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ビート文学にはビートを感じない

今日は休日で読書三昧。
MAAJIDのオールドヒップホップのミックスを聴きながら彼の自伝を読んでいます。
僕は文学とは同時代性から生まれるビートだと思っていますが、反面ビート文学にビートを感じたことがありません。
本当のビートがある文学の最初は長距離ランナーの孤独だと思ってて、"ライ麦畑でつかまえて"は誰かが主語を僕ではなく俺として翻訳すべきだとずっと感じています。
映画がこけてあまり注目されなかった近年の傑作はBEACHで、僕が初めて面白くて英語で読み進んだ作品です。
僕は僕らの時代の同時代的でビートがある小説は存在しないと感じていて、唯一あげるならタイトルすらも忘れたのですが、ヒップホップと大麻が好きな若者が昼間はずっと介護をしてるという内容の小説でした。大江健三郎さんの作品は左翼的だった父の影響で好きで、なかでも右翼少年が授業中に無限について考えて卒倒し、大便をもらしてしまう短編とか好きで、ブリキの太鼓のギュンターグラスさんにも共通するのですが、文学的メタファーのようでいながら退廃的な美学がお好きだったのでは?と感じます。
方丈記の現代版を書きたい想いがずっとあるのですが、現在は現実が小説を越えてるので、いかがなものかと躊躇してしまいます。


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