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アーティスト活動の世界標準:「マルチ ハイフネーション」

インディペンデントの、進化は遅い。
だが、“業界のメジャー法規”が瓦解したいま、インディペンデントの価値が輝きだした。世界が、インディペンデントと個人に、依存しはじめている。時代は、「マルチ ハイフネーション」へ。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 インディペンデントとメジャー 』

メジャーはもう、“業界”を護れない。
それは映画に限らない。ファッション、出版、メディア、不動産、小売り、医療、教育、開発、製造、宗教それこそ、考え得る限りのあらゆる“業界”が、メジャーの手に余っている。

一方で、その代役を担っているのが、
「コミュニティ」か「個人」である。
中小零細とも揶揄される“インディペンデント”が業界を、産業を、経済を支える時代、もう着ている。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ハリウッドのシステムを放棄する成功方法、「マルチ ハイフネーション」

トライベッカ国際映画祭を熱狂させた映画「The Beta Test」の“ジム カミングス”は、その肩書きを形容するのが難しい。監督であり脚本家であり、出演者でありながら、編集者でもあり作曲を手がけている。Kickstarterの資金支援で製作された本作は、自主配給の結果、メジャーからの配給オファーを獲得。“ジム カミングス”は一躍、インディーズ映画製作者の第一人者に躍り出た。“彼”はまだ著名ではないが、実際の存在価値はそれ以上かもしれない。彼は、ハリウッドのあらゆるチャンスと方法論に一切依存せずに観客を集める独特で特徴的な映画を製作することができる真のクリエイター、「マルチ ハイフネーション(※複数の肩書きで多角的に活動する)」である。トライベッカ国際映画祭の本作チケットは1時間で完売し、ベルリン国際映画祭によるリリースも予定されている。“出演者”でもあるジム カミングスは言う。「わたしはあまり、言い俳優ではありません。しかし監督でもあり脚本も担当しているので、どう表現すべきなのかを理解しています。」本作は間違いなく、“多くの理由により”映画界で話題になっている作品だ。全米脚本家組合が業界地位を争っている昨今にもカミングスは影響を受けることなく自分流を展開し、デヴィッド フィンチャー監督やハリウッドメジャー業界人から、支持的な反応を得た。それは、カミングス流のマルチ ハイフネーションこそが正解だという証だ。映画「The Beta Test」は、ノースハリウッドにあるジム カミングスのガレージを利用したポスト プロダクション編集室で、完成させる必要がありました。映画製作、だけではない。カミングスは映画のトレーラー(予告編)を作成し、宣伝マーケティングを開始している。「結果、わたしたちはハリウッドと映画業界のSYSTEMを、完全に回避しましたよ。映画人なら誰もが、そうすべきです。“システムの中の人々”は、気づき始めたんですよ。映画を創る代わりに20年間も会議に費やすという厳格な経験よりも、“自分で”成し遂げることにはとても価値がある、ということに。」 - JUN 09, 2021 VARIETY -

『 ニュースのよみかた: 』

プロデュース、脚本、監督、出演、編集、音楽、予告編、配給、マーケティングまで全てを手がけながら自宅ガレージで映画を製作しながら、メジャー映画と同等の成果を遂げた監督の話。その多角的な活動を、マルチ ハイフネーションと言う、という記事。

再現性の確立していない“いち成功例”なので記事は自己啓発以上の意味を成していないが、重要なのは、「マルチ ハイフネーション」が最上級の成功に届く時代になっている、という点だ。

検証してみる。

『 マルチ ハイフネーションとは 』

インディペンデントのアーティストにとっては誕生の瞬間から身についている日常であり、願ってもいず脱したいが結局、寄り添うしかない“多部門担当型クリエイティヴ”のことだ。

言葉の意味は、「ハイフンで区切られまくる職業」ということ。複数の肩書きを日本ではスラッシュを挟んで区分することが多いと想うが英語圏では主に、“ハイフン”で区切る。多数の肩書きをハイフンで区切る生き方を、「マルチ ハイフネーション」という。

ただし厳密には、マルチ ハイフネーションと“インディペンデント”は、イコールではない。

『 他部門を独りが担当するのではない 』

表向きではマルチ ハイフネーションに見えているがインディペンデントの実体とは、“ハイフンを排除して融合するシステム”のこと。

他部門を独りが担当するのではなく、“独りが担当できる形態にまで部門の壁を取り払う”、のが「インディペンデント」だ。

たとえば撮影現場のある瞬間を垣間観たならば、脚本と監督を同一人物が担当するのではなく、脚本執筆と演出(※演技指揮)と監督(※撮影指揮)が同時に行われている状況がある。スタッフはもう誰も、SCRIPT(映画脚本)を手にしていない。刻一刻とうつろう低予算の撮影現場において、“監督”が、即興で脚本を変更し続けて“言葉”で伝え、演技プランを用意できない俳優たちは監督の演技指揮を受けつつスタッフは、いま初めて目撃している現場の撮影状況に必要な撮影プランの具体指揮を受ける、
という状況だ。

それを後から他者に説明すると結果、
「マルチ ハイフネーション」が出現するのだ。
メディア用のサービストークに、踊らされてはいけない。

『 企業は、業界を護らない 』

世界が一時停止した現代に、“時代が急加速した”ことを認識していない人々は多い。この18ヶ月は日本で言うところの戦後高度経済成長期をも遥かに凌駕する勢いで、“時代は急加速”した。

メジャー企業は冷や汗を隠して息を潜め、「業界を放棄」している。言い過ぎだろうか。だが、自社の存続よりも業界を優先しているメジャー企業を、わたしは知らない。企業は、業界よりも、自社を護ろうとしている。まぁ、それも良い。

インディペンデントを生きる我々はついに、「真の自由“権限”」を得ることができたのだから。これまで業界を維持管理し、常に燃料を投下しながら運営してくれたメジャー企業には、感謝しかない。後は我々が、“業界”を預かろう。

『 泣くな、はしゃぐな。』

もう、インディペンデントは誰からも助けてはもらえない。
味方はいず、保護も支援もなく、作業量は爆発的に増え続けるが収益に夢はなくむしろ、ゼロ以下も一般化するだろう。

だが、泣くな。

インディペンデントの時代がきた。業界は大企業の手を離れ、コミュニティと個人が動かせるようになった。届かない頂点はなく、自分の判断と尽力がそのまま、業界にマイルストーンを刻む。

だが、はしゃぐな。

貴方が30歳以上ならもしかしたら、“現役人生生涯”に、これ以上のチャンスには恵まれないかも知れない。現在50歳のわたしには、最期の機会だと認識している。紆余曲折山あり谷あり、あぁなんてドラマチックな物語だろう。我々は“映画”を創っている。映画とは、日常を逸脱した不幸と幸運を描き、その“差異”の大きさを活用して観客の感情に作用する装置。
映画人の苦境や成功はそのまま、“観客の喜び”だと信じるべきだろう。

どこまでも苦しみ、泥を噛んで笑おう。

『 編集後記:』

“国際ニュース”に、世界一時停止前と比べて劇的な変化が起きている。とても情報を捕まえやすいのだ。まるで社内文書全てが公開されているかのようで、調べれば、尋ねれば、あらゆる情報がつながり、「ストーリー」になる。

各メジャー企業、あらゆる業界の中に無数に用意されていた“ブラックボックス”が、全開放されたかのようだ。
業界と、それを支えてきた大手企業の苦境が現れている。

歴史上、あらゆる業界は、誰かが創った。
それは往々にして、“たった数名”である場合が多い。

仲間たちと共に歩む今の価値を見誤らず、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記