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ヘリオス劇場聴講生1日目

5月26日

3月にヘリオス劇場でのプログラムを受けたときに、演劇教育士の人に頼んでインターンを受けさせてもらうことになった。乳幼児演劇に関心があることを考慮してもらって、2才以上向けの作品である『Kreis(円)』が上演されるこの4日間に劇場に滞在できるのである。インターンシップというよりもお仕事見学に近い。乳幼児演劇の上演を見たり、その際の演劇教育士の仕事を観察したりする。空き時間にはいろいろと質問ができて、上演がないときは資料を読んだり、映像を見たりして過ごすことができる。この日は14時半に劇場に行った。16時に上演された『Kreis』の上演を見学し、そのあとは演劇教育士の人とご飯を食べに行った。

▶開演前

ヘリオス劇場は開演の一時間前に開場している。これは劇場に余裕をもって来てほしいという理由だが、とりわけ低年齢向けの作品では、時間のゆとりが重要になってくる。多くの児童青少年劇場のホームページでは作品ごとに保護者向けの資料(Begleitmaterial)が用意されている。『Kreis』の資料によれば、20分前に来ることが推奨されている。ロビーで遊んだり寛いだりして、その場の雰囲気に慣れてから、異質な演劇経験へと誘うためだ。また、演劇教育士が子どもたちや保護者とコミュニケーションをための時間でもある。こうした事情から、舞台とは別に、ロビーのような空間が必須となる。

ヘリオス劇場のロビーには4本の柱があり、そこに荷物をかけることができるフックがたくさん付いている。4本の柱によって、部屋はゆるやかに9つに分けられている。真ん中は子どもたちが走りまわるスペース、その周りは子どもが座れる低いベンチとテーブルが用意されている。

受付があり、ここで予約の確認をする。お客さんは基本、予約してくるらしい。観客は50人ほど、家族単位(夫婦+兄弟)なので10数組だ。入口でチケットを切ったりすることはない。確認を済ませたあとは、ロビーのベンチで寛いでいる。

ロビーに4組ほどの家族がいるときだろうか。演劇教育士の人が目配せをして、ついて来るように合図した。ベンチで談笑している家族のもとにしゃがみ込み、「Hallo」のあいさつのあとに今回の作品における注意点について話しはじめた。『Kreis』では、天井から吊るされた石が揺れているため、舞台上に子どもが入らないようにしてほしいということ。上演中、子どもの様子を見て、一度舞台を離れたり、また戻ってきたりしてもいいということ。上演はロビーの真ん中からはじまり、それから舞台に案内されるということ。トイレは下の階にあるということ。驚いたことに、親子はとてもにこやかに演劇教育士の話を聴いていた。また、気になる点について質問していた。上演時間はどれくらいか。どんな作品かなど。注意事項以外にも、子どもが演劇を見るのははじめてかも聴いていた。

注目すべき点は二つある。一つは、家族ごとに説明しているということ。演劇教育士は様子を見ながら、一つの家族ごとに(近くに集まっている場合には複数の家族に対して)、コミュニケーションを取っている。日本で子ども向けの演劇の手伝いをしたときには、お客さんが揃ったところで大きな声で説明するか、列に並ばせているときに度々アナウンスするかだった。FRATZフェスティバルでは、上演前の舞台に着いてから説明があるだけだった。もう一つは、家族と話すときの演劇教育士の姿勢である。しゃがみ込むことで、子どもたちや座っている保護者と目線が同じか、それよりも低くなる。身体的なポジションによってステータスを低くすることはとても重要だ。それによって、親子は質問しやすくなり、コミュニケーションを取りやすくなる。

あらかた声をかけ終わると、今度は受付のところに行った。残りの観客を把握するためだ。それから、舞台の方にも行く。演者に観客の様子や、開演のタイミングを打ち合わせるためである。そうしてまた、ロビーの様子を見つつ、家族に声をかけたり、受付や舞台に行ったりする。そして、遅れ客の様子を見ながら、開演の合図を舞台の演者に伝える。こうして見ると、舞台監督のようだ。舞台監督と異なるのは、観客とのコミュニケーションが重視されている点だろう。

▶上演『Kreis(円)』

演劇教育士は手持ちベルを鳴らしながらロビーの真ん中へと進む。そこで、これから上演がはじまるというアナウンスをする。舞台へと続く扉を開けると、演者がやってくる。砂を手に持ち、腕を高く上げたところから砂を落とす。落ちた砂は地面に落ちて飛散する。その跡は円のようになる。彼はロビーのあちこちに、さまざまな大きな円をつくっていき、そのまま舞台の方へと入っていく。演劇教育士が合図して、演者について行くようにして、舞台に誘われる。

