まあね、差別・ヘイト・いじめは、亡国。

中国歴史「奇貨居くべし」 より

晏子春秋 


晏子楚に使いす、楚小門を為る、晏子称す、狗国に使いする者は狗門より入ると【第九】

晏子は楚に使いした。楚人は晏子が背が低かったので、小さい門を大きい門の横につけて、晏子を案内した。

晏子は入らずに

犬の国なら犬の門から入るもよいでしょう。いま臣は楚国に使いしています。まさかこの門から入れとは言いますまい」

と言った。案内人は導いて大門から入った。

楚王に見えた。

王は「斉には人がいないのか。あなたが使者で来られるとは」と言った。

晏子は答えて

「斉の臨淄は広さ300区画、手を広げれば日は遮られ、汗をふるうと雨にもなります。 道では肩と肩がすれあうほどに人がいます。どうして人がいないといえましょう」

と言った。

王は「ではどうしてあなたが使いするのか」と問うた。

晏子は答えて

「斉が使いを命ずるには向き向きがありまして、賢い者は賢い国に、不肖の者は不肖の国に使わせるのです。 嬰は最も不肖であったため、楚国に使いするのに最適だったのです

と答えた。


楚王晏子を辱めんと欲し、盗人を指して斉人となす、晏子対ふるに橘を以てす【第十】

晏子が楚に使いしようとした。

楚王はこれを聞き、近臣に「晏嬰は斉で応答に習熟している者である。いま来ようとしている。わしはこれを辱めてやろうと思う。 どうしたらよいか」と言った。

近臣は答えて「やって来た時に、一人の者を縛って王の前を過ぎさせましょう。王は『何者か』とお聞きください。『斉人です』と答えましょう。『何の罪だ』とお聞きください。 『盗みをはたらきました』と答えましょう」と言った。

晏子が来た。

楚王は晏子に酒を賜った。酒宴の最中に、官吏二人が一人の者を縛って王のところに来た。
王は「この者は何をしたのだ」と言うと「斉人で盗みをはたらきました」と答えた。

王は晏子を見て「斉人はもともと盗みをよくされるのですな」と言った。

晏子は退いて

「嬰はこう聞いています。橘は淮南で生ずれば橘となり、淮北で生ずれば枳になると。葉はよく似ていますが、味は同じではありません。そのわけは何でしょうか。 風土が異なるためです。いま民は斉で生まれて盗みはしないのに、楚に入れば盗みをはたらく。楚の風土が民に盗みをはたらかせるのではないでしょうか

と言った。

王は笑って「聖人はともにたわむれるべきではない。寡人はかえって辱をかいたわ」と言った。

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