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【作品の中の世界】表現者はどこまで、現実世界を持ちこむべきか

アーティストが作品の中に持ち込む輝きの数々は時に、現実を越える。一方で、リアリティーを追求するあまりに現実を越えられない不文律もある。このトピックでは、「常識と現実の違い」を、知ることができる。理想を追う余りに自身が表現すべき世界を見失っているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 “リアル”という虚飾 』

20年間の地上波テレビCM界で学んだのは、リアルは“リアル”ではないという事実だった。また、世界が一時停止するまでの風潮を表するならそれは、虚飾によって構成された“仮想社会”なのかもしれない。誰もが現実を覆い隠しついには、加工された自身を基軸として生活を描くことも常習化した。価値を判断できない人々はブランドに依存してコモディティ化し、“素に観える風”という嘘が蔓延していた。しかし、世界の価値観は一変した。

人々が虚飾を排し、“本質”を求めはじめている。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース: 79%の人が、映画/テレビのスクリーン上にさらなる多様性が必要であると回答、ViacomCBSの調査で判明

テレビ番組や映画の中で見られる表現に満足している人は、全世界で半数に過ぎず、79%の人がスクリーン上にもっと多様性が必要だと答えていることが、ストリーミングサービスのParamount+、スタジオのParamount Pictures、そしてCBS、MTV、Nickelodeon、Comedy Centralなどのネットワークを運営するエンターテインメント企業、ViacomCBSの新しい調査で明らかになった。

代表性が低いと感じている人のうち、約60%が自分のような人々が十分に表現されていないと答え、52%が描写の正確さに欠けるために代表性が低いと感じていると、調査結果をまとめている。

世界中の視聴者にとって表現がいかに重要であるかを示すものとして、80%以上の人が、テレビ番組や映画がカメラの前と後ろで異なるグループやアイデンティティを表現するために、より多くのことを行う必要があると回答ししている一方で、回答者の85%が、表現は人々の認識に影響を与えることで現実世界に影響を与えることに同意しています。

人々がどれだけ代表されていると感じているかは、自分が世界のどこにいて、誰であるかによって異なる。表現力が乏しいと感じる人の多くは、外見の面で自分と同じような人をスクリーン上で十分に見ることができない。代表されていないと感じる人の7割近くが、体型や服装などで自分と同じような人を十分に見ていないと答えている。また、身体に障がいのある人のうち、代表性が低いと感じている人の約40%が、自分と同じような体型の人をスクリーン上で見かけることがないと答えている。

また、外見だけでなく、「自分と同じように振る舞う人」(33%)、「自分と同じ経済レベルの人」(29%)、「自分と同じアクセントや方言で話す人」(22%)、「自分と同じような家族を持っている人」(21%)、「自分と同じような家に住んでいる人」(21%)が少ないと感じている人もいる。

また、ViacomCBSの調査では、「ステレオタイプを助長したり、異なる集団をいい加減に描いたりすることは、視聴者に大きなダメージを与える」としている。

表現力の低さは、視聴者の感じ方にも悪影響を与えます。「ViacomCBSの調査によると、表現力が低いと感じている人の60%近くが、重要でない、無視されている、失望したと感じていると答えています。代表性が低いと感じている人の中で、代表性の欠如が影響を与える分野のトップ3は、「自尊心と自信」(41%)、「所属感」(40%)、「機会」(34%)でした。

しかし、今後5年間で、「全世界の約半数の人々が、テレビ番組や映画における表現は改善されると考えている」ことがViacomCBSの調べでわかりました。  - OCTOBER 28, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

各国大調査の結果、テレビで表現されている人物と視聴者自身の認識に差が大きく、“自分たちのリアルと乖離している”、“改善すべき”という票が圧倒的多数だったという記事。

アーティストにとって実に悩ましい課題である。
観客たちが「自分たちの見た目や生活レベルと違いすぎる表現」と感じられるのは当然に一端では、“そう観えるように努力した成果”でもあるのだから。

『 常識と現実 』

常識とは、一般社会生活において標準化した仮想レベルの指標であり、“リアル”とは無関係である。また現実とは、誰もが納得していないながら抜け出せない本質である。つまり、常識は虚飾、現実は嫌われる、である。

アーティストは、ドラマツルギーに則した“世界”を選択する。物語性を追求するために便利なシチュエーションを活用することがあるしまた、独自の仮想世界を設定し、常識とも現実とも異なるファンタジーで魅了する。

だがその創作課程において、「常識=虚飾」「現実=嫌われる」の壁に阻まれて苦悩する。理想的な常識をルールとすれば信憑性を失い、現実を徹底すれば“観たくない”と目を背けられる。そこに正解はなくそれゆえに、観客それぞれに合致する数の多様な作品が生み出され続けている、という利もある。

『 リアルを生きる 』

アーティストは社会生活と一定の距離を維持しながらしかし決して溶け合うこと無く、独自のルールを生きてる。俗には“社会に疑問を呈するのが芸術”だとする言葉も有名だ。

しかし、もう時代が違う。

観客の価値観は一変し、“正直”を求め、“本質”を愛し、見栄と欲はグロテスクな異物と化した。いま、気付いているアーティストたちはあらたな世界を描きはじめている。ファンタジーでも無い、現実でもなくしかし常識に囚われない世界。

それはひとつに、「哲学」だといわれる。
各国のアーティストたちはオンラインを介して、己の哲学を共有し合ってる。“哲学”それは、“夢”や“計画”を導く本質がビジョンというストーリーであり、そのストーリーを推し進める劇的欲求、その中のルールなのだ。

アーティストには人数分の、哲学がある。アーティストが描く世界は自在に表現手法を変えながら、常識を払拭する新世界となる。

『 現実を超えろ 』

広告業界にいた。
それは、ハリウッド映画界を軽々と超越する技術とテクニックの共作であり常識的に、ナチュラルを凌駕するミラクルを生み出す。グロテスクな常識は現実に足を引かれながら、夢を失う。広告業界が描き出す色、空気、世界観はいつも豊かで、ソリッドな“答え”を観せつける。それは紛れもない、「理想」であった。

現代は正直を求め、質素を生きている。アーティストは今こそファンタジーを飛び越えて、「純度高いそれぞれの哲学」の解像度を上げながら、徹底的な近未来に向かうべき時だ。

社会基盤が揺れ、管理運営を司っていた企業という業態信頼が瓦解し、全世界同時に価値観が変化したこの瞬間に、ルールなど無価値なのだ。

求められているのはアーティストの哲学に基づいた、濁りの無いビジョン。それを過去の偉人たちは、「マナー」と表現した。映画監督が密揃えのスーツで撮影に挑み、画廊巡りにはドレスコードがあった。

現代という社交界を彩るのは、与え合う心と、価値の共有。
アーティストの哲学はやがて、近未来の社会を生む。

『 編集後記:』

生花が絶えなかった。
個展の開催から2週間を超えてそれでもただの一日たりと、花が途切れなかった。「GOZ:アニメーター郷津春奈さん」に寄せられたみなさんからのお気持ちが毎日ギャラリーを彩る、なんて凄いことだ。

生花のデリケートさを知り、その制御できない美しさに魅了される毎日だ。こんな時間が続くならわたしたちは、誰かの毎日を彩る花になれるのかも知れない。

激励と静観の中に本質を探す、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記