正方形の床を囲むように席が組まれている。真ん中には天井から吊るされた石。演者はそこに糸のついた小さな石を取り付けて回す。もともとあった中くらいの石は地球だとすれば、後から付けられた石は月だろう。小さな石は中くらい石の周りをぐるぐると回りはじめる。

小さな石を外すと、今度は別の中くらいの石をもってくる。真ん中の石の両隣にもワイヤーが垂れ下がっていて、そこに中くらいの石を取り付ける。今度は石をもったまま、正方形の辺の方まで平行に引っ張ってきて、手を放す。当然ながら石は、舞台を横切るように、振り子のように揺れる。演者にぶつかりそうになるが、ぎりぎりのところで頭上を通り過ぎる。子どもたちの感嘆の声が聞こえる。3つの石を振り子にさせ、そのあいだをゆっくりと歩み進んでいく。歯車が噛み合うように振り子のあいだを進む様子は見ていて気持ちがいい。「なにこれ!(Was ist das denn!)」と叫ぶ子どもに、会場が笑みに包まれる。その後は、振り子運動と周回運動を組み合わせたり、さらにそこに自転を組み合わせたりする。タイトルの「Kreis」は、円や輪、環を意味するが、幾何学的な要素の先に、宇宙というテーマを見ずにはいられない(子どもたちが宇宙の構造を知っているかはさておき)。

石のあとはバケツが吊るされる。バケツの底の栓を抜くと、ポタッと砂が落ちてくる。この瞬間に子どもたちの笑いが起こった。何かが落ちることと、それをはたと見つめる演者の身振りが面白かったようだ。演者は吊るされたバケツをコンパスのようにして舞台上を周回する。演者が進んだ場所は砂の跡が残る。そうして舞台上には円模様ができる。演者がバケツを円に沿って飛ばすと、バケツは慣性の法則によって周回を続け、二重三重に円の線を太くしていく。バケツの周回は徐々に小さくなっていくため、砂の描く円はだんだんと内側に渦を巻くようになる。砂の線は飛散するため、ぼやけている。幾重にも重なりつつ、ゆるやかに渦巻く砂模様は、銀河のようだった。

演者は銀河にジャンプして、着地したその場で足踏みしながらぐるぐると自転し、それからまた別の場所へ飛び移った。演者が足踏みした跡は歪んだが、そこでもまた別の宇宙が展開しているように見えた。たまに自転する際に指で線を引くと、土星の環のようになった。

4、5回の足踏みをすると、今度は舞台の四隅から粘土でできた人形を引っ張り出してくる。粘土の人形は、人もいれば、動物もいる。さまざまな鳴き真似をしながら、粘土を銀河のある舞台上に配置していく。このときの演者の人形の演技は計算されつつも、子どもの反応に合わせて即興で応対していた。小さな人形と大きな人形、若くて元気な人形と老いて疲れた人形、この対関係がリズムを生み、観客に笑いを生んでいた。この段階から、徐々に子どもたちが参加していいことになる。人に、蛇に、像に、犬に、猫に、鳥に、カエルに。さまざまな動物たちが銀河に配置され、舞台上はすっかりにぎやかになった。子どもたちは前のめりで、親が自分の子どもをやや押さえていた。

演者が人形をもちいて、一人の前のめりの子に「Komm mit(こっちきなよ)」と行った。それがセリフなのか、本当に大丈夫なのかよく分からなかったのか、子どもは一度席に戻った。演者は気にせず人形遊びを続け、しだいに子どもたちが舞台上に足を踏み入れてきた。人形を落ちてくる砂に当てて遊ぶ子がいて、親たちは楽しそうに笑っていた。人形で遊ぶ子もいれば、銀河の砂をいじって遊ぶ子もいた。

演者は人形遊びを続け、演劇教育士もそれに加わった。ただ遊んでいるだけでなく、遊びながら、子どもたちを邪魔しないようにしつつ、その場全体を見ているのだった。しり込みしている子がいれば、さりげなく人形をその子の近くに置いたりすることもあった。上演後に演者が話していたことによれば、子どもたちを中心に集めるために、いろんなところに配置した人形を中心に集めていたそうだ。その次に、動物たちを一直線に並べる遊びを提案した。演者が置くのに合わせて、子どもたちは次々と人形を並べていった。すべての人形が並んだところで拍手、終演である。

上演が終わるときには、このような参加オプションが用意されている。今回の観察から、その際の効果的な構造が見て取れる。すなわち、上演中に高まった好奇心を一度発散させ、それから徐々に落ち着かせるというものだ。宇宙というテーマに引き付けるなら、カオス(混沌)の後にコスモス(調和)ができるという感じである。

