見出し画像

名乗るほどの者でもないのに名乗ってしまう〜弱い犬ほどよく吠える〜の巻

【認められたい生き物】

人は誰でも認められたい生き物です。

「すご〜い」

「かっこいい」

「かわいい」

賞賛の声を集める為に必死になる人もいますよね。

「名誉欲」という言葉もある様に人に認められたいという気持ちは

「欲望」なのです。

しかし、認められる事になんの意味があるのでしょうか?


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【名乗るほどの者でもないのに名乗った】

どうも、名乗る者の程でもないのに名乗ってしまう野村泰弘です。

先日、街を歩いていると財布を探しているおばあちゃんに出会いました。

おばあちゃんが1人で必死に財布を探している姿を見て、

思わず「一緒に探しましょう。」

と好青年よろしく、声をかけて財布の探索を始めました。
(30歳なので、青年かどうかは怪しい)

20分ほどしても見つからなかったので、

おばあちゃんから
「もういいよ。ありがとう、家に忘れてきているのかもしれない」

私は好青年よろしく、透き通る様な笑顔で「お役に立てず、失礼しました」と

その場を立ち去ろうとしました。
(好青年というが、そもそも好まれているかどうかはだいぶ怪しい)

おばあちゃんは
「こんな親切にしてくれてありがとう。せめてお名前を教えてください。」

その好青年は「野村泰弘と言います。お坊さんをやっています」

ちなみに厚生労働省の発表では「青年」の定義は15歳〜24歳の男性だそうです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【親切をしているという意識】

財布を探す20分の中で心は大きく揺れ動いていました。

最初はとっさに体が動いて、おばあちゃんの財布を探し始めましたが、

財布を探している途中で、

「俺は今、親切をしているな」

「俺は優しいところあるな」

という心が何度もよぎりました。

こんな押し付けがましい親切心のどこが好青年でしょうか?

心のどこかで認めて欲しかったのです、

親切をしている俺を。

その名は「野村泰弘」

そして、聞かれてもいないのに「お坊さんをやっている」と答えているのです。

今思うと恥ずかしいですね。

大きな自分の名前の書かれた看板を掲げながら親切をしていても人は

「認められたいからやってんのか?」と逆に認められなくってしまいます。

ちなみに厚生労働省の発表によると30歳の私は「壮年」だそうです。

「好青年」じゃなくて「好壮年」にならないと・・・・


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【陰の徳】

仏教には「陰徳」(イントク)という言葉があります。

これは人目につかないところでひっそりと善行を行う事です。

例えば、誰も見ていないところでゴミを拾ったり、人を助けたりです。

この反対に「陽徳」(ヨウトク)もあります。

これは人目につくところであえて善行を行う事です。

例えば、黙って財布を探して、名乗らずに帰ってくればいいのに、

聞かれていない職業まで答えて、それをコラムに書いている事です。

この「陰徳」と「陽徳」は「陰徳」の方が、徳が数段高いとされています。

言わずもがな、目に見える善行には「名誉」の獲得なのか?

という疑惑が付きます。

よって、なんの意味もなさそうだけど、隠れて行っている「陰徳」が徳高です。

余談ですが、

会社の面接とかで「何かやっていることはありますか?」と聞かれて、

「毎日人目のつかないところでゴミ拾いをしてます。」と答えると

陰徳を公表してしまったから陰徳の皮を被った陽徳、

陰徳の陽徳とかになるのかな?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【認められてなんの意味があるのか?】

最初の疑問に戻りましょう。

「陽徳」を行ってしまう原因はやはり「名誉欲」です。

しかし、なぜ人は認められたいのでしょうか?

認められた先に何があるのでしょうか?

お経を読むと「権力・地位・名誉は実体のない空虚なモノ」と書かれています。

人間は目に見えない「権力・地位・名誉」というモノに踊らされているのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【お衣の力は恐るべし】

私がお衣を着て外の掃除をしていると、

歩いている人は「御修行、ご苦労様です」と頭を下げていきます。

しかし、私服で掃除をしていると「今日も暑いね。お掃除ご苦労さん」と

気さくに声をかけてきます。

お衣を着ているのと、着ていないのではこんなにも差があるのだと驚きました。

私自体は変わらないのに着ているもので、頭を下げられたり、

気さくに声をかけられたりと反応が大きく変わります。

そこにあるのは私自身の評価ではなく、何を着ているかです。

ここで言うお衣は「権力・地位・名誉」の象徴かもしれません。

ここで私が調子に乗って、

「みんな頭を下げていくな、自分は人よりも優れた人間なんだ」

と勘違いを起こした場合、

実力もないのに偉そうになってふんぞり返っている人間が出来上がります。

実力もないので、お衣を脱いだ瞬間にメッキが剥がれて、

ただの世間知らずの私だけが残ります。

大事なのはお衣・着ているもの・職業・性別・年齢などではなく、

実体のあるあなた自身がどんな人間です。

私がお衣で掃除をしていようが、私服で掃除をしていようが、

その姿が尊ければ、歩く人は頭を下げていくでしょう。

自分を磨かずに「権力・地位・名誉」を過剰に求めてもその先にあるのは、

空虚な自分自身です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【イントクボーイ】

大切なのは肩書きではなく、自分自身です。

何を思い、何を行うかでその人は決まります。

現在、他者の評価をものすごく重んじる世の中になっていますが、

他者の評価ばかりを気にして、目指した先にあるものは果たしてなんでしょうか?

自分が納得していないのに他人から評価を集めてあなたは納得するでしょうか?

カッコつけていることが逆にカッコ悪く映ることがあります。

他人からカッコ悪く映ってもいい、日陰でもいい、名乗らなくてもいい、

自分を納得させてあげられる修行を積みたいものですね。

以上、コラムを書いていたのは「名乗るほどのものでもない好壮年でした」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【自己紹介】

野村泰弘 (のむら たいこう)

1991/10/28生まれ 福井県福井市出身 日蓮宗僧侶

福井市の中心に位置する足羽山内のお寺「弘法院大師堂」執事長を務める。

難解で近寄り難いイメージの強いお経を今の人にも分かりやすく伝える事を信念にお坊さんをしています・・・

お経の中身って意外と面白いんですよ。

お寺・お経・仏様・お坊さん、なんだか堅いモノに感じますよね。

意外とそんなに敷居の高いものではありませんよ・・・

【足羽山 弘法院 大師堂 】

〒918-8021
福井県福井市門前町 宝石山17−1−1


TEL: 0776-36-8772


Email:taishido.asuwayama@gmail.com

URL: https://asuwayamano-otera.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?