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【創作メンタル】アーティストの心的苦悩を、観捨てない。

アーティストの創作活動には、心の怪我がつきまとう。逃げず癒やさず挑まない、正しい対応方法がある。このトピックでは、「心的ダメージの活用方法」を、知ることができる。“好きなことで、生きていく”はずがむしろ嫌いになりそうなくらいに傷ついて全方位に荒れているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 逃げず癒やさず挑まない方法 』

多くのアーティストは創作活動のダメージこそがテーマへの深掘り材料になることを理解しているしかしまた、その素質がない者も多い。苦しみと痛みを材料に創作を加速する者は、存在する。ダメージという猛獣を駆使して才能を燃やす人々は、心の怪我を恐れていない。

“苦悩”は、才能である。

とはいえ、正しい方法を知らねば傷は広がるばかり。制御機能に影響すれば肉体をも滅ぼしかねない。ならば、ただしく対処して去なせば良い。現象への対象は、カウンセリングにも先立つ具体策である。

味方をつけて被害を分散した隙に、正論で圧する。

その後の関係を案ずるなら、相手が態度を改めても完膚無きまでに論破し、逃げることも許さず後悔させることだ。ただしこの具体策を含め、せっかくの“苦悩チャンス”を逃してしまうのは惜しい。国際的な成功者たちはまるで習慣化されたタスクのように、なるべくならば「活用」を選び、“対処”を発動しない。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ドリュー バリモア、映画「チャーリーズ エンジェル」撮影中にビル マーレイからの侮辱に立ち向かったルーシー リューを称賛

ルーシー リューは、2000年に公開されたアクション映画『チャーリーズ エンジェル』の制作中に、ビル マーレイから「受け入れがたい、許しがたい」侮辱的な言葉を浴びせられたことを夏に明かしていた。今回、リューの共演者であるドリュー バリモアが、この事件について語った。

「実際に起こったことは、ビルがちょっとしたことで……コメディアンにはちょっと暗いところがあるから、彼はただ機嫌が悪かっただけなんです」とバリモアは言う。「そして、ルーシーがどれだけ自分のために立ち上がったか、それが不幸な状況から生まれた素晴らしいことだったのです。彼女は文字通り、“あなたのそのような行動は受け入れられません”と言いました。私たちは皆、彼女を支え、バックアップし、前に進みました」

「職場では、お互いに尊敬し合うことがとても大切です。もし自分が尊敬されていないと感じたら、自分の意見を述べ、周りの人に“私はこの人を支持する”と言ってもらうことです」とバリモアは続ける。「私たちはその場で対処し、強くなり、前に進みました」

ビル マーレイはルーシー リューに対して、 "テレビ女優 "として見下したという長年の噂がある。「そのシーンを演じているときに、ビルが侮辱的な言葉を浴びせ始めました。許せないような言葉遣いもありましたが、私はそれを黙って見ているつもりはありませんでした。私は自分のために立ち上がったのですが、そのことを後悔していません。どんなに地位が低くても、どこから来ても、他人を見下したり、貶めたりする必要はありませんからね。私はひき下がらないし、下がるべきでもありませんでしたから。」

リューとマレーの間に存在した緊張感は、最終的には解消された。2人は「サタデー ナイト ライブ」で再会している。「彼は完璧に、いい人だったわ。」 - OCTOBER 06, 2021 IndieWire -

『 ニュースのよみかた: 』

ベテラン俳優が映画の撮影現場で、共演若手女優を愚弄したが反論されて晒されたという記事。

または、偉そうな大御所が偉ぶったから黙らせた、という視点もある。この手の話題は表沙汰にならないだけであり、無限に存在する。そこにはジェンダーやフィロソフィーの不一致もあろう、足を踏まれていたのではない限りなんらかの屈折した想いが作用していたことは間違いない。その手のサポート情報は道徳的な良識人に委ねてここ「アーティスト情報局」では、アーティストのえこひいきに終始する。注目すべきは加害者か被害者かどうかではなく、創作の弊害としてアーティストが常時生産し続ける“甚大な心的ダメージ”への対処方法だ。

