見出し画像

いつも花があった。


秋のお彼岸に、実家の弟のところに両親のお供え用のお花を送った。母が生花を教えていたこともあり私の生活にはいつも花があった。毎週新聞に包まれて配達されるお稽古のお花、そして小さな猫の額のような庭でツル薔薇を育てていた父。母が父と結婚することにした一つの理由は、お見合い結婚ではあったが父がお花を育てるのが好きだということだったらしい。だから後々、夫婦仲が悪くなった時には、本当にお父さんは薔薇を育てるのが好きって言っても、薔薇の苗を買うことばかりで、育てるのはね。。。ということであった。そしてそこに付け足されるのはお父さんは子供を育てるのももう一つねえ。という父批判でもあった。

そういう母も、庭仕事好きだったかというと多分違うと思う、綺麗なものが大好きな母はお花を愛でる方が好きだったと思う。花に生命を吹き込むのは大変上手だった。母がストンと何気なく差し加える花、枝はその場所にうまく落ち着いた。幼い頃から、お免状を取り、日本を離れるまでは自宅のお稽古、そして母の出稽古のお手伝い、花を生ける生活が日常だった。だから美しいかたちは自然にわかる様になっている。これがきっと門前の小僧習わぬ経を読む、なんだと思う。

スペインで暮らし始めて、残念だったことは生け花が簡単ではなかったこと。アリカンテは砂漠的な気候で、自然な樹々はブーゲンビリア、パーム、松。そして ハイビスカス、ゼラニウム、というのが主流で、どれもこれも主張が強く、とっても生花にしたい花ではなかった。うまく組み合わせる枝物、葉物、花物が見つからなかった。

南スペインの代表とも言えるブーゲンビリアは庭木として植える時、割り箸の様な根もついていない苗であった。クリスマス前に、まだ出来上がりとは程遠い家の広い庭の囲いとして植えた。まるで菜箸棒を突っ込んでいくという、なんとも愛情のない庭仕事を夫とした。そのアリカンテの地面はちょっと赤茶けた粘土の様な乾いている時はなかなか掘ることのできない土壌であった。

アリカンテの雨は、冬の時期に何日か、大量に降ることが多く、夏はほとんど雨が降らない。雨の後、粘土質の土は歩くと靴の裏にベタベタくっつき、とっても汚い。だがこの土、地表はカラカラに乾いても、内部はしっかり保湿できる。1年から3年で突如割り箸みたいなブーゲンビリアは急にメキメキ育ち、数年もすると、刈り込みが大変になった。ブーゲンビリアには薔薇如きではない恐ろしい棘がある。だから泥棒よけになる為南スペインではテラスに垣根に植えられる。夏の間水をやらなくとも、基本的にピンク、紫、赤の花が長い間カラフルに彩りを与えてくれる。この棘のある、気ままに蔦で伸びるブーゲンビリアは生花には向かない。

アリカンテはヴァレンシア州、オレンジとレモンの生産地である。だから田舎の私の住んでいた村のそばにずっとつながるのはオレンジ、レモン、そしてアーティチョークの畑であった。私がその土地についた11月はオレンジとレモンがたわわになっていた。12月の終わり頃から収穫が始まり、ヨーロッパや世界に向けて出荷されることになる。スペイン人の友達ができてからは、オレンジは買う必要が全くなかった。シーズンになると、ビニール袋に入ったオレンジが庭の垣根に結ばれて置いていってくれた。しかしこれは全くジャムには向いていない。オレンジジュースにするか、そのままで生食。スペインでマーマレードといえば桃でした。もしくはアプリコット、いちご。昔はオレンジマーマレードのジャムが売っていなかった。セビリヤオレンジと言われる、そのまま食べては酸っぱすぎるオレンジがジャムになるのだけれど、それは街路樹として眺めるのみで誰もそれを取ってジャムにはしていなかった。

晩秋にスペインに到着したから、オレンジの木にオレンジレモンがたわわになっているのは見ていた。南スペインはクリスマスの頃でもそんなに寒くならず、お天気の良い日なら、クリスマスのランチをテラスでできることも多いし、朝夕はひんやり冷えることも多いが、半袖でゴルフができることもある。昨今気候変動はどこも一緒だけれど、南スペインは10度以下になることって少なかった。ただ日本から比べると太陽が登るのがとっても遅い、朝8時半ごろでも12月ごろは暗い、夕方も5時を過ぎたら暗くなった。

新年をスペインで迎えた1月末、アリカンテの田舎道をドライブして一つの丘を越えたところで私は息を呑んだ。そこはまるで桃源郷、日本の春がそこにあった。丘を越えたところが白に近いピンクの木々で覆われていた。夫に車を停めてと叫び、懐かしさでいっぱいになって、涙が出るほどはしゃいでしまった。なぜ、スペインのこんなところにこの1月末にたくさんの桜が咲いてるのだろうかと。日本でお花見に夢中になったことなんてなかったけれど、ああ、日本人の血が騒いでしまった。そして、後ほどこれが桜ではなく、アーモンドだと知る。

