湾プロ野球球団を訪問。台湾球界とも交流を行い、様々な面白い提携を行う可能性を模索している。

「野球は世界では人気のスポーツではないとも言われますが、野球というスポーツに関わっている国、人口、リーグは日本人が想像するよりも多いのです。海外の多くの野球ファンにとってNPBはトップクラスのリーグで、MLBは言うまでもありません。完全に次元が違うのです。もしそれぞれの地域と国が繋がることができれば、選手や指導者、野球に関わる人や物に対して必ず多くの可能性が生まれ、野球というスポーツの魅力が増すと思います。」

 
また、新型コロナウイルスが流行する以前は台湾の桃園と茨城を結ぶ航空便が就航していた。国境が開かれた現在は、航空会社が直行便の復活に向けて動いており、茨城アストロプラネッツも力添えをしたいと考えている。

自分自身を見つめ直す:海外に飛び出して抱く新鮮な気持ち

 色川は野球を通して海外を飛び回り、コロナ禍においても可能な範囲で海外の選手を迎え入れ、話題を生み出した。各国が国境を開き始めた現在は、コロナ禍により数年ストップしていた「アジアンアイランダーズ」プロジェクトを再度開始したいと考えている。私は色川に何故このプロジェクトを続けるのかと聞くと、色川はたくさんの理由を答えてくれた。その中の一つが、このプロジェクトを行う上で最大の原動力だった。

「いわゆる海外挑戦というのは、外の世界を見るだけでなく、自分自身を見つめ直す旅でもあるからです。」

 色川は「多くの日本の野球選手が小さい頃からずっと日本で野球をプレーし、プロ野球選手を目指しているため、日本の野球界しか見ることができていない」と語る。しかし海外では日本野球のレベルは高く評価されており、日本の野球界で育った人物は日本国内では極少数しかトップの世界に入ることができないが、海外に目を向ければチャンスは想像以上に多いのだ。

「人は海外に来ると、大きい所ではチームメイトや球団とのコミュニケーション、小さい所では日常生活に至るまで、今持っている能力と経験を生かして、あらゆる問題を克服する必要があります。人はその過程の中で、段々と自分が得意な事を見つけ、あらゆる刺激の中で新しい能力を身に付けることができ、メンタルもより強くなります。もちろん新しい考えを受け入れてこそ、こういった能力が身に付くのですが。」

「玉木コーチが台湾で指導者として経験を積んだ後、将来日本球界に戻った時には、彼の価値はより高まるはずです。異国で生きる道を求めることで、野球だけでなく他の分野においてもレベルアップできるのです。」

 長いコロナ禍が過ぎ、2023年を迎えた。国際野球人である色川冬馬はこの2年間で積み重ねたエネルギーとアイデアを引っ提げ、一歩一歩行動を通して目標を実現していく。

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