『 創作と心的苦悩は両輪であり、解消すべきでない 』

苦しみたくないなら、アーティストという生き方を選ぶべきでは無い。つまり正しくは、“心的苦悩は解消すべきでは無い”という解釈もある。観客はアーティストの苦悩を指標に、価値を観ている。

その上で、「活用方法」について理解しておこう。国際的な成功者たちの日常から観えてくるのはその創作姿勢同様の、大胆さである。ベテランが危機に対応できるのは経験則からの技術ではあるもう一方で、創作への武器とする方法を知っているためだ。

創作への武器とは呼称するなら、「断言領域の拡大」だ。


『 断言領域とは 』

苦難にあらばこそ、アーティスト本人がその当人である以上、観客やメディアはその領域に限り、責めることが出来なくなるのだ。具体を証明しよう。

「生活に支障のある障害児は、性格が捻くれる場合があるから注意」

わたし自身のことを話しているのだ。そんな危険な発言を出来るアーティストは、多くない。わたし自身が公害認定を受けた障害児であった幼少期を経て、現在もアトピー性皮膚炎に病む不治のアレルギーを持つ“苦悩者当人”なので、上記の発言は“得意分野”なのだ。

成功を手にしているアーティストたちは“苦悩領域”を拡大し、「絶対表現領域」を拡大し続けている。不幸と絶望を経験するほどに、発言と作品で表現できる領域が拡大するのだ。

苦悩の活用とはつまり、「無敵化」に他ならない。

また、SNSネイティヴの若手成功者たちの中には、“怪我もネタ”とする方法もある。しかしそれは苦悩の再利用であり創作への直接的な活用ではないので、贅沢な選択である。

『 活用用法の証明 』

苦難にあらばこそ、アーティスト本人がその当人である以上、観客やメディアはその領域に限り、責めることが出来なくなるのだ。具体を証明しよう。

「生活に支障のある障害児は、性格が捻くれる場合があるから注意」

そんな危険な発言を出来るアーティストは、多くない。わたし自身が公害認定を受けた障害児であった幼少期を経て、現在もアトピー性皮膚炎に病む不治のアレルギーを持つ“苦悩者当人”なので、上記の発言は“得意分野”なのだ。

成功を手にしているアーティストたちは“苦悩領域”を拡大し、「絶対表現領域」を拡大し続けている。不幸と絶望を経験するほどに、発言と作品で表現できる領域が拡大するのだ。

苦悩の活用とはつまり、「無敵化」に他ならない。

また、SNSネイティヴの若手成功者たちの中には、“怪我もネタ”とする方法もある。しかしそれは苦悩の再利用であり創作への直接的な活用ではないので、贅沢な選択である。

 “活用法”さえ知っていれば、傷は、あなたに自由を保障する武器になる。

『 編集後記:』

ビニール傘を買ってしまった。
もっとも買いたくないものの代表であり後輩にも、「傘を買うならタクシーに乗るべき。」と伝えている。“保管コスト”に見合わないためだ。最近のビニール傘もまたとても質が良くなっており、壊れない。結果、保管し続けることとなる。今日この瞬間まで傘に困ることは無い以上、それは“人生に余計な荷物”だ。

最重要な問題は、その先にある。丈夫で扱いに気を遣わない便利なビニール傘は、つい近所までであろうとも常用化する装具となり、あなた自身の印象を形成する。ビニール傘を持つ自身を設計していたわけで無い場合、それは結果への妥協となる。

ビニール傘を買わないために自転車を捨ててタクシーに乗れなかった自分の、危険予測能力の低さが露呈した結果だ。実に恥ずかしい。

計画の隣にある可能性という輝きを認めて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記