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「自分のモノ」と「他人のモノ」〜居酒屋の大皿に残った唐揚げは誰のモノ?編〜

居酒屋で宴会を行うと唐揚げの最後の1つが

よく大皿に余っているのを目にします。

みんな1個余っていることには気付いているのに、

お互いの出方を見ながら譲り合い、2〜3時間が経過してしまい、

最後に帰る頃には冷えて結局、誰にも食べられずに終わってしまいます。

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【唐揚げ最後の1個問題】


どうも、好きなおつまみはチーズの盛り合わせの野村泰弘です。

私はお酒が全く飲めませんが、おつまみの美味しさはよく分かります。

おつまみだけをバクバク食べすぎて、注意を受けたこともあるくらいです。

美味しいおつまみが残ってしまうのは悲しいことですよね。

そんな中で、

「唐揚げの最後の1個問題」の話です。

最後の1個は誰が食べるべきなのでしょうか?

また、なぜ1個余ってしまうことが多いのでしょうか?

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【平等と不平等】


「平等」にみんなに唐揚げが行き渡るにはどうしたら良いでしょうか?

例えば、5人の宴会で大皿に12個の唐揚げが盛られた大皿が来たとします。

12個を5人で割るわけですから、12個÷5人=2.4個。

1人あたり2.4個の唐揚げが食べられます。

2個分はいいのですが、「平等」にする為に0.4個は唐揚げを

切り刻んでバラバラにしなければ、いけませんよね。

「よし任せとけ。俺が唐揚げをみんなに平等に行き渡るように、

何個か切り刻むね。すいません〜。店員さん、包丁と計量器を貸してください。」

「平等」という正義の味方の様に聞こえるこの発言も宴会の場では

サイコに感じてしまいます。

時に「不平等」が必要な場面もあるのです。

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【自分のモノと他人のモノ】


必ずその唐揚げを頼んだ人物がいるはずです。

もしかしたら唐揚げを頼んだ人間が最後の1個を食べるべきかもしれません。

そもそも大衆心理として人が増えて大勢になるほど、

自己責任というものが失われていきます。

つまり「自分のモノ」という意識が減っていくのです。

5人いれば責任は5分の1になりますよね。

「自分のモノ」と「他人のモノ」

俺が頼んだわけじゃないから、1個残っていても関係ない。

俺は2個は食べているから、ノルマはほぼ達成してるから関係ない。

自分の目の前にあるはずのものも「他人のモノ」

目の前の困っている人や社会問題も「他人のモノ」

と思っている節がないでしょうか?

関係ないと思っている社会問題と

目の前に余っている唐揚げは同じです。

偉そうに語っている野村泰弘もそういった節があります。

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【いつから自分のモノを認識?】


人間はいつ「自分のモノ」「他人のモノ」を区別しだすのでしょうか?

赤ちゃんの頃は2〜3歳までは興味のあるものは

すべて「自分のモノ」と思うそうです。

子どもころ、友達にブランコを譲れない、

おもちゃを貸してあげられない子がいましたよね。

あれです。

そのうち、大人になるにつれて、社会のルールを学び、

「自分のモノ」と「他人のモノ」の区別がついていきます。

しかし、人間はズルいので、メリット・デメリットを考えて

都合が良いものは「自分モノ」、

不都合なものは「他人のモノ」と願う生き物なのです。

赤ちゃんの頃は純粋なので、

興味があればなんでも「自分のモノ」だと思えるのに、

大人になると変わってしまうのは寂しいですよね。

ちなみに私は唐揚げにはレモンをかける派です。

一応、みんなにかけていいかは確認するエチケットは持ち合わせています。

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【自分のモノなんてありゃしない】


さて仏教には「諸法無我」という言葉があります。

簡単にいうと「この世の全てのモノで、自分のモノなんてありゃしない」

という教えなのです。

説明すると

今ある自分の体はそもそも豚や牛や鶏、魚に野菜、

さまざまな栄養を取り込んで出来ていますよね。

そう考えると自分の体というモノは沢山の栄養、言わば、「命の集合体」です。

たくさんの命の集合体である私の体は一体誰のものでしょうか?

誰のものでもなく、「みんなのモノ」なのです。

決して「自分のモノ」ではないのです。

「この世に自分のモノなんてありゃしない」

逆を言えば、

「この世の全てのモノはみんなのものである。」

簡単にいうと「諸法無我」とはこんな教えです。

「目の前にあるモノ」、「自分という存在」、「他人という存在」、

「自分のモノ」、「他人のモノ」

全てがみんなのものであり、みんなの責任なのです。

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【みんなの問題は自分の問題】


この世には国同士の争い、戦争の様に大きな問題から

テーブルの上の冷めた唐揚げの様に小さな問題まで、様々な問題があります。

全ての問題を「みんなの問題」「自分の問題」と

思えるようになると少し世の中が前進するかもしれません。

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【エチケット的にね】


かといって隣のテーブルの余っている唐揚げをわざわざ食べにいく必要は

ありませんよ。

エチケット的にね。

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【自己紹介】

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野村泰弘 (のむら たいこう)

1991/10/28生まれ 福井県福井市出身 日蓮宗僧侶

福井市の中心に位置する足羽山内のお寺「弘法院大師堂」執事長を務める。

難解で近寄り難いイメージの強いお経を今の人にも分かりやすく伝える事を信念にお坊さんをしています・・・

お経の中身って意外と面白いんですよ。

お寺・お経・仏様・お坊さん、なんだか堅いモノに感じますよね。

意外とそんなに敷居の高いものではありませんよ・・・

【足羽山 弘法院 大師堂 】

〒918-8021
福井県福井市門前町 宝石山17−1−1


TEL: 0776-36-8772


Email:taishido.asuwayama@gmail.com

URL: https://asuwayamano-otera.com/


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