「星空をふたりで紡ぐ」第26話

 麗奈との対決が三日後に迫った朝。久遠院家の屋敷、星河の自室にて知世が唸っていた。

「え、いや、これ、うーん、本当に? いやいや、え、ううううんんんん」

 たっぷりと十分ほど考え込んでから、がっくりと肩を落とす。

「ありません」
「やったー!」

 互先にて知世に中押し勝ちした星河は両手をあげて喜んだ。星河が上手く地を作った盤面を見ながら知世が引いたような声を出す。

「いやー本当に星河様強くなりましたね。ええ、嘘でしょう、一ヶ月でこんなことありえます?」
「皆さんに鍛えていただいたおかげです。そしてわたしは妖怪ではありません」
「それは知っていますけれども……」

 あまりにもよく言われるので先回りしてしまった。確かな手応えを感じる反面、麗奈と互角に打てるかと言われると正直厳しいと言ったところだろう。やはり、今のうちに聞いておいたほうが良いかもしれない。

「あの、知世さん、それでその、賭けのお話なんですけれど」
「ああ、負けたほうは勝ったほうの質問に一つ答える、ですよね。なんでもお答えしますよ!」

 これを聞くのは少しばかり恥ずかしい。何を考えているのか丸分かりだからだ。それでも、なけなしの勇気を振り絞る。

「あの、大空様が今欲しいものって何かあるか分かりますか?」
「……ははーん、ほほーう、そういうことですかあ」

 案の定、知世がからかうような笑みを浮かべる。

「でも、麗奈様との勝負が三日後に控えてるんですよね? そういうことは後で考えたほうが良いんじゃないですか?」
「それは、その、そうなんですけれど」

 だって、麗奈に負けて久遠院家を追い出されたらもう会えないかもしれない。その前に何かお礼をしておきたい。そんな弱気なことを口に出したら現実になってしまいそうで、話す勇気が出ない。

 星河の表情だけで察したのか、知世はそれ以上は深く追求せずに考え始めた。

「仕事は囲碁、趣味は囲碁っていう御方ですからねえ。囲碁関連の雑貨なら喜ぶかもしれないですけど、ちょっと味気ないですよね。あとは大空様が最近気にしていることは星河様のこととか……ああ、そうだ、良いことを思いつきました。こういうのはどうでしょう?」

 知世が星河に耳打ちした。

「ええっ!? ええええええええっっっ!?」

 それは、星河にとってはとんでもない内容で、思わず悲鳴を上げてしまうようなものだった。

   *

「なんだこれは?」

 大空は首を傾げた。大空の自室には寝室が隣接しており、毎日そこに使用人が布団を用意してくれている。早い時間だがそろそろ寝るかと寝室に向かった大空は、布団が二つ並べて敷いてあることに気付いた。

 片方の掛け布団は誰かが入っているような膨らみ方をしている。また知世あたりの悪戯だろう。ため息をつきながら大空は掛け布団を剥ぐようにめくった。

「こ、こんばんは」

 中には寝巻きとして浴衣を着た星河が横になっていた。大空はそっと掛け布団を元に戻した。星河が布団の膨らみに戻る。

 まずは落ち着いて呼吸を整える。特定の呼吸をすることで緊張を緩和するのは大空の対局前の習慣だ。気持ちを落ち着かせてから、改めて掛け布団をめくる。やはり幻ではなかった。星河がいる。星河の顔が見れて頬が緩むのをバレないようにするため、なるべく威厳のある顔を作って問いかけた。

「何をしている?」
「あの、ですね。こうしたら大空様が喜ぶと聞きまして、でも、その、喜びませんよね、あはは……」
「知世の入れ知恵か」
「えっ、なんで知って、あっ」

 失言を誤魔化すように星河が口を押さえた。図星だったらしい。

 大空とて年頃の男だ。気にかけている少女が寝床にいて嬉しくない訳では無い。ましてや婚約者だ。それに、星河が大空を喜ばそうとしてくれたのも素直に嬉しい。しかし、おそらく星河は何か間違いが起こるとは思っていないし、想像すらしていないだろう。そういった少女を騙して寝床に誘い込むのは良心が咎める。

