一緒にいることのデザイン

一緒にいること。それは簡単なことのようで、今の時代とてもむずかしいこと。

成長や効率性を求める世の中は「一緒にいる」ことさえさせてくれない。

今の時代、私たちが心の底で望んでいるけれど無理だと諦めてしまっていること。それが「一緒にいること」なんじゃないか。それを達成するためにデザインが必要なんじゃないか。

秋田市の外れ、山の中にある国際教養大学で学生時代を過ごした。ほとんどの人がほとんどの時間をキャンパス内で過ごしていたため、常に「一緒にいる」という感覚があった。

それは安心であり、安全であり、なにより幸せなことだった。部屋を出て数歩あるいてドアを開ければ(もちろん鍵なんかかかっていない)友達がいて、毎晩のようにご飯を一緒に食べ、酒を飲み、くだらないことから世界のものごとまで、真剣に語り合った。その当時、一緒にいるだけでよかった、それが全ての核だった。

それが私にとっての「一緒にいること」の原体験。

その幸せな時間もいつしか終わりを迎え、自分も含めて皆当たり前のように就職をし別々の道に。「一緒にいたい」けれどその具体的な方法をイメージすることができなかった。

もちろん彼らとは今も東京で集まる。その数時間において一緒にいたときの感覚を取り戻すことはできるが、「一緒にいる」というには時間が圧倒的に足りない。

「幸せ」という言葉が状態ではなく一つひとつの瞬間を指すように「一緒にいる」というのもまた瞬間の出来事。その瞬間をいかに多く、連続して、連鎖的に日常の中で感じられるか。それは私たちの人間らしい生活に大きく影響するのではないか。

今回の秋田訪問。秋田で好きな人たちと「一緒にいる」という感覚を久しぶりに取り戻せた。自分たちの「場所」を持ち、自分たちの「好きなこと」で秋田に残ろうとしている彼ら。そんな彼らと、三日間時間をともにし、同じ飯を食べ、温泉につかり、本気で話し合った。そんな彼らの姿をみて、人生で追い求めたいテーマが決まったような気がする。

すっと心に落ちてきたそれは、これまで私が好きだったり実践してきたこととどれも結びつく。コーヒー、ワイン、映画、音楽、空間...どれも一緒にいる時間を高め深めてくれるものごと。

一緒にいるためにデザインが果たせる役割は大きい気がしている。まずはオランダのある言葉からはじめてみよう。

2020年3月4日

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