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幸福に向かう意志

2023年12月9日、企画メシを卒業した。

講座がスタートした6月24日からの半年間、仕事との両立は正直めちゃくちゃ大変だったけど、なんとか最後までやり切った(期間中何度も午前4時を指す時計を目撃した…!)

だだ、大変ではあったけど、それ以上に学んだことや得たものが多くて、ほんとに通ってよかったなー!と思う。

「企画メシに通う」という決断こそ、自分が2023年に行った最も偉大なことですらある。ナイス自分。頭をなでてあげたい(なでた)

そして、企画メシ2023のメンバーにはステキな(本当にステキな!)人しかいなかった。これからも色んなカタチで、関係していきたい人ばかりだ。そんな人たちに出会えて、仲良くなれただけでも、値千金のそれである。

誰に頼まれたわけでもなく、プライベートな時間に、全力で企画や自分の人生と向き合い、のたうち回る。そんな企画メシにまつわる半年間は、平凡な日常の中に突如、青春が現われたような感じだった。マボロシ島のごとき唐突さと尊さ。ソーナノこそおらんかったが、本当にそんな感じだった。

そんな企画メシの初回講義で、主宰の阿部さんはこう言った。

企画とは「幸福に向かう意志」である。

聞いたその場では、正直全然ピンとこなかった。「よう分からんけど阿部さんはまあ、そう思ってはるんやろう」くらいの感じだった。

しかし、半年間のあれやこれやを経た今は、企画メシを総括する、この文章のタイトルに引用するほど、心の底から共感している。

Aという「なんとかしたい状態」から、Bという「あるべき幸福な状態」に向かう、その間にある様々な事象に目を向けて、頭と手と足をこれでもかと動かし続けて、グググっとAからBに現実を変革する。その一連のアクションこそ、企画をすることなのだなぁと。

企画とは「A→B」の「→」なのである。


さて、色々と学びの多かった企画メシ。

これまで受講してきた他の広告講座とは違って、自分の中では「ノウハウを学ぶ場所」というよりも「講義や課題をきっかけとして、人生の問題に向き合う場所」という道場的な印象があり、実際にそういう取り組み方をした。

ちなみに、ぼくが向き合った人生の問題は以下の2つ。

・大人数の飲み会が苦手すぎる
・将来のキャリアイメージがぼんやりしている


人生の課題に向き合うこと、それすなわち、今まで見て見ぬふりをしてきた、自分の中の根深い部分に横たわる、生温かいドロッとした弱みに向き合うことでもあるので、中々にハイカロリーな所業だった。

しかしながら、企画メシはそんな弱みも安心してさらけ出せる、ウォールシーナの内側みたいな場所だったので、なんとかやり切れたように思う。ありがてぇ。

そうして、野武士のごとく一歩ずつ踏み込み続けて、色んな人と膝を突き合わせながら会話し続けて、あれやこれや考えた甲斐もあって、どちらの問題も、半年前よりは相当にポジティブに変化し始めている気がする。ありがてぇ。

ここからはそんな変化のきっかけになり、今後の自分の指針としても大事にしていきたいと思っている「2つの意志」について書き残しておきたい。


「耐え凌ぐ」→「たゆたう」へ。

大人数の飲み会が苦手すぎる。

これは今のぼくが抱えている唯一のコンプレックスである(逆に言うとそれしかコンプレックスがないので幸せ者である)

とりわけ立食形式の流動的な飲み会は途中で気絶しそうなくらいに苦手だし、飲み会中に縦横無尽にテーブルを移動する人を見かけた日には「なんかそういう専門学校でも通ってたんか!!??」とツッコミを入れたくなるほど、そのあたりの身のこなしが下手くそなのである。

だからと言って、別に大人数の飲み会が嫌いなわけではなく、むしろ楽しみたいとすら思っている。なんとも世知辛い自己矛盾。マジ勘弁。

とにもかくにも、ぼくにとって大人数の飲み会は「楽しむもの」というより「耐え凌ぐもの」という印象が強い。いかに飲み会の3時間を、気まずさを感じずにやり過ごすか。そんなことばかり考えている。

しかし、そうは言っても、この先も大人数の飲み会は避けて通れないし、そこから広がる出会いが人生を変えることもある。

これはぜひともなんとかしたい…!