私のいたアリカンテの海岸はコスタブランカと呼ばれる。白い海岸。大抵の人はこの白い海岸を砂の色だと思う、でも白い海岸はこのアーモンドの花の色からそう呼ばれていると教えてもらった。スペインの南は、延々とつながるアーモンドの畑がたくさんある。そしてもちろんオリーブの生産も多い。もちろんアーモンド畑は日本の桜と一緒で、美しい花の季節はとっても儚く短い。その美しい、白い大地を見ることは、住んでいる人でないとなかなか難しい。スペイン人はお花見をしないから開花予報が出ない。

春にドライブするとなんとも言えないいい香りがしてくるのである。それがレモンとオレンジの花。蜂や虫たちが夢中になるのは当たり前。薄暗くなり、少し湿度があると窓を開けてドライブしていると甘い匂いがムンムンと香ってくる。花粉症と縁のない私はとってもそれが好きだった。

スペインに暮らす間に、実のなる樹についてはよく知ることになった。我が家の庭にも、オレンジとアプリコット、いちじく、レモン、びわを植えていた。昔日本の実家のご近所にいちじくが植えてあって、手のひらにノリそうな、大きな黒紫の実をよくいただいたのだが、私はそれが青臭くって嫌いだった。スペインの自宅のは緑の小ぶりのもので、中のみが真っ赤。とっても甘くて美味しい。大好きになった。食べごろに摘むのは鳥たちとの争いである。鳥たちは一番の食べごろを一番よく知っている。彼らより先に食べないと突つかれて穴を開けられてしまう。収穫とは鳥たちとの闘いなのである。そしてその鳥が落としたフルーツをうちの犬たちがよく食べていた。

スペインの家の庭に植えた木ジャコランダ。ミモザのような小さな葉っぱ、これが庭のプールの横にあったので冬場の掃除が大変だった。ジャコランダは冬に葉っぱを落とし、春に木にたくさんのティーバックの様な実がぶら下がる。硬い袋の中にいくつもの繊細で軽いタネが入っている。そして新芽が出て5月になるとこれに咲く薄紫の花。これも一つ一つの花がフジの様で美しく、小さな葉っぱと紫の花が見事なレースの様なコンビネーションで夕陽を透す様は幻想的だった。

日本人の記憶に残るスペインの風景の一つに、真っ白い壁に咲くブーゲンビリアと、窓枠を飾る、赤やピンクのジェラニウムがあると思う。グラナダ、セビリヤ、コルドバ、ロンダなどの写真ではお馴染みの光景である。30年以上前、スペインはまだまだ物価が安く贅沢に使えたのは素焼きや絵付けの陶器の鉢。陶器のプランター、鉢が300円とか500円とかで買えた。 気温が凍てつかない南スペインでは、冬の間でも陶器の植木鉢が使って大丈夫。窓枠に陶器の鉢にゼラニウムを植えておくのは100%に近くの家でやっていた、何しろ乾燥に強かった。庭木も同様たまに水をどっさりとやるだけで、地中の保湿で全ての樹木は育つ。オレンジ、アーモンド、アーティチョークの畑をやっている人は一月に1度か2度用水路の水を開け、まるで水田かと思うぐらいの量の水を与えて終わり。それがスペイン式であった。

降雨量が少ないアリカンテは水がとっても貴重。水道からの飲水だって質が悪く適さず購入するのが普通。海岸線から約3キロほど入ったところに家を建て直した時には、水が塩辛くって、歯磨きにするにも嫌だと思った。だから家の中に専用のフィルターを取り付けた。日本のおいしい、柔らかい水ってどれだけありがたいのか、日本人はわかって欲しい。髪の毛を洗ってもしっとりサラサラ。お肌もツルツル、石鹸を使って洗い流しても日本の柔らかい水は、肌に優しい。スペインの水は硬水である、その水で洗濯すると白い物はすぐにグレーになってしまう。

一度日本から持って帰ってきた紫蘇の種を植えた事がある、出芽を喜び、収穫を楽しみにせっせと水やりに励んでいた。が、5センチぐらいの高さのところで、ある朝庭に出ると影も形も無くなっていた。なんとカタツムリに見事に食べられていたのである。その他紫陽花であったり、ツツジであったり、沈丁花、ふじと日本の庭で見る花に挑戦したけれど、大抵が水不足で失敗。夫はスペインの家にたくさんサボテンを植えた。それが正解なのであろう。全て枯れることなくずっと根付いた。スペインの家には水をタイマーでやる様に機械を設置したし、そして庭師もいたけれど、やっぱり12ヶ月暮らさない家の庭を綺麗にしておくのはとっても贅沢なことなのである。

スイスとスペインをどうしても行き来することが多かったので、スイスに拠点を移しても、移動が多い我が家は植物をできるだけ避けていた。このコロナで事情は少し変わったが。ここでは山や森で、自然の花や木と出会う。春には山桜やすみれ鈴蘭を、その他自然の花をちょっといただかせてくださいと、丁寧にお断りして折らせていただく。スミレなどは根っこから掘って持って帰ってきて生花にする。これぞ本当の贅沢。

年齢を加え、ようやく自然と自分の距離の保ち方がわかってきたような気がする。傲慢でなく、できるだけ地球のご迷惑にならないように、全ての生命を尊重して感謝をして残りの人生を過ごしたいと思ってはいる。でもね、まだまだたくさんの失敗を繰り返し、後悔もしながら毎日生きるのが人生なのだろう。