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「映画」が再定義される

「映画」が再定義されようとしている。
映画館とストリームの二極化は、表層的な課題に過ぎない。
126年前の誕生から初めて、世界一時停止を経て現在、“映画”の意味が変わり始めた。製作者と観客の意識の差は、広がり続けている。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 最近のはなし: 』

劇場映画を創っている。
タイトルはまだ、決めていない。仮題として「The Cross」と呼んでいる。

主演の日本人は、誰もが知っている“10代のカリスマ”を女優に迎え、国際ジャーナリストとの共演による「社会派モキュメンタリー映画」にした。音楽にはロンドンからハリー ポッターやディズニー映画の巨匠が、企画開発にはウォーキング デッドやNETFLIX映画のプロデューサーが参加してくれている。

なかなかにニッチな作品だが、
情報リテラシーの高い人々だけに届けるには十分なサイズだ。

実際には1年前に撮影が終了している作品の、仕上げとマーケティングの並行中だ。監督としての作業よりも、プロデューサー作業が多く、歯がゆい。
だが、モキュメンタリー映画に重要なのは、本質的な価値化。映画から派生する情報自体にも、息づく時間が必要となる。スピンオフが必要だ。

そこで、
ナウシカから、もののけ姫までのジブリ映画、ブレードランナー、ヱヴァンゲリヲン、鬼滅の刃のアニメーターたちと、作品を創っている。

超一流の現役作画監督自らが描き下ろす「デジタル コミック」を製作中だ。タイトルは「TRI-X(トライエックス)」という。初めて公表してみた。

やがてニュースで目にする日が来るが、今日から逆算してもらうことで、メディアの情報掌握スピードを知ることができる。“現実”は常に、遥か先をいっているものだ。自ら手に入れる“一次情報”の重要性、価値が増大している。

ところで欲が出て、「超短編“フル原画”アニメーション」も創っている。
原画を6本分、仕上げてもらったところ。
今日は“動画化”の作業で、鬼滅の刃アニメーターとスタジオに詰める。

すると、ブロックチェーンの「NFT」に風が吹いた。投機ブームが去る時期を見通して国内最大の専門メディアと組み、「アーティスト支援」の新規事業を立ち上げることにした。

ローンチが6月に決定され、国際マーケット用チャネルの準備が佳境。

アーティストたちにA.I.の巨匠物理博士も加わって、作品製作はタイムアタック。若き精鋭ファウンダーが、各国メディアとの交渉に奔走してくれている。A.I.博士が間に合わせてくれた作品が“数字美学”に富んでおり、創作魂が震えた。

つまり、劇場映画を創っている。
監督作業よりもプロデューサー作業が大きく、歯がゆいのだ。

さて、はじめよう。

『 映画とは(※ネタバレ無し) 』

「長いフィルム上に連続撮影した多数の静止画像を、映写機で急速に順次投影し、目の残像現象を利用して動きのある画像として見せるもの。現在はデジタル撮影したものが主流。:広辞苑第七版より」

そういうことを書こうとしたのではないのだが、調べてみたなら勉強になった。舟を編む人々には、頭が下がる。

「映画とは」、この課題こそが誕生から126年間続いている検証作業であり、映画監督、製作者、演者の生きる路だ。

「映画館で上映される作品。」という一定の決定が覆された現代では当然、劇場公開をされないままにストリーミングに送られる作品も、“映画”と認識されている。

「観客がいる作品。」という決裁がある。「製作者の意識次第。」という概念もある。正解など無いが、「かつての映画人」と「新たな映画人」の癒着と乖離が同時発生している現在、ただ中の映画が傷ついている。不憫でならない。

どんな形態であろうとも、「製作者が観客の為に贈る映画」こそが映画なのではないだろうか。親が誰であれ、枯れていようとこれから生まれようとも、「映画として生まれる作品」は、映画なのだと信じている。

