【演劇教育ゼミ】危機・限界について考える

この日のゼミのテーマは「Krise(危機)」や「Grenze(境界、限界)」だった。このゼミでは一つのテーマを2回にかけて取り組む。さいしょの回は理論的な内容について話し合う理論回であり、その次の回がワークをもとに話し合う実践回である。

今日は実践回で、いくつかのワークを行った。どんなゲームをするのかは担当グループが考えてくる。その際、理論回での議論のポイントや、配布されたテクストをもとにすることもある。重要なのは、テーマについての議論を深めるような内容にすることである。

①あいさつ
部屋のなかを歩きまわって、出会った人とあいさつをする。その際、ファシリテーターからあいさつのやり方について指示がある。ワークショップのアイスブレイクとしてはよくあるけれど、今回のテーマが危機と境界ということもあり、指示の内容はだんだんと抵抗のあるものになってくる。まずは普通に目を合わせて「ハロー」と言い、その次は握手、その次はハグ、そして、その次の指示はビンタだった。ビンタに関しては、痛くない程度で頬を触る人もいれば、手でパチンと音を立ててビンタのふりをする人もいた。

②罵り合い
二つのグループに分かれる。二つのグループは対立するギャングであり、自分たちの名前をつける。お互いに向かい合って立ち、グループのメンバーが横になるように並ぶ。互いに自分のチーム名を言ってゲームスタート。グループの一人が一歩前に進み、相手のグループに向かって何か悪口を叫ぶ。その際、残りのメンバーも遅れて一歩前につめる。悪口を言われたグループは「~だと!」というふうに、相手の悪口をリピートする。そして、今度は自分たちのチームの誰かが悪口を言う。そうやって言い合いをしていくうちに、お互いの距離はどんどん縮まり、やがて激突する。お互いに勢いよく悪口を言い合い、拮抗する様子を予想していたが、誰が悪口を言うか、どんな悪口を言うか、と考えてしまうので、ドラマチックな感じにはならなかった。

③YES/NO
ファシリテーターからYESかNOで答えられる質問が投げかけられる。部屋は二つの空間に分けられており、ファシリテーターから見て右手側がYESのエリア、左手側がNOのエリアとなっている。ファシリテーターからは、どっちつかずでも必ずどちらかに移動すること、なるべく考えずに直感的に素早く移動することが指示された。質問は、「お金が世界を支配していると思うか」、「人は自然にとって良い存在か」、「友人を傷つけないようにするために嘘をつくか」などだった。いずれも明確な答えはない。YESかNOに分かれたあと、集まった人たちでその理由を考える。そして、互いの理由を確認する。

④立ち絵
概念を身体で表現する。まずは3、4人のグループに分かれる。グループの一人は演出役になる。演出役はファシリテーターから一枚カードをもらう。カードには「差別」や「暴力」といった概念が書かれている。カードの内容を知れるのはファシリテーターと演出役だけであり、そのために演出役とグルプメンバーは言語によるコミュニケーションは禁止される。グループに分かれ、演出役はほかのメンバーの身体を無言で操作・指示しながら、その概念を表現するような立ち絵をつくる。この作業の際、ファシリテーターはグループ内で言語的なコミュニケーションが行われていないか確認する。感情については一人ずつ耳打ちするようにして伝えていい。立ち絵が完成したら、グループごとに見ていき、何に見えるか話し合う。

以上がワークの内容で、その際の身体的・精神的経験をもとに、危機や境界というテーマについて話し合った。①~④のワークはいずれも危機と境界というテーマについて扱っていたが、問題なのは、どのように扱っていたか、あるいは、ワークのなかでテーマをどのように経験したかということである。

まずはワークのときの参加者の雰囲気が議論の対象となった。例えば、罵り合いゲームのとき、みんなとまどいながらも笑いながらゲームを楽しんでいた。これはつまり、ゲームが本物(Real)ではなく、遊び(Spiel)、振り(Als-ob)のモードになっているということを示している。ゼミでは遊びのモードになったが、思春期の生徒であれば難しいかもしれない。遊びではなく本気になるかもしれない(本物と本気では意味が異なる。本物は、「本物の演技」という表現があるように、シーンを確信させるようなモードであって、現実と区別される)。

議論が進むなかで、いくつかレベルが挙げられた。一つは認識上の危機や境界、もう一つは行動上の危機や境界、さらにもう一つは身体上の危機や限界である。例えば、①のビンタで考えてみる。歩き回りながら、どのようなビンタが可能かということを思案する(認識上)。優しく頬を触る/手を打って音を出す(行動上)。頬を触られる/手を打つ(身体上)。

ワークを見ていた先生たちは、今回のワークは行動上や身体上の探究よりも、認識上の探究が多かったと指摘した。実際、リフレクションでは、行動に移す前にさまざまな文脈を意識して、どの行動がモラル的に許されるのか熟考することになったという経験が参加者から語られた。

先生は行動上・身体上の危機・境界を探究する例として、例えば①のあいさつのパターンを一つずつ検証するというワークを挙げた。どういうビンタは許されるのか、その限界を探究するというものである。先生たちは実際にやって見せた。このゼミの先生は二人いて、二人とも眼鏡をかけている。「例えば、眼鏡は外してあげるとか」というと、一人が眼鏡を外して、その頬をパチンという音がする勢いで叩いた。そして、役割を交代して同様のことをした。このワークを実際にやれるのか、やってもいいのかはさておき、危機や境界を行動上・身体上探究するということはよく分かった。

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