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【GOZ:郷津春奈】アニメーターによる単独個展は成功したのか

“アニメーター”、誰もが知るこの職業には“顔”が無い。実力者が自らの作品を発表出来ないことにより、著名な成功者になれないことに起因する。このトピックでは、「アーティストの勝ち方」を、知ることができる。もしも成功できたならと夢観て実力だけを向上させていながら実は超一流同士には圧倒的な差がつかないことに気づいているアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 アーティストが行動する意義と成果 』

世相を斬るビジョナリーであったアーティストの性質は、変化している。ことインディペンデントに関してみれば活動の主流はローカルからオンラインへと移行し、自ら行動を起こすタイプは激減している。

集客への意識にも変化は強く、来客よりもフォロワーを求め、完成作品の観客よりもプロセスをコンテンツ化した“継続的なVLOG”の価値化が重要視されてきている。アーティストは“行動”するよりも、自ら情報発信することに注力する傾向が強くなっているわけだ。

それはまた、「意義」と「成果」を曖昧にする危険性を内包するのだが、理解しているアーティストは多くない。たとえば日常的な情報発信や反応には“満足感”という中毒性が働き、「意義」を曖昧にする。オンラインや常駐するコミュニティを越えない活動は成長に制限がかかり、「成果」を生み出しにくい。

オンライン  プラットフォームとソリューション全盛期の現在であるからこそ、ローカルの現地にて、リアルの接客を経験することが重要だ。メガバースはまだ遠くとも以後は確実に、アーティストの活動域はオンラインに振れるならばこそ、“リアル会場開催”への参戦が必要なのだ。

なぜか。
「業界」「マーケット」「ファン」の活動域は、ヴァーチャルでは無いからだ。アーティストだけが姿を観せない状況は、成立しない。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:GOZ:郷津春奈単独個展閉幕で問われる、アニメーターの実力は芸術界に通用するのか

日本のアニメーション業界が生んだアニメーターが、芸術界に挑戦した。場所は東京の銀座。この国の文化マーケットの中枢にして、芸術界の最高峰であるこの街で、彼女は通用したのか。アニメーター郷津春奈、彼女はアーティストとして活動名を“GOZ”と定め、出版社や製作委員会ましてやIP.に依存しない“完全オリジナル作品のみ”で堂々、芸術界に挑戦。主催の国際映画スタジオNOMAは、「アニメーションを、飾る」というコンセプトを打ち立てた。高尚なギャラリーが建ち並ぶ芸術の激戦区において、16日間の静なる闘いはまったく予測の立たない開幕を過ぎた。

映画界でこそメジャーの頂点に君臨するアニメーターの郷津であるが、こと芸術界における“GOZ”の認知度はゼロであり、意気込み以上の保証はない。それにもかかわらず、アニメーション界から次々と巨匠が来館。GOZとの対談も実現した。やがてそれはトリガーとなり、開催の報は早々に62媒体に転載され、SNSによる多数の拡散があった。アーティストの決意は、声優界、映画界そして国際メディアから大御所文化人、事業家へと伝搬されていくこととなった。

しかし、アーティスト本人がクロージング席に立ち会うわけではない。成果はギャラリーの管理財団による集計がなされるまで完全に、不明である。

NOMAは同会員から多数の一流クルーを投入し、この無謀な闘いを支持した。それは危険な賭けだったのかも知れない。もしもこの個展が成功しなかったなら、それは、“アニメーター”という日本が誇るキャリアに泥を塗ることにもなりかねない。“分散型業界”を実現しているNOMAのチーム各社、各人は、それでも参加者を増やし続け、あらゆる可能性を創出し続けた。

GOZ:アニメーター郷津春奈、最初の闘いは幕を閉じた。しかし彼女は本日も、そして明日も来場者たちとの会議に招集されている。それは吉と出るのかそれとも。

主催のNOMAは、国際スタジオのポリシーに則して明確に、その成果を公表することを決定した。GOZ初の個展、その作品成約価格を公開しようということだ。管理財団の集計結果は、間もなく明かされる。 - NOVEMBER 01, 2021 NOMA -