「今日はもう自室に戻れ」

 極めて理性的に星河を促すが、星河はしゅんと悲しげな表情を見せた。

「あの、やっぱり、嬉しくありませんか?」
「ぐっ」

 普段は太陽のような笑顔ばかり見せる少女の落ち込んだ顔が、大空の心を突き刺す。思わず慰めるような言葉を口にしてしまう。

「いや、嬉しい」
「本当ですかっ!? じゃあ今日は一緒に寝てもいいですかっ?」

 星河の顔がぱああっと華やいだ。楽しげに笑う星河の言葉を否定することはできず、大空は「ああ……」と返事するしか無かった。

 大空も布団に潜り込むが、横からの視線が気になって仕方がない。星河のほうを少しだけ見ると、目と目が合った。星河がにへと相好を崩す。

「あの、そっちに行ってもいいですか?」

 まさかこちらの布団に入ってくるつもりか!? 慌てた大空は強く否定してしまった。

「ダメだ!」
「そうですか……」
「ぐっ」

 星河が沈んだ表情を見せると、思わず何かをしてやりたくなってしまう。だからといって星河をこちらの布団に入れるのは不健全だ。大空は折衷案として、枕を動かして星河の布団のほうに寄った。

「ほら、なるべく近づくからこれでいいだろう」
「……! はい! わたしも近づけますね!」

 上機嫌になった星河は枕を布団の端に寄せて近づいてきた。布団を分けた意味が無いほどに近い。吐息がかかりそうな距離、星河の息遣いが聞こえ、体温も感じ取れそうだ。

「大空様は、どんな食べ物が好きなんですか?」
「急にどうした」
「わたし、大空様にお礼がしたくて、それで色々考えてみたんですけど、大空様が好きなものを全然知らないなって思ったんです。だから、大空様に聞いてみようと思いまして」
「それは別に構わないが、公平ではないな。俺にも星河のことを教えてくれるのなら質問に答えてやろう」
「はい! 今日はお互いのことをもっと沢山知る日にしましょう」

 それから色々なことを話した。最近はコーヒーにハマっており、対局の前に必ず飲んでいること。星河は魚料理が好きで、泰子が出してくれた鮎に舌鼓を打ったこと。身体を鍛えるのが好きで毎朝走っていること。星河に優花という友達ができて、爪の手入れの仕方を教えてもらったこと。

 やがて囲碁の話題が多くなってくる。難しい死活問題が解けた時の達成感の話。初手天元を試してみたがあまり形にならなかったこと。定石の研究が進んで直の三々や一間受けへのノゾキが流行っていること。

 囲碁を始めたきっかけの話から、話題は子供時代のことに移った。

「大空様はどんな子供だったんですか?」
「どんな子供と言われてもな……。普通の子供だったよ。今よりも強くなかったからな。大人に負けては泣いてばかりいた」
「えー、嘘です。想像つきません」

 星河がくすくすと笑う。もう眠くなっているのか、目がとろんとしていた。

 星河に言ったのは本当のことだ。囲碁の才能を買われて養子になった大空は、勝利に飢えていた。勝てなければ父に捨てられると本気で思っていたのだ。公式戦どころか研究会でも負けるたびに隠れて泣いていた。

 そういえば、星賢さんの研究会でもたびたび泣いていたなと苦笑する。新開家の屋敷の隅で泣いてばかりいた自分の頭を、知らない女の子が撫でてくれたのを思い出す。

『大丈夫?』

 思えば、何もかもが上手くいかなかった時に心が折れなかったのは、そうやって少女が慰めてくれていたからかもしれない。名前は知らないが、星賢の真似をして大空のことをこう呼んでいた――。

「そういえば、昔、泣き虫な男の子と一緒に遊んだなあ。たしか、名前は……くーちゃん……」

 星河のほうを思わず見たが、星河はすでに寝入っていた。ずっと話をしていてもう夜も遅い。随分前から眠たそうにしていた。

 眠っている星河の頭をそっと撫でる。そうか、どこかで会ったことがある気がしていたが、この娘があの時の。

「もしかしたらお前を花嫁に選んだのは、運命だったのかもしれないな」

 星河が風邪をひかないように、大空はそっと掛け布団をかけ直してやった。


 小鳥の鳴き声で目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

「おはようございます、大空様」

 傍らで泰子が頭を下げる。何か温かいものが身体にくっついていた。既視感のある状況だ。布団をめくると、案の定、寝相の悪い星河が見事にこちらの布団に入り込んでいた。「ウチマセンカ……」と星河が鳴く。

 様々な言い訳が頭に浮かぶが、諦めて肩をすくめた。

「婚約者と一緒に寝ただけだ。何か問題があるか?」
「いいえ。仲がよろしいのですね」
「まあな」

 笑う泰子に、大空は苦笑で応えた。

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