「星空をふたりで紡ぐ」第23話

 識月の指導が始まってから本日で三日目だ。指導初日に識月と何度か打つと、

「なるほどな。大体課題は分かった。次から本格的に弱点を潰していこう」

 と識月は頷いた。冷や汗をかいて唸っていた大空に比べるとだいぶ頼もしい反応だ。

「次は明後日の十六時から来るといい」

 とのことだったので、二日目は識月と会うことも無かった。識月が指導してくれるとはいっても、毎日朝から指導してくれる訳では無いらしい。大空を見ても分かるが、国家棋士はそこまで暇ではないのだろう。称号持ちに指導してもらえること自体が奇跡のようなものなので、もちろん星河に不満はない。とはいえ、麗奈との勝負まで残りは九日間。その間にどれだけ強くなれるのかと思うと、少し不安は残る。

 気ばかりが焦り、待ち合わせの二時間前には碁会所に着いてしまった。とはいえ碁会所ではほとんど識月としか打っていないため、他の人とも打ちたい気持ちもある。席料を払うと、星河は誰かいないかなと見回してみた。相変わらず人が多い碁会所の中に見知った顔を見つける。初めて碁会所に着た時に禿頭の中年男性と打っていた耳かくしの少女。同年代の女の子を見つけて嬉しくなった星河は声をかけた。

「こんにちは!」
「ひうっ! ……あ、こんにちは」

 声をかけられた少女は怯えるような反応を見せたあと、星河に気付いて笑顔を見せた。

「前にお会いしましたよね? 新開星河です。よろしくお願いします」
「ふ、藤塚ふじつか優花ゆうか……です。あの、この前はありがとう」
「いえいえ。お恥ずかしいところをお見せしました」

 星河は優花を助けたつもりはあまりない。相手の心を折るような碁を打って識月に怒られたのだから、本当に恥ずかしいところを見せた気持ちだ。しかし、優花は力強く首を横に振った。

「そんなことないです。か、格好良かった!」
「……ありがとう」

 優花がそういうのならば、少しだけ救われる。星河は素直にお礼を受け取ったところで、優花に連れがいることに気が付いた。座っている優花の向かいに、十歳ぐらいの少年が座っていた。理知的な瞳をしたメガネをかけた子供だ。少年は礼儀正しく頭を下げた。

藤塚ふじつか善仁よしひとです。姉さんのお知り合いの方ですか?」
「こんにちは、新開星河です。うん、この間、この碁会所でちょっとね。よろしくね」

 砕けた口調で星河が笑顔を見せると、善仁は顔を赤らめた。照れているのだろうか。

「可愛い。優花ちゃんの弟さんですか?」
「うん。あの、私も星河ちゃんって呼んでいい?」
「もちろん! ちょっと響きが似てますよね」
「せいか、ゆうか、あっ、本当だねっ」

 久遠院家を例に上げるまでもなく、日華帝国の囲碁界には同じ苗字の人たちがずらっと並ぶことがあるため、相手を名前で呼ぶ慣習が根付いている。星河としても名前で呼ばれることに慣れているのでありがたい。碁会所にいるということは、優花と善仁も囲碁を打ちにきたのだろう。大空の屋敷で様々な使用人に繰り返し言っていることを、星河はここでも言った。

「あの、打ちませんか?」
「うん、いいよ、打とう!」

 星河の誘いに優花が柔らかな笑顔で応える。善仁に席を代わってもらいながら、ええと、禿頭の男とは四子差ぐらいだったのでまずはそれぐらいの置き石が良いだろうかと考えていると、優花が恥ずかしそうに言った。

「あの、互先でいいかな?」
「もちろん大丈夫ですよ。でも手加減しませんよ?」
「うん、大丈夫」

 前回の対局を見た限りでは互先は厳しそうに見えたが、それでも優花がそう言うのなら星河に断る理由は無い。ニギリで白番になると、挨拶をして対局を始める。

 予想に反して優花は強かった。序盤の段階では優花のほうがはっきりと良い。中盤からは徐々に星河が巻き返してかなりの良い勝負になり、終局までもつれ込んだ。終局後にお互いの地を数えやすくするために整理することを整地と言う。整地してみると、一目半で星河の負けであった。大差で負けた碁を打っていた女の子とは別人かと思うぐらいに強い。

「すごく強い! この間は調子が悪かったんですね」
「ううん、違うの。あ、調子が悪いのはそうなんだけど、そうじゃなくて」
「姉さんは大人の人と打つのが苦手なんです」

 優花の言葉を善仁が引き継ぐ。星河は善仁の言葉を頭の中で繰り返した。大人の人と打つのが苦手。首を傾げながら優花を見る。

「わたし、もしかして子供っぽいですか?」
「あう、そうじゃないの。星河ちゃんはなんというかとても打ちやすいというか」

 慌てる優花が面白くてつい笑ってしまった。

「ふふ、冗談です」
「……もー星河ちゃんひどいよー」

 からかわれたと気付いた優花が頬を膨らませた。囲碁の強さというのは精神面でかなり上下する。大人に怯えて本来の強さを発揮できないということは充分あり得る。星河と話している時はあまり気弱そうな一面は見せないが、打ち解けてくれているのかもしれない。そう思うと嬉しい。

「星河お姉さん、僕とも打ちませんか?」
「喜んで!」

 善仁の誘いに応じてこちらも互先で打つ。驚くべきことに善仁は優花と同じぐらいに強かった。中押しで負けてしまう。これには星河も自信を無くした。

「善仁くん、今いくつ?」
「今年で十歳です。でも気にすることはありませんよ。僕と姉さんは院生なんです。星河さんも充分に強いと思います」
「院生!」

 十歳で院生というのに驚くが、よくよく考えたら大空や識月はそのぐらいの歳には国家棋士になっていたという。囲碁界には星河よりも強い歳下の棋士がごろごろいるのかもしれない。そういえば、棋院の院生ということは義姉の麗奈のことも知っているのだろうか。

「新開麗奈って知ってる? わたしのお義姉ちゃんなの」
「名前は知ってるけど、序列が上のほうだから対戦したことないなあ。私より全然強いもの」

 星河よりも強い優花よりも麗奈のほうが強い。実力差に星河は落ち込んだ。肩を落とす星河を優花が慰める。

「落ち込むことはないよ。星河ちゃんもこれからもっと強くなるよ」
「本当……? 九日後にはお義姉ちゃんより強くなれる……?」

 優花は目を逸らした。それは優花なりの優しさかもしれなかった。

 落ち込んでばかりもいられない。不可能を可能にするために、これから識月に指導してもらうのだ。優花と善仁と打っているうちにそろそろ十六時になろうとしている。そういえば、優花は大人の男が苦手らしいが識月は大丈夫だろうか? 心配になってきた。

「あの、これから、良い人ではあるんですけど、配慮という言葉をお母さんのお腹に忘れてきたような男の人が来るのですが、大丈夫ですか?」
「それは誰のことを言っているのだ?」

 後方から識月の声が降ってきて星河は肝を冷やした。

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