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【アーティスト格差】狭い探求と広い視野が圧倒的な強さを生む

アーティストの格差が、危険領域を突破した。収入格差などどうでもいいレベルに重要な“自由度の格差”である。このトピックでは、「自由な活動領域を獲得する方法」を、知ることができる。社畜アーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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作家のニール スティーヴンスンが作品の中で名付けた仮想空間サービスは、実現する。メタバース(metaverse)は、「超(meta)」と「宇宙(universe)」からなる造語だ。Facebookが社名を社名を「メタ(Meta)」に変更するのは当然に、照準あってのことだ。

アーティストは時代を見通すビジョナリーとして、ときに科学者たちの信頼をも獲得し続けてきたことは歴史が証明している。先の“メタバース”もまた。

しかし、本当にそうだろうか。
アーティストの情報収集力は、かなり低い。不勉強ということではなくそもそもに“インプットおたく”であるアーティストは、時代の最先端を見つめ続けているわけでは無い。

思想と創造世界をも観通す視野は極端に広いが、興味対象は極端に狭い。そこを深掘りし続けることでアーティストたちは、独自性に到達してきたのだ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:科学者出身のアーティストが語る

カーステン ヘラーはアーティストである前に、科学者でもあった。農業学の博士号を取得し、昆虫のコミュニケーション戦略を研究していた。その後、学術的な野心を捨てることになるが、ヘラーは新しい参加型のアート作品を発表。7.8 (Reduced Reality App)」(2021年)は、「Acute Art」というアプリで体験できる拡張現実(AR)作品だ。

この作品は、携帯電話を乗っ取り、毎秒7.8拍のテンポで振動したり点滅する。この周波数は、脳波を乱し、わずかな幻覚を引き起こすと推測されている。ヘラーは長い間この周波数に魅了されており、1990年代から一貫して作品に登場させている。この熱狂的な音の波が観客にどのような影響を与えるかはわからない。

最終的にはどのようなものを開発したのですか?

「7.8ヘルツの周波数は、あなたに何かをもたらします。それは何らかの形でおそらくあなたの脳波と相互作用します。これは1924年にドイツの科学者、ハンバーガーが提唱したものです。フンベルガーは脳波を発見した人で、脳波が外部から影響を受けることを仮定しました。

この作品は、このような集団的な失敗のファンタジーを遊ぶためのものですか?

「ええ、そうですね。しかし同時に、非常に美しい効果も生み出しています。つまり、この作品には2つの側面があるのです。かなり幻覚的で、ある意味ではハイになると思います。しかし、今回のプロジェクトでは、AR技術を使用しており、技術的にも先進的です」

このサイケデリックなプロンプトの技術的な側面への移行については、どのように感じていますか?

「私はさまざまなことを探求することにとてもオープンで、物事をめちゃくちゃにすることにとても興味があるんです。」 - OCTOBER 01, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

科学者が“独自理論”をテーマに目新しい表現手法を選んだ作品を多発して、アーティストとしての地位を確立している、という記事。

特筆すべきものの無い、数多あるテクノロジー系インスタレーションのひとつである。注目すべきは作者が、“科学者”だという現実だ。その専門である領域から独自解釈による“とんでも理論”を持ち込めばアート界において、それを糾弾できる立場の人間が存在しないことを、彼は気付いている。

芸術界に対しては「科学だから」と、科学会には「芸術だから」と説明できる彼のスタンスは、実に不確実でありながら、存在しない架空のポジションを確立している“アバター”である。

『 アバターを生きるアーティストたち 』

アーティストの発言領域に、致命的な格差が発生している。表現と活動の自由を謳歌するアーティストと、コンプライアンスの支配下で息を潜めているアーティストに顕著だ。

一般に、フリーランスと社員アーティストがそれに該当すると想われているが、実はそうではない。確かに“社員アーティスト”の圧倒的大多数は、国際社会を知らず経済を理解していず、マーケットの推移をアップデートしていないどころか構造にすら興味がない。“創る”その為だけに生きている純然たるアーティストだとも解釈できるが一方で、ストレスを抱え、生活に困窮ししかも致命的なことに、他者IP.の作品化だけを続けるあまりに“自身の作品を持たない”ままに現役を終える、絶望領域にある。

それは、社会に常識外の視点を提起することがアーティストの務めだとされる芸術界においてつまりは、一部のアーティストが致命的な機能不全にあることを意味する。彼らは他者IP.用のマシンであり、アーティストでは無い。

一方で、フリーランスながらに自由無く、社員ながらに圧倒的な看板力を武器に自由を獲得しているアーティストも、確実に存在している。などという保険をかけるのが一般的だが35年の日米映像業界人生でそんな人間には独りとも出逢ったことがないことから、その確率が絶望的に低いことを理解している。

ここ「アーティスト情報局」ではアーティストへの再現可能な具体を提供することが目的なので、不自由への理解は必要ない、と判断して続ける。

では、“自由”を獲得しているアーティストには、どんな特徴があるのか。「アバター」をもっている、ということだ。「自身=アーティスト」という活動には限界がある。一方で、自身の能力や偏愛による価値を拡張し、誰にも否定できない領域を獲得することで、“責められないアーティスト”を創造しているのだ。さながら、アバターのように。

『 製作委員会、終わる。 』

「製作委員会の申し出なので……」という連絡が入ればアーティストは誰もが背筋を凍らせて、その提言に即する。“製作委員会”という絶対組織こそが、自身の生活、活動、人生の未来すべてを司る絶対君主であるためだ。

まったく滑稽である。

製作委員会は、日本独自の事業形態であり、幹部企業を取り巻く複数社の閉ざされた連携はブラックスボックスとなり、企画は元より事業全体の信用度を下げている。デファクト スタンダードに採用されないのは当然であり、国によっては“談合”として法に抵触する。労働組合や集団訴訟に意識ある各国においては、組成不可能な方式なのだ。

そこに従うべきなのは、「製作委員会作品」に参加しているアーティストだ。彼らは“独自ルール”を飲み、コンプライアンスに納得したのだから。

それ以外のアーティストには100%、無関係である。
製作委員会の綻びは既に、顕著である。10年後も維持できる可能性を見出すことはできない。念のために伝えておくが、わたしは製作委員会を批判も否定もしていない。とても脆弱で法的に穴だらけの事業形態であり、時代錯誤な消えゆく慣習だ、と理解しているだけだ。「そんなことを言えばもう製作委員会作品には参加できないだろう、活動可能性を狭める間抜けなアーティストだ。」などという声を聞いてみたい。わたしの元には常時複数の製作委員会から、協業の依頼がある。圧倒的な国際マーケットにネットワークを持っているためだ。ただし悔しいが、わたし自身の技量だけではないことは認めざるを得ない。

アーティスト各位に申し上げる。
媚びの先に、成功は無い。

『 編集後記:』

「GOZ:アニメーター郷津春奈 個展」が閉幕する。
事業家ではないので、無料にした。

「GOZ:アニメーター郷津春奈 個展」
—— レセプション パーティのご招待 ——

10/31(日)18時-22時
GOZ:展レセプションパーティー
ドレスコード:お洒落な装い
場所:シンクロアート銀座ギャラリー
東京都中央区銀座6-9-14 方圓ビル1F
https://bit.ly/3n1OKUm

当日、12:00-18:00までは通常開催

可能性に依存せず不可能に挑む、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記