▶終演後

すみやかに帰るようには指示されず、好きなタイミングで帰ることができる。子どもたちは砂で遊び、親は別の親と会話している。演劇教育士も親に交じって会話している。この終演後の時間は30分ほど続いた。このままずっとここでおしゃべりを続けるんじゃないかと思っていたが、だんだんと帰る家族がいて、30分もすれば何も言わずとも全員が帰るようだった。

終演後の時間にゆとりがあることは重要だと思った。上演後の劇場は社交の場として機能する。演者や演劇教育士からすれば、感想を直接聞くことができ、観客である親子との関係を築ける機会でもある。親同士にしても、同じ年齢の子どもをもつ親と交流できる機会でもある。そして、そのきっかけが演劇であるというのは、とてもいいことだと思う。上演中に、お互いの親子の様子は見ている。作品についてでもいいし、子どもの反応についてでもいい。交流自体が目的ではない場所だからこそ、リラックスした状態で交流ができると思う。

驚いたのはスタッフの緩さである。ロビーにいる子どもが受付のハンコで遊ぼうとすると、演劇教育士はそれを止めるのではなく、裏紙を用意して、好きなだけハンコを押させてあげていた。また、親が飲み物を注文したとき、子どもが自分でコップを取ろうとするが、それを止めるでもなく、「このコップが汚れてないコップだよ」と言って、むしろ手助けていた。

劇場スタッフと親の関係はかなり近かった。これは劇場に限らず、ドイツの店一般に言えることかもしれない。店員にとってお客さんは神さまではなく、単なる客、つまり商品を買いに来た人以上の何者でもない。商売とは売り手と買い手がいて、取引が滞りなく行われるかどうかの責任は、店員と客、双方に等しく責任がある。

開演前のときに家族ごとコミュニケーションをとって説明するのは、親に子どもの面倒をみる責任があることを自覚させるためでもある。乳幼児演劇というと必要以上に過保護な親が問題になるものだとばかり思っていたが、そうでもないようだ。全く子どもの面倒を見ずに、自由にさせる親(父親に多いらしい)も困る。劇場がすべての責任を負うのではなく、親と協力して、上演を成立させるのである。乳幼児演劇にはこうした共同体(Gemeinschaft)の意識が欠かせないのだろう。そして、そのためには何よりもコミュニケーションが前提として必要になってくるわけである。

▶ご飯食べながら雑談

片付けの後、演劇教育士の人とご飯を食べに行った。乳幼児演劇やヘリオス劇場についていろいろとゆっくり話す機会として提案してくれたのだった。

聞きたかったことの一つに、どうやって信頼を得たのかという質問があった。ヘリオス劇場は家族で来場する観客もいれば、KITA(保育所)で来場する場合もある。そして、創作の段階でTRY OUTがあり、これには常連のKITAやスポンサーの親子などが見に来てくれるそうだ。観客からしたら無料で見ることができ、劇場としては反応を知ることができるので、双方にとってウィンウィンであるらしい。

どうして常連のKITAがあるのかについては、いろいろと回答がある。乳幼児演劇をつくりはじめたころ、町のKITAに片端から電話をかけまくったそうだ。それから、何と言って、毎回のコミュニケーションの積み重ねである。ヘリオス劇場自体は30年の歴史があり、乳幼児演劇をつくってからは十数年の歴史がある。そのあいだに積み上げた関係あっての今の体制なのだろう。

また、乳幼児演劇と教育の関係についても質問してみたら、教育的な側面からどんなことが言えるのかということに興味がないわけではないが、自分たちでそれを証明したいとは思っていないという返答だった。自分たちで発達心理学の本を読んだり、教育学者を呼んでのシンポジウムも開いたことがあるが、劇場としての関心の中心はあくまで芸術をつくることだという。この回答はとてもうれしかった。考えてみれば当然で、演劇をするのは教育のためではなく、芸術のためだ。

とはいえ、この芸術という概念が厄介だ。芸術とは何を意味するのか、と聞くと、世界や自分についてリフレクションするものだと言っていた。乳幼児演劇の存在意義を主張するときに、子どもの文化権が持ち出させる。子どもにも文化を享受する権利があるという主張であり、納得できるのだが、文化が何を指すのかという点を突っ込まれると厄介だった。芸術がリフレクションと関係するものだとする見方は分かりやすく感じた。実際、『Kreis』を見ても、自分の身の回りにある現象について、普段とは異なった形で取り出されている。これは世界や自分についてのリフレクションと言っても構わないと思う。子どもがリフレクションしているか証明することは難しいが、僕ら大人とは異なるレベルでリフレクションをしているとは言えるのではないか。

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