見出し画像

景公牛山に登り、国を去って死せんことを悲しむ、晏子諌む【第十七】



景公牛山に登り、国を去って死せんことを悲しむ、晏子諌む【第十七】


景公は牛山に遊覧して、北方にその国城を臨み見て、涙を流して
「どうしようもない、この広大な国を棄てて死んでしまうのを」
と言った。
艾孔と梁丘拠はこれに従って泣いた。

晏子はひとりかたわらで笑っていた。

公は涙をぬぐって晏子を見て
「寡人の今日の遊は悲しい。孔と拠は寡人に従って涙を流したのに、子がひとり笑うのはどうしてか」
と言った。

晏子は答えて
「賢者を登用して久しくこれを守らせるとすれば、 すなわち太公や桓公が久しくこれを守りましょう。
勇者を登用して久しくこれを守らせるとすれば、すなわち霊公、荘公が久しくこれを守りましょう。 歴代の君がこれを守ろうとすれば、いったいわが君はどの地位でそれをなされますか。
代わる代わる君位は継承されて、君に至ったのです。
それなのに、自分ひとりが永久に国を保有しようとなさるのは、後世にとって無慈悲であります。
無慈悲の君をひとり、へつらいの臣をふたり見ましたので、わたくしは笑ったのです」
と言った。


・・・・・・・・

注釈

・景公 

中国春秋時代の斉の君主。晏子の殿様

・牛山

斉の首都の近くにある山。

・艾孔と梁丘拠

景公の側近。一種の太鼓持ち。でもそれほど「悪どい事」を言うわけでもないが、御機嫌取りが得意。特に梁丘拠は頻出して、晏子に「あなたのようになれない」と言って多少良心に恥じるところもある人。

・太公や桓公

太公は、斉の君主の元祖で、「太公望」その人。

桓公は、同じく景公の先祖で、春秋五覇の筆頭。混乱した春秋期に、「会盟」という国連みたいな会議を開いて、当時の中華世界を安定させて「覇者」と当時の天子~周の王様に「征夷大将軍」みたいに認められた人の最初。

・霊公、荘公

これも、景公の先祖と先輩。武勇を愛した。けど、「筋肉ダルマ的」になって、破滅した。


で、私の「砕けた話口調に」


・・・・・・・・

景公は牛山に遊びに行き、北方にその斉国の首都を臨み見て、涙を流し

「どうしようもない、この広大な国を棄てて死んでしまうのを」

と言った。

そこに同席していた艾孔と梁丘拠はこれに従って泣いた。

だけど、晏子はひとりかたわらで笑っていた。

景公は涙をぬぐって晏子を見て
「私の今日の遠出の遊びは悲しいのだ。艾孔と梁丘拠は私の思いを汲んで涙を流したのに、貴方がひとり笑うのはどうしてなのか」
と言った。


晏子は答えて
「賢者や有能な人を登用して久しくこれを守らせるとすれば、 すなわちご先祖様の太公望や桓公が久しくこれを守ることになるでしょう。。
勇者を登用して久しくこれを守らせるとすれば、すなわち霊公、荘公等の勇敢な人たちが久しくこれを守りましょう。 歴代の君主がこれを守ろうとすれば、いったい殿様はどの地位でそれをなされますか。
代わる代わる主君の地位は継承されて、殿様に至ったのです。
それなのに、自分ひとりが永久に国を保有しようとなさるのは、後の世の人たちにとって無慈悲であります。
無慈悲の君主をひとり、それに媚びる臣下をふたり見ましたので、わたくしは笑ったのです」
と言った。


・・・・・・・・・


なんかうまいこと書けたかな・・・


まあ難しいものですは。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?