『 映画とは:製作者と観客の意識の差 』

監督と演者をはじめとする映画製作者の、意思が堅い。
時にはその堅さがゆえに、観客意識との差が生じてしまう。

現代に求められているのはアーティストの研ぎ澄まされた感性や、無駄を限界まで削ぎ落とした製作者の決意ではなく、「感じられる世界観」である。
断定することに違和感を感じる識者が多いことと想うが、数字が示す圧倒的な結論は、覆らない。

凝りに凝った演出よりも、ナチュラルなエピソードが愛され、
洗練されたドラマツルギーの上質よりも、モキュメンタリーの偶発性が求められている。“作者”よりも“撮影者”が価値を生み、演技よりも自然体が、エピソードよりも持続性が選ばれている。

一方で、映画製作者たちの価値は社会のブランディングにおいて遺憾なく発揮されており、時に経済界の基本構造にまで影響を与えている。

経済に例えるなら日本最大企業のトヨタは現体制ままならば2030年、崩壊に貧する。製作者たる経営陣の意識も、愛好者の意思も関係なく、トヨタを存続させてきた内燃エンジン式自動車が絶えれば、現体制は維持できない。王者とて「Woven City」などの都市設計に舵を切る現在、映画もまた、変わらねばならない。トヨタは既に、“自動織機製作所”から自動車への変革を成功させている。

映画が変われない、はずはない。観客のために。

あぁ、ところで。
まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:ジェームズ ボンドのプロデューサーたちが、AmazonによるMGM買収にコメント。「MGMの“007”はストリーミングではなく、劇場公開映画だと約束する」


AmazonとMGMの取引が発表されたとき、買収の中で最も話題になった映画フランチャイズは、ジェームズ ボンドの「007」映画シリーズだ。ジェームズ ボンドは、バーバラ ブロッコリとマイケル ウィルソンの製作デュオによってコントロールされているため、MGMはフランチャイズの完全な権利を所有していない。しかしAmazonは007映画を配給するスタジオの、親会社になった。ということは、将来的には、ボンドが独占的にストリーミングに登場することになるのではないか。しかし、ブロッコリとウィルソンの両プロデューサーは、それを否定。007映画は、劇場公開にこだわっている。メディアのVARIETYが両プロデューサーから、007映画シリーズが劇場公開を前提に作られており、Amazonの要望にも、ストリーミング専用にはしないことを改めて確認した。「我々は、世界中の映画館の観客のために、ジェームズ ボンド映画を作り続けることを約束します」とはいえ、ディズニー、ワーナーメディア、ユニバーサル、パラマウントは、大作の一部をストリーミング専用にしたり、劇場とオンラインで同日公開を実行していることから、Amazonが同様の希望を持っていることは当然だ。両プロデューサーが主演ダニエル クレイグでおくる新作「No Time to Die」が予定通りに公開されるのか、公開期間が大幅に短縮されるのか、どんな可能性も否定できない。 
- MAY 26, 2021 THE PLAYLIST -

『 編集後記:』

007映画のプロデューサーたちが、シリーズを買収した巨人ストリーマーのAmazonの意向を知りながら“劇場公開”を最優先する、と公言した、というニュース。

映画プロデューサーに、配給決定権限は、無い。
プロデューサーとうポジションの幅は広く、企画の開発から予算集め、映画の製作はもとより配給や販売の収益化にまで参加することも、珍しくない。

しかしそれは、
クリエイターやマーケターとしての技術提供であり、決定権はない。映画製作を起業に例えるところの、出資を伴わない選任社長、である。会社と事業は株主のものであり、社長が反意を示そうと、それは意見でしかない。

ただ、映画産業においては意味合いが異なる。
「映画館」と「観客」というのは時に、株主や社長以上に事業である“映画作品”への影響力を持ち、感情的な決定を反映させる力を発揮することがある。

映画館と観客の意に反すれば、プロデューサーであろうと製作者(出資者)であろうと配給会社であろうと、あらゆる破滅的な結果と向かい合うことになる。

その宗教的な圧が、映画とストリーミングの大きな違いでもある。
それは恐ろしくも、美しくて。

それでも映画館上映ばかりを意識しながら挑む、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記