期待する生き方をしたい
最近よく耳にする「他者に期待しない」という考え方。
とても合理的だし、賢い生き方だと思います。
私も以前までは同じ考え方を持っていました。
でも大学生の時、ある先輩から言われたのです。
「人に期待できる人のほうが凄い。だって一人で出来ることに限りがあるもの。」
目から鱗でした。ごく当たり前のことであり、気づかないでいようとしていた事実でした。
確かに、「人に期待しない」ことで裏切られることや落胆することは無くなり、自分の感情や心を負の方向に揺さぶられる幅を小さくなって、楽に生きられると思います。
でもそれは同時に、誰かに想いを託したり、他者を信じて背中を預けたり、同じ目標に協力して立ち向かうような、正の方向への感情の揺れを得る機会も失っているのではないでしょうか。
「速く行きたいなら一人で行け、遠くに行きたいなら皆で行け」という言葉があります。
人と関わると面倒なことばかりです。期待した結果は返ってこないし、決断には時間がかかるし、個々人の考え方で衝突します。
でも、自分も想像し得ない成功を教えてくれたり、自分では思いつかなかった最適な手段を選択したり、自分の考えとは正反対の別解を提案してくれます。
人と関わるということは、その人の考えに、世界に触れることだと私は思います。それは自分の視野の狭さ、世界の狭さを知り、自分が勝手に定義していた世界を拡げてくれる経験だと思います。
私は他者への期待には自分の価値観を強要している側面があると思います。自分の抱いている相手へのイメージと自分の価値観の中での「正解」を照合して、その正解に辿り着けるか試しているかのような行為かもしれません。
そこまで言うと期待とは非常に傲慢な行為に思いますが、人は誰しも世界共通の「正解」と考えてしまっている、自分の中の「正解」が少なからずあると思っています。(この発言自体が正にそれですね。)
でも、自分にとっての正解が他者にとっての正解でないことには、自分一人では気づくことができません。
もちろん人に限らず、本やテレビ、様々な媒体で自分の世界が広がることもありますが、私は他者と「正解」の話をしたい。
あなたと私の「正解」について話し合い、私が何でできているかを知ってほしいし、あなたがどんな思想なのか知りたい。
あなたの目指すものを理解したいし、私の描く夢に共感してほしい。
全く混じり合わない考えがあることを目の当たりにして絶望しながらも、共に生きていく方法を模索したい。
つまるところ誰かをわかりたいし、誰かをわかりたいだけの、ただのかまってちゃんかもしれません。
他者のことなんてわかるの?わかったつもりじゃないの?と思われるかもしれません。
わかろうとして、わかったつもりになって、勝手に裏切られたように感じることが、この先も何度もあると思います。
でも、私は全てをわかり合うことはできなくても、わけ合うことはできると思うから。
とんでもなく話があっちこっちへ駆け回り、どこにも落ち着きそうにない散文ですが、
私はどんなに傷ついて、傷つけて、他者も自分のことも嫌いになることがあっても、
他者を知りたいし、他者に知ってほしいし、信頼したい、信頼されたいから、
わからないことをわけ合って寄り添っていたいから
私は他者に期待したいです。