スピリチュアルが、しょうもない理由。
存在論的な有無の問題こそが言葉の限界、境界線を示す。
— なかだち (@madaraiguana) September 10, 2020
禅宗だとこの世の成立や日常が奇跡であり、私と他者の存在なんて神秘そのものだって思想だが、これだと俺スゲーできないからスピが嫌う)
実体を否定する<空>の思想に対して西洋では全面的な実体否定論はなかなか現われなかった。
禅宗だとこの世の成立や日常が奇跡であり、私と他者の存在なんて神秘そのものだって思想
そうそう、これが本当。
だが、これだと俺スゲーできないからスピが嫌う
だよね。
密教も実は、それがある。
大日経の十縁生句に「みんな まぼろし~」なのが肝心!て書いて、それが重要となっている。
密教 の行者 は、『大日経 』の説く「十縁生句 (ジュウエンショウク)」を修行しているので、妄想に取り憑かれません。
心に浮かんで修行を妨害する十種類の勘違いを断つのです。
①幻(ゲン)
いわゆる「まぼろし」です。
手品師が見せたり、薬物や呪術で見えたりする奇妙なものです。
②陽炎(ヨウエン)
いわゆる「かげろう」です。
③夢(ム)
いわゆる「夢」です。
よく「夢か現(ウツツ)か」と言いますが、ボーっとしていたり、過労になったりすると二つのものの境界があいまいになります。
④影(ヨウ)
鏡に映った像などは、現実そのものにしか見えません。
⑤乾闥婆城(ゲンダツバジョウ)
乾闥婆は、天上界で音楽を奏でる妖精のような神であり、その根城が乾闥婆城とされています。
私たちの現実においては、いわゆる「蜃気楼(シンキロウ)」です。
実体はないのに、いかにもありそうに見えます。
⑥響(コウ)
音声によって生ずる空気の振動です。
⑦水月(スイガチ)
水面に映った月です。
⑧浮泡(フホウ)
水に浮かぶ泡です。
⑨虚空華(コクウゲ)
目が眩んで星や花が飛ぶように見える場合があります。
空に浮かぶ虹も、橋に見えますが橋がかかってはいません。
⑩旋火輪(センカリン)
火のついた松明をぐるぐる回すと火の輪が見えます。
しかし、輪はありません。
これらはすべて無自性(ムジショウ)で、幻も陽炎も夢も、それ自体が確たる存在ではありません。
密教 の行者 は、「十縁生句 (ジュウエンショウク)」を心に刻んでいます。
だから、ご本尊様と一体になる修法によってたとえ霊感らしきものを得て何かを見たり聞いたり、あるいはみ仏とお会いしたりする場面があっても、その状況にとらわれず、淡々と目的に向かって修法を行うのみで、体験に執着したり、縛られたりはしません。
幻や陽炎や、心の生み出すものたちに迷わぬよう、厳しく戒められています。
「あらゆる悟りへの手だては、この十縁生句 によって心の垢を清めることに帰着する。
ゆえに、十縁生句 が最も肝心である」。
神秘に執着する・・・それが垢で邪魔。なのだ。
て、意味でスピが結局は「面白くない」理由である。
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