【モノの演劇祭】『Nettles』-部屋と記憶をめぐる旅

10月25日 WABE
Tricksterp
Nettles
コンセプト:Cristina Galbiati、Ilija Luginbühl

ほかの作品と違って静かで詩的な作品だった。観劇できるのは一人ずつで、ヘッドフォンをつけながら、いくつもの小部屋を移動する。ヘッドフォンから聴こえてくるのは、一人の女性の語り。その内容は小さい頃の思い出で、家族と過ごした日々や、日常のささいな出来事をきっかけにしたぼんやりとした思考など。一つの部屋あたり、5、6分ほどだろうか。小部屋はいずれも青緑色の壁に覆われていて、家具などのモニュメントと、照明が一つだけあるという点では共通しているが、部屋によって置かれているモノは違うし、照明の種類も変化する。空間の設えは語りの内容とリンクしている。また、ヘッドフォンから流れてくるのは、語りだけではなく、その内容の雰囲気と密接に関係している物音である。小部屋は一つのシークエンスで、そこで空間的・聴覚的に一つの思い出を追体験するというわけである。一人であるところがポイントで、小部屋にいるのは自分一人だけで、聴こえてくる音はヘッドフォンなので、かなり一人称視点になる。壁の色が青緑色であるのが良い効果を発揮していて、まるで一人の女性の夢のなかに紛れ込んでしまったかのような体験だった。

全体のメディア構成はそんな感じだが、抽象的すぎて上演の雰囲気がうまく伝わらないだろう。いくつか小部屋の体験の例を説明したい。最初に入った部屋には、真ん中にガラスケースがあり、そこにはスキー場の模型が置かれている。照明はこのガラスケースを照らすものしかなく、当然ながら視線はそこに集中する。ヘッドフォンからはスキー場のリフトに乗ったときの感覚が淡々と語られるほか、雪がしんしんと降る音が聞こえる。その次の部屋か、あるいはそのまた次の部屋かは忘れてしまった。部屋のすみっこで犬(ぬいぐるみ)が丸くなって寝ている。その反対の隅にスタンドライトがあって、その下にはスリッパが並べられている。そのときの語りの内容は、たまに自分が存在しないかのような感覚になるというものだった。小部屋にいる間、観客は自由に動いていいが、当然ながら犬を撫でても犬は反応しないし、部屋にある家具を動かす気にはならない。自分はこの部屋のなかにいるが、この部屋に存在はしていない。まるで自分が幽霊になっているかのような感覚でもある。

通底するテーマは、子どものころの思い出、人間という存在、それから死だろうか。後半は父親の死について語られる。ある部屋にはベッドだけが置かれ、そこで父がベッドメイキングにうるさかったという思い出が語られる。別の部屋では、父親の遺物(財布やらネクタイやら)が几帳面に並べられている。その部屋の壁だけ、ほかの部屋と比べてつややかで、夢のなかというよりはハイパーリアリズム的な雰囲気のなか、現実がただ冷たく迫ってくるという感じがした。それからまたいくつか経た部屋では、照明が地面の設置された街灯であり、そこに向かってクワガタの人形が列をなしていた。これは葬式や必ずやってくる死というものを暗示しているのだろう。その部屋に入った瞬間は、床にいる虫にギョッとしたが、やがて落ち着いてきて、その景色を美しいと思った。最後の部屋にはブランコがあり、また犬がいた。ブランコもどこかで見たか聞いたような気がしたか忘れてしまった。最初の犬はそっぽを向いていたが、今度はこちらを向いていたのが印象的だった。照明としてはブランコの座る部分が光っていた。部屋に着いたとき、ブランコは独りでにゆらゆらと揺れていたが、語りが終わりに向かうにつれ、やがて止まってしまった。

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