見出し画像

極度の人見知り(幼稚園〜小学生)編

本日もお読み頂きありがとうございます。
今回は幼稚園→小学生時代どのように過ごしてきたのかをお話しして行きたいと思います。
是非最後までお読みいただければ幸いです😁

極度の人見知り〜幼稚園編〜

タイトルにある通り私は幼稚園時代、極度の人見知りでした。
本題に入る前に、家族構成についてお話ししていなかったので簡単に説明させていただきます。私は父、母、兄、兄、自分と5人家族の末っ子として育ってきました。
長男とは5歳差で、次男とは2歳差です。
なので幼稚園時代、入園した時に次男は年長で同じ幼稚園に通っていました。

幼少期の自分
兄弟写真(似てますか?笑)

ここから本題に入ります。
私は幼稚園に入園した時に極度の人見知りでした。
同じクラスに友達は居なくて、休み時間になると毎回、兄の教室に行って兄に会いに行っていました(今思うと相当迷惑を掛けていたなと思います)
それくらいクラスに馴染めず、もちろん友達も遊び相手も居るわけが無く毎日泣きながら通っていました。それもありストレスもあってかよく高熱を出し母に迎えにきてもらう事が多かったです。(その部分も母に迷惑をかけました)

そんな極度の人見知りの中、希望の光が


それはサッカーとの出会いです。
次男が卒園してから1人になってしまった自分は何をしていたのかあまり記憶にないのですが、休み時間になると毎回外に出てボールを蹴っていたらしいです。そのおかげで一緒にサッカーをしてくれる友達も増え、なんとか極度の人見知りでしたが無事に卒園する事が出来ました。
サッカーとの出会いは幼稚園の頃でサッカーと出会えて心の底から良かったと思っておりサッカーに出会えてなかったら、幼稚園時代、嫌な記憶しか残っていなかったかもしれません、、笑

幼稚園時代

小学生時代

そんなこんなで小学校に入学する事が出来ました。
(母は、自分が極度の人見知りが心配で、担任の先生に人見知りでよく高熱を出します。友達が出来るか心配です。と連絡帳に書いていたらしいです)
しかし幼稚園の頃の極度の人見知りが嘘だったかのように、人見知りはなく友達ができ、休み時間には毎回外でドッジボールや追いかけっこをしていました。
小学校6年生の頃には運動会の赤組の応援団長をする位、活発な小学生でした。

小学生時代

本格的に始めたサッカー

それと同時に、羽束師jr.fcと言う少年団に入り本格的にサッカーを始める事になりました。
元々兄2人が先に入っていたと言うのもあり気がついたらサッカーをしていました。
純粋にサッカーが楽しく兄を目標に兄の背中を追いかけながらサッカーをしていました。
今では考えられないとチームメイトなどは言うと思いますがキャプテンもしていました。

小学生時代


しかし、小学校5年生?くらいからあるトレセン制度(選抜的なもの)が始まり中々選ばれたりせず人生で初めて挫折を経験することに。
その当時はチームの中では少し上手いと言われていたので少し天狗になっていたと今では思います。チームの中で上手いだけで、周りにはこんなにも上手い子が居るんだと思ったのを覚えています。
しかし羽束師jrでサッカーするのはすごく楽しくて三原コーチ(恩師)にも出会えて羽束師jrでサッカーを始める事が出来てすごく良かったと心の底から思います。
今思うと学校生活とサッカー生活すごく充実していました。
人見知りも徐々に消え友達もいっぱい出来た小学生時代、何事も楽しむと言う事がうまく行ったのかもしれません。笑
以上、ザックリとした幼稚園〜小学生時代でした。

小学生時代

次回予告

次回は中学生編を投稿いたします。
〜大きな大きな挫折と大きな病にかかってしまった中学生時代〜

今回もお読み頂きありがとうございました。
もっとこうしたら良いよやこんな話が聞きたいなどアドバイスがあったら
是非遠慮なく言ってください。
毎回の投稿ごとに、投稿内容をアップデートしていければと思っています。
それでは次回をお楽しみに‼︎😊





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?