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長距離部員2人から栃木県トップの駅伝校になるまでの話

皆さんこんにちは!筑波大学陸上競技部長距離パート1年の平山大雅です。今回は自分が高校に入学してから3年時の関東高校駅伝(以下、関東駅伝)で県勢1位になるまでの道のりを書いていこうと思う。

ざっくりですが自己紹介を。
平山大雅。18歳。宇都宮高校卒。自己ベストは、
1500m→3’55”38
5000m→14’47”61
10000m→30’18”38
3000msc→9’12”23 こんな感じ。

では、本題に入ろう。

まずは高校3年間の簡単なあらすじから。

高校1年生時
長距離部員が2人しかおらず、駅伝出場が厳しい状況にあった。そのため、中距離や短距離パートから部員を借りて駅伝に出場。結果は2:37'51"と惨敗。この時は関東駅伝なんて夢のまた夢の話。しかし、心の何処かには関東駅伝を走りたいという気持ちがあった。

高校2年時
新入生が入り長距離パートが7人になる。夏から関東駅伝を目指して練習をするも、本番は2:20'19"で8位。途中6位以内をキープしていただけに悔しい結果に終わった。しかし、6位のチームとは約2分差。力不足、層の薄さが露呈した結果となった。

高校3年時
インターハイで引退する事を決めていたが、インターハイ一ヶ月前の試合で骨折をしてしまい、インターハイは思うような結果が出なかった。このままでは終われないと思い、駅伝まで競技を続ける事を決めた。台風の影響でトラックでのレースとなったが、県駅伝本番は2:12'48で4位入賞。関東駅伝の出場権を得る。学校初の関東駅伝への出場での喜びと同時に3位まで4秒差であった事への悔しさがあった。その悔しさを胸に臨んだ関東駅伝は目標であった「県勢1位」を達成した。陸上人生の中で1番嬉しい瞬間だった。一生忘れないであろう思い出だ。ちなみに記録は2:10'52"(42km)

あらすじはこんな所だろう。

今回書くことは長距離部員2人から栃木県トップの駅伝校になるまでの話。その背景に何があったのか?どんな取り組みを行ったか?について書いていこう。

記録が大きく伸びた要因は4つあるように思う。

①練習メニューの改善
②チームミーティングの定期的開催
③ポイント練習後の反省ミーティング
④下級生キャプテンの存在

それでは詳しく書いていこう。

①練習メニューの改善
私たちの学校では練習メニューを自分たちで考えて実施するスタイルを取っていた。そのため、メニューの内容、質や量は生徒に任されていた。
そして、練習サイクルは水曜日と土曜日の2回に高強度練習を行い、その他の日はジョグでつなぐというもの。練習メニューは詳しくは書けないが、基本はペース走やビルドアップ走のような持久力的なトレーニングをベースに行っていた。

例 (月)50~60分ジョグ
(火)50~60分ジョグ
(水)ペース走
(木)30分ジョグ
(金)50分ジョグ
(土)ビルドアップ走
(日)offまたは軽めのジョグ

また、10割(全力)の練習はあまり行わずに心身ともに余裕を持てるペース(全力の8割程度)で行っていた。
その成果もあってか、ジョグの質が向上するとともに怪我することも無く継続的な練習ができた。これが記録が伸びた1番の要因だと思う。

②チームミーティングの定期的開催
チームミーティングは練習メニューについて話し合うことが多かった。1ヶ月間自分たちで考えて実践してきた練習メニューがどうだったか?改善した方が良いのか?それとも実践し続けるのが良いのか?などを話し合い次の月の練習メニューを計画した。これを繰り返すことで、月を重ねる毎に高度な練習メニューが形成されていったのは間違いない。
また、学年を問わず発言ができていたので様々な考えや意見を取り入れた練習メニューが形成されていったように思う。

③ポイント練習後の反省ミーティング
週2回のポイント練習後に反省、身体の状態を共有するようにした。こうすることで、ポイント練習の善し悪しはもちろん、それまでの練習(ジョグ)がどうだったか?生活がどうだったか?など自分の生活を振り返る機会が設けられた。その結果、失敗を繰り返すことが減り、最短距離で結果に繋げることができたように思う。
また、身体の状態を共有することで怪我を未然に防ぐことができ、チームのモチベーションを維持することができた。

④下級生キャプテンの存在
本来であれば、最上級生の自分がチームを引っ張るべきだが、下級生が自ら買って出てキャプテンをやってくれた。最初はただの調子込みか?(笑)とか思っていたが、これが面白いことに上手くいくのだ。彼は上級生と下級生を繋ぐパイプラインのような働きをすることになった。この下級生キャプテンの存在によって、ミーティング時に下級生が積極的に発言ができるようなったり、チームの一体感が増したり、 たくさんのプラスの効果があったのは間違いない。
もちろん下級生キャプテンに全てを任せるわけでなく、自分も最上級生(副キャプテン的な存在?)としてキャプテンを支えた。
他の学校やチームでも「最上級生がキャプテン」という固定概念を破ってみるのもありかもしれないと思った。
また、陸上に限らず、世の中には多くの固定概念がある。それを打ち砕いていくのも面白いかもしれない。そう思った瞬間でもあった。

上記の4つが長距離部員2人から栃木県トップの駅伝校になるまでの話の背景にあるものだ。恐らくこの他にもたくさんの要因があるだろう。そして、その何個もの要因が重なって上手く噛み合ったことで結果がついてきたように思う。

すぐに結果は出ないが諦めずに粘り強く取り組めば必ず結果として表れるはず。是非、母校の後輩たちや読者の皆様も夢や目標に向かって貪欲に頑張って欲しいと思う。

書きたいことはまだまだあるが、長くなってしまうので今回はこの辺でペンをおこうと思う。

最後に、

学校が弱いから、良い指導者がいないから、それは全て言い訳に過ぎない。自分で考えて試行錯誤しながら練習をする。これこそが最も大切なことなのではないだろうか。

特に、今はどの学校も自主練習という形になっているだろう。この状況をプラスに考えるか、マイナスに考えるかは全部自分次第。是非、プラスに捉えてさらに自分を磨いていって欲しい。

夏以降の皆様のご活躍を期待しています。

ダラダラと長い文章になってしまいました(笑)
最後までお読みいただきありがとうございました😊

また機会があればnoteを書いていこうと思うので今後ともよろしくお願いします。