そう思って何人かにそれとなく相談してみた。

その中でも特に印象に残ったのは、定期的に会社に施術しに来てくれている鍼灸師さん(弊社長の母上)の言葉。

アチアチのお灸を据えられながら言われたのは「流れるプールで遊ぶときみたいに、ふわふわ流れに身を任せて、たのしく漂ってればそれでいいのよ」ということ。

なるほど、かつてRADWIMPSが歌ったように、ゆらゆらとたゆたう、その想いの向かう先を、なにも言わず僕は眺めてればいいのかもしれない。

そしてその日の仕事終わりに、ポスターに惹かれて『白鍵と黒鍵の間に』という映画を観た。昭和63年の夜の銀座を舞台にした、一人のジャズピアニストの話。

そのセリフの中で出てきた「ノンシャラン」という言葉が、当時の自分に刺さった。

ノンシャラン
〘形動〙 (nonchalant) 無頓着なさま。のんきなさま。

なるほどそうだよなぁと。あんまり気を張りすぎず、ノンシャランな感じで軽やかに生きるくらいがちょうどいいよなぁと、なんだかとても腹落ちした。映画はこういうふうにポロっと人生のヒントをくれるから好きだ。

たゆたうように、ノンシャランに。それくらいの軽やかさで、人付き合いをたのしんでいきたい。


「凡人」→「恩人」へ。

新卒で入社して3年間働いた繊維メーカーをやめて、未経験で広告業界に飛び込んでからの2年半。新卒から広告業界で働いている優秀な同年代の人たちと比べた「凡人すぎる自分」に焦り、とにかく成長だけを考えてアホみたいに働いてきた。

人の倍働けば1/2の時間で追いつけるだろうというマッチョすぎる理論を信じて働いてきた。キモすぎる。

しかしながら、ふと我に返ると、成長した先にどうなりたいのか、何がしたいのか分からない。

そもそも、絶対的な自分の人生に「他者との比較」という相対性を持ち込んでいること自体がナンセンスではないかと思うようになっていた(とはいえ比べちゃう)

旅行するなら、まずは「どこに行きたいか」を考えて、そのために「どんな交通手段で行けばよいか」を考える。
だからこそ、人生でも、まずは「どうなりたいか」を考えて、そのために「何をするべきか」を考えたい。

そう思って色んな人と話し、あれこれ考えてきたけど、これがなかなか難しい。

そんなモヤモヤを抱えながら半年間を走り抜け、到達した企画メシの最終課題は以下のような内容だった。

「あなたはどんな企画をする人になりますか?」
「キャッチーなタイトルと、ログライン(3行~5行)で表現してください」

課題文を見た瞬間、「あなたの将来の夢は何ですか?」と聞かれているような気持ちになった。
これはモヤモヤを晴らすチャンスだな~という気持ちで課題に取り組んだ。


企画メシに通い始めてから、一気に人とのつながりが増えた。しかも、同じ旗のもとに集う、心地の良いつながりが増えた。 

そうしてたくさんの人と出会うことで、純粋に人生の充実感がグッと大きくなったし、あれこれ会話することで自分の悩みがポジティブに変化していく感覚もあった。

人とのつながりは、あらゆる悩みを解決する特効薬なのかもしれない。

だからこそ、そんな出会いを生み出す「企画メシという企画」ってスゲーなと思ったし、自分もそんな企画で誰かの人生に貢献したいなと思った。

自分の仕事で、「感謝」よりもっと深い部分にある、「恩返ししたい」という想いを引き出せるほどに、誰かの人生に貢献できたら最高だ。

そうして、自分の目的地、つまり将来の夢を「誰かの恩人になること」に決めた。
人と人とのつながりを生み出し、より強くする企画をつくり、誰かの恩人になる。

では、その手段は何だろう。

広告なのか、プロダクトなのか、コミュニティなのか、はたまた商業から離れた作品づくりなのか。

どんな道筋で夢を叶えていくのかは現時点ではさっぱり分からんけど、自分の直感を信じて、足取り軽く、人との出会いを大切にして、いろんなことに挑戦していきたい。


p.s.
企画メシの期間中にぼくが一番多く口にした言葉は「あぁ…東京住みてぇ…」でした。


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