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【過去の再定義】アーティストは作品価値を証明する必要がある

作品を生むだけの創作体制は終わった。アーティストは作品の「企画中」と「制作後」に責任を負う時代を生きる。このトピックでは、「2022年以降のアーティスト職務」を、知ることができる。世の作品は一様に素晴らしく実のところ作品に差違を生みにくくなっていることに気付いているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 監督するだけの職人は、アーティストでは無い。 』

「映画監督」という肩書きの人物は多いが、アーティストはごく僅か。その多くは“撮影現場監督”に過ぎず現在の国際映画界においては、“監督”ではない。“監督”の地位は、奪われるだろう。

暴言では無い。
パリのホテルの地下で映画が誕生してから、今年で126年。撮影と上映の技術から誕生した「映画」は当然にシステムを持たずマーケットの外にありつまり、「映画監督」は存在していなかった。分業の果てに中間管理職から派生した“監督”という職業はいま、高度に進化した。世界中の映画監督は間もなく、「監督」と「職人」に分化される。

アーティストは現在、創作活動の“価値化”を責務としている。プロデューサーやキュレーターに依存しても未来は担保されない。彼らの多くもまた、時代に遅れた職人に過ぎず、アーティストとビジネスマンの谷に墜ちた作業員なのだから。

この前代未聞の大きな格差を決定づけるのは、価値化を実現する「再定義力」である。過去を作品を業界をマーケットを“再定義”し、実行できる人物だけが、アーティストである。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:大英博物館、「大波」を含む北斎作品のNFTを販売へ

大英博物館は、『神奈川沖の大波』(1831年)をはじめとする北斎作品のNFTを、フランスの新しいスタートアップ、ArtConnectionの協力を得て販売する。文化施設がNFTを販売するというアイデアは、パンデミックによる美術館の閉館の中で、ArtConnectionのJean-Sébastien Beaucamps氏が思いついたものだ。彼は美術館がこの新しいテクノロジーを吸収するのを助ける方法を見つけたのではないか、と考えた。

ArtConnectionと大英博物館は、今年の初めに提携を開始。「しかし大英博物館は、新しい若い観客を獲得するためにNFTを導入しようとしていたのです」とBeaucamps氏は言う。

クリスティーズの報告によると、NFTオークションの登録者の73%は、これまで一度もオークションハウスで入札したことがない人たちだ。Beaucamps氏は、NFTが美術史を教える手段になる可能性があると考えている。

北斎のNFTは、レア度の高いものから順に販売される。“大波”のNFTは2点のみで、これは "超レア "だと説明する。その他の作品は、1,000個、10,000個のエディションで提供される。

Beaucamps氏は、NFTは典型的な美術館のポストカードに似ていると説明し、「ただし、デジタルでユニークなエディションであり、転売がはるかに容易であることを除いては」と付け加えた。

多くのNFTスマートコントラクトと同様に、NFTのオリジナル作成者(今回は大英博物館)は、NFTがその後に販売されるたびにロイヤルティを受け取る。大英博物館は、NFTを提供する最初の博物館ではない。 - SEPTEMBER 28, 2021 Artnews -

『 ニュースのよみかた: 』

日本の浮世絵が英国で商品化されしかし、その成果が“原版の未来保存”を担保する価値を生む、という記事。

日本を蚊帳の外にした一連に歯がゆさを感じるのも事実だがこと「作品」のため、「観客」のためを想えばこそ、全方位に利点しか無いこのNFT事業に、敬意をこめて拍手を贈りたい。

作品は時代を越え、日本の魂と共に生き続けるのだから。

『 作品価値の定義 』

アーティストは自身の作品を誇り時には、観賞方法や販売経緯に不満をもつ。作品へのリスペクトを以てすれば当然であり、相応しい扱いを望むことにも100%共感する。ただし一方で、アーティスト自身が創出した作品に対して余りに“無責任”であることを指摘せずに入られない。

撮影現場だけで檄を飛ばし、“監督”と呼ばせる連中へのリスペクトは無い。企画を創出するためにリスクを負った勇者はプロデューサーと作家であり、プリプロダクションを成立させたのは出資者の覚悟であり、“撮影素材”を作品に昇華したのは編集者であり、それを観客に届けたのはマーケットの勤勉な戦士たちそして、作品を活かしてくれたのは「世界の観客たち」である。

作品の価値を決めるのは時に、作者ではないわけだ。
現代に自身を「アーティスト」だと自負するならばこそ、作者は作品の“価値にコミット”することが必須だ。

作品の価値とは、「企画中」と「制作後」に発生する。
つまり、「企画中のプロセスを作品化」して都度公表し続け、「完成後の作品を観客に届ける新展開を構築する」ことに、リーダーシップを持たねばならない。

作品を価値化できて始めて、アーティストである。
作品価値は、「アーティストの実行力」で定義される。

『 過去は価値化できる。未来は? 』

NFTは技術であり価値ではないがそれはまた、「作品」も同じである。作品を価値だと信じているのは、製作者か観客だ。そのどちらかが信じることを辞めたなら作品は、価値を失う。

だがNFTという技術はまた、作者亡き後も観客自身が新たな観客を創出したなら“価値”を拡大させられるという好例である。目新しいことでは無い、観客自身が“技術”を駆使して、キュレーター化しているだけのこと。

製作者、観客、後のキュレーターは三位一体となって、過去を価値化している。では、「未来」を価値化する方法は無いのだろうか。

作品の未来とは、現在の最先端を生きたアーティスト自身である。

『 アーティスト本人の証明責任 』

アーティスト「本人の価値」判断比率が高まり続けている。作品だけではなく、アーティスト本人にどれだけの価値があるかどうか、ということだ。

アーティストには作品を生むだけではなく、育てる義務がある。その義務を実行に移し、成果へと昇華できる者がこそ、価値あるアーティストである。

アーティスト本人は、作品の価値を証明する責任がある。その逃げない闘いと永久に続く知識のアップデートがアーティスト本人を価値化する。

世界の最先端を走り続けることだけが、アーティストの責任証明である。

『 編集後記:』

「観客のみなさんにアニメを、飾ってほしい。」

彼女のその言葉で、個展開催を決めた経緯がある。アーティストの彼女は自身の作品を“鑑賞”ではなく、日常の中に溶け込ませたいと願っている。わたしは実写映画人であり“劇場”というゴールに疑いがないしかし現在、映画界の頂点に君臨するアニメーションを生きるアーティストの彼女は、その先を観つめている。その作品は静かで、強くて、美しい。

彼女の求めている表現方法を、用意してみようと決めた。来月、披露する。試行錯誤の日々が続いている。

飾りのない正直さを表現する強さに挑む、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記