『 ニュースのよみかた: 』

GOZことアニメーター郷津春奈の個展が閉幕したが、主催のNOMAが異例の“成約価格公表”を公言。個展成功の是非が問われるという記事。

活動を休止していたように観えた国際映画スタジオNOMAであるが、そうでもない。活動の場が国外にあったことから日本での露出が無かったに過ぎない。その中で、国外活動も活発であったNOMAメンバーの郷津春奈さんへの注目が高まった結果の、本企画である。

NOMAには多数のアーティストが所属しており非公表ながら、大手広告代理店、芸能プロダクション、大手メーカー、大手企業との連携が可能になっている。しかし、そこに特別扱いは無い。NOMA内で“単独個展企画”を実現したことは、彼女が獲得した成果である。それが、数字として表れることを祈念したい。価格や収益は二の次でありつつもアーティストにとって、明確にその存在を証明する手段のひとつである。言い訳は、通用しない。企画とキュレーターを担当したわたしの判断もまた、GOZさんと同じ評価の元にある。楽観は、無い。

『 アーティストは業界へのマナーを忘れず 』

残念ながらに、“自由”をはき違えるアーティストは多い。
表現は自由、活動は自由、ルールを更新することがルール、それは正しくまた、そうあるべきだということは、歴史が証明している。

しかし、だ。
「業界へのマナー」「観客へのマナー」「社会へのマナー」には例外が無い。“道徳”という曖昧なものではなくなんならマナーとは、文化が丁寧に積み重ねてきた“成果”であり、更新が許されない先人への敬意である。

国際的な成功を収めているアーティストの多くは、先人のための時間を生きる。老いれば当然に第一線を走ることは出来ず自然と世間の認知から薄れてしまっている先輩のために、必要な活動をする。偉業を成果として整理し、ご健在を成果として湛えて公表し、業界へのご献身を成果として評価して、歴史の中に正しいポジションを用意する。

アーティストは創作活動の外で更に、マナーに則した重要な活動を行う必要があるのだ。

『 勝ちかた 』

シンプルながら、語られることの少ないトピックである。それは、芸術作品に優劣は存在しない、という大義名分によるとも言われるしかし、アーティストには必ず、優劣がある。それは、“受賞”や“富”とは異なる実力格差である。

その上で、“勝つ”とはどういうことか。
ここ「アーティスト情報局」では、アーティストのための情報を忌憚なく伝えることをモットーとしている。そのことから、率直な言葉を選ぶこともある。

ライバルのアーティストを圧倒することが、「価値」であり「勝ち」だ。アーティストは常にライバル関係にあり、共存共栄は無い。“勝つ”とは、ライバルが競えないレベルの圧倒的な状況を創出し、その舞台で“成功”をおさめることにある。失敗すれば、自滅。挑んだレベルが高いだけ、痛手は大きい。

ライバルと並んで競っている状況は、どちらにも価値は無い。よって、社員アーティストには社内以上の優劣は無く、競っているとは言いがたく、評価基準を満たさない。デファクト スタンダードに、“社員アーティスト”などという中途半端なポジションは、存在しないのだ。

『 編集後記:』

映画の撮影を終えるとスタッフたちは一様に、安堵からくる興奮に打ち上がる。一方で映画監督はといえば撮影の10倍時間を要する膨大な“スタジオでの編集作業”の始動タイミングであり、突如として日常が一変する混乱期にある。

と同じことが、“アーティスト個展”でも発生する。
いま、キュレーターの担当業務は新たなフェーズを迎えている。一つだけ、違う点もある。キュレーターの活動は穏やかに、「映画」へとフェードできるのだ。

新たな仲間たちとの膨大な可能性を受けて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記