エモい

エモさは何も生産しない、エモさは生産の前にある

どうも!瞬間人事の森谷です。

今回は「エモい文章の存在意義」というテーマについて書いていきたいと思います。


先日こんなツイートをしました。

今回はこのツイートを深掘りしていきます!


そもそもエモいとは何か

僕自身エモい文章が好きなのですが、「そもそもエモいって何だろう」と気になったので辞書で調べてみました(実はよくわかっていなかった笑)

エモいとは・・・「エモーショナルな感じがする」ということであり、「感情に訴えかけて来るものがある」「心が動かされるようだ」「情緒を感じる」「趣がある」「グッとくる」というような説明しがたい感慨を述べる表現である。


「心が動いた瞬間=エモい」らしいのですが、心が動く瞬間というのは人それぞれ違うわけなので「これがエモいということだ!」みたいな明確な定義はなさそうです。

確かにそうですよね。懐かしい曲聞いたら「うわー、この曲エモいわ」って言っちゃうし、感動する動画をみたときに「このシーンエモすぎる」とか何かにつけてエモいと言っちゃってます。

「やばい」という言葉と似ていますよね。美味しそうなものを見ても、綺麗な景色を見ても、「やばい!!!!」で片付いてしまう。

そんなことを考えると外面的な要素を表現するときには「やばい」、内側から出てくる感情を表現するときには「エモい」を使うのかなーと。

はい、ちょっと脱線してきたので話を戻していきます笑


エモい文章は無駄である

ある日ツイッターでこんな呟きをみました。

「エモい文章って無駄だよね。だって何も生み出してないじゃん。あれにいいねをつけてる人ってwww」


心を動かす文章が好きな僕にとって「グサっ」とくる言葉でした。というのも薄々感じてたんです、エモい文章に意味はないよなって。

この方が言うように、それっぽい良い感じの言葉を並べたところで「エクセルで使えるショートカットキー13選!!!」みたいな有益な情報には生産性という面では勝てません。

「感情的な文章を書く僕の人生は間違っていたのかな、、、」と凄くモヤモヤしました。


生産できない行動に意味はないのか

自分のやってきたことを正当化したくて「生産できない行動って本当に意味はないのか」について考えてみました(負けず嫌い笑)


例えばドラマ。あれって見ると感動したり、ワクワクしたり、感情が動かされるけど、見たからといって何か生産できるわけじゃないですよね。ドラマは無駄なのでしょうか。

例えば旅行。綺麗な景色を見たり、美味しいご飯を食べると「はー、旅行最高」となりますが、その感情以外は何も生み出してません。旅行は意味のない行動でしょうか。


僕としては両方とも意味のあるものと思っています。

ドラマで言うと「リッチマンプアウーマン」を見たあとは「日向徹、カッコいいいいい」と何かに真っ向から向き合う人に憧れ、当時高校生だった僕は勉強を全力でやり始めたりしました。(伝われ)

家族で温泉旅行に言ったときもかなりリフレッシュできて、だらだらやっていた仕事も旅行後にはパフォーマンス高く仕事ができたり。

つまりは心が動いたり、心を休ませたりする行為自体は何も生産していなくて一見無意味に見えますが、一方でそういう感情の起伏は後の生産活動をブーストしてくれる効果もあります。

なので無駄であり、無駄でないと思うんですよね。エモいっていうのも。


エモさは何も生み出さない、エモさ生産の前にある

つまるところ、

エモさは何も生み出さない、エモさは生産の前にある

につきると思います。


たぶん僕が感情を揺さぶられるエモい文章を好きになったのはそういう類の文章を見て勇気をもらった経験があるからです。

人間関係で悩んで何もかも嫌になった大学4回生のときでも、好きなブロガーが書くエモい文章やツイッターでフォローしている方の優しい文章は不思議と見れて、その時に心がグッとなって「少しだけ頑張ってみよう」って思えたんですよね。


だから僕は「生産性のない文章に意味がない」とどれだけ言われようと、これからもエモい文章を書きまくってやろうと思います。

何かに悩んでいて、地面しか見られなくなった人がちょっとだけ空を見れるような言葉を綴っていこうと思います。

それで過去の僕のように少しでも救われる人が出てこればなって。

エモさは何も生み出さない、エモさは生産の前にある


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