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【ユニコーンを生きる】アーティストは世界にどう意を問うべきか

世間とマーケットに受け身のアーティストが多いのは昨今に限った風潮ではないただし、そうではない“戦士”が存在するのもまた。このトピックでは、「無名より戦闘を選ぶ者たち」を、知ることができる。ここまでの毎日が明日への糧になっていると信じつつも実はただ老いているだけなアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 観客を愛し、時代に挑むアーティストたち 』

業界、作風を問わずアーティストたちは常に、今ではないどこかを目指している。それはまるで、満足しないために不満を積み重ねるかのように。

ここ「アーティスト情報局」では一貫して“アーティストびいき”を公言しているがそれゆえに、経済とマーケットに関する情報が多い。アーティストたちに不足している創作栄養がためだがもう一つ、国際的な成功を掴んだ巨匠たちについても届けていきたいと想っている。

どうせ間もなく我々も老いて、“最期の作品”と対峙することになるのだ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:巨匠脚本家でもあるポール シュレイダー監督、撮影準備中の新作を語る

チューリッヒ映画祭で生涯功労賞を受賞したポール シュレイダーは、2月に撮影開始する予定の新作を語った。「“3番目の役”を有色人種の若い女性が演じることになっているが、第一候補のゼンデイヤ氏は、出演料で折り合いがつかなかった。そんな時に、"あの人はどうかな "と思っていたら、2人の女性が現れたよ。もしも女優のサイビル シェパードとジョディ フォスターの二人がコーヒーを飲みに行ったら、映画“タクシードライバー”はどうなっていただろうね」(※シュレイダー監督は映画「タクシードライバー」の脚本家)

シュレイダー監督は新作に、孤独なギャンブラーでアブグレイブの退役軍人が若者を助けるために旅立つというドラマ「The Card Counter」を発表した。「私は一度だけギャンブルをしました。本当に興味がもてるのは“全てを失う”ことか、“全てを勝ち取る”ことだけだと気付いたので、辞めざるを得なかった。私はそこに座って、“家も、キャリアも、恋人も、すべてを賭けることができるなら、そうしたい”と考えていたよ」

「この映画は“ユニコーン”ですが、ユニコーンを作ることは滅多にありません。芸術家についての映画は、彼らの心の中に入ることができないので失敗します。画家についての映画を作るなら、彼がどのように絵の具を使ったかということが重要なのです」と語り、“自分の体験を語ることには興味がない”と示した。

「私は、故障した馬に乗って夕日に向かって自分のキャリアを終えることに満足しています。ただし最大のミスは、自分を尊重してくれない人たちと関わってしまうことにある。男性でも女性でも、監督は皆、“アルファ的”な生き物ですから、心の中では“椅子と鞭をくれれば、ライオンのいる檻の中に入ってやる”と思っています。でもね、ライオンが勝つこともある。」 - OCTOBER 04, 2021 VARIETY -

『 ニュースのよみかた: 』

老年の巨匠脚本家が新作を監督する意気込みを問われ、「なるようになることを受け止めるが、監督に従わないヤツは無用。わたしは獰猛に理想を追う」と語ったという記事。

この記事はなかなかにアーティストの文脈を読み抜いており、優秀な記者だと言える。名作「タクシードライバー:Taxi Driver」 (1976)の 脚本を執筆したのはポール シュレイダー氏が30歳、キャリア“2作目”というまるっきりの新人時代だ。カンヌ国際映画祭最優秀芸術貢献賞を受賞してなお現役にギラギラな巨匠に、敬意の拍手を送りたい。

しかしにさすがの名脚本家、記者の理解を試すような会話から辛辣な単語を導いている。その中で記者が解説を逃したと想われる「ユニコーン」と「Alpha的な生き物」について詳しくは後述してみよう。ここでは、ユニコーンを“注目作”、Alpha的な生き物を“自信家のリーダー”と意図していると想われる。

『 “ユニコーン”という存在 』

非上場創業10年以内評価額10億ドル以上スタートアップ企業の話をしているわけではない、2013年に“誰も観たことが無い”という観点から幻獣に例えるようなレベルの彼らが知るわけもない本質について伝えてみようと想っている。

ユダヤ神話や東欧の民話に登場するユニコーンとは、傲慢で凶暴、無敵の野獣である。地上のすべての生物が服従したにもかかわらず箱船に誘導したノアに「わたしは泳ぐ!」と捨て台詞を残した猛者だ。限界ギリギリながらも泳ぎ続けたユニコーンの勇士は全生命体にどう観えたのだろう。ユニコーンは“角”にとまった鳥の重みで、水中に没したのだ。

なんて素晴らしい最期だろう。
作品という限界の闘いは確かに、ユニコーンなのだ。

『 Alpha的な生き物 』

“Alpha”とは、常に自信に満ちた意欲的で社交的なリーダーを示す言葉だ。新約聖書の“ヨハネ黙示録”にたとえるなら、「Alpha and Omega」として、“始めと終わり”、“最初と最後”を意味しておりつまりは「最重要な存在」だとされる。

映画監督というAlphaな存在とは、決して飼い慣らすことの出来ない獰猛なユニコーンを笑顔で迎える、覚悟の生き物である。

『 映画監督という生き方 』

映画監督にも多くのタイプがいる。昨今ではフィルムのポジ編集経験も無く“映画監督”を名乗っている者がいる。過去を知らずとも作品は創れる、事実でありながら一方で“創れない領域がある”という現実もまた。

フィルム知識が無い、自分でカメラを扱えない、編集ができない、VFXの最新Know-howを持たず、国際マーケットにアクセスしていないならその人物は、「映画監督」では無い。“映画に似た動画を創っているクリエイター”である。

東宝スタジオサービス ポストプロセンターの“ポジ編集室”にはまだ、スタインベックが完備されている。先ずはその部屋で一冬を過ごしてから、キャリアをスタートすべきだ。何故か。

国際映画界の頂点で交わされる最低限の会話を理解するための、常識だからだ。映画の歴史は、僅か126年。映画製作に対応不能な領域があるならそれは、ただの怠慢である。偽物に、居場所は無い。映画監督とは職業ではなく、“生き方”なのだから。

『 編集後記:』

“アレッタ”という野菜にはまっている。
国内産の、ブロッコリーとケールを掛け合わせた変種だ。“茎ブロッコリー”とも称されるこの野菜は、ケールの葉を持つ背の高い小ぶりのブロッコリーだ。生食よりも軽い炒めものに最適で、先に火を通した茎部分はブロッコリーよりも歯ごたえが残り、後から投じる葉は彩り鮮やかで、アーティストの質素なワンディッシュの色となる。

本来の価値が掛け合わされるのは更なる高みを求めるためだろうしかし、全く異なる価値を生む可能性でもある。スタジオに籠もる生活はいつも、刺激的だ。

昨日と今日を掛け合わせて近未来をつむぐ、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記