『あたらしい朝』ー3つの旅の「重なり」による混乱

10月29日 アトリエ春風舎
うさぎストライプ
『あたらしい朝』

作・演出/大池容子

久しぶりに劇場に来たら、演劇性を感じられる作品を見ることができた。舞台セットはかなりシンプルで基本的にはパイプ椅子しか用いられない。それを補うのは俳優の演技である。基本的には男女三人の登場人物によって物語が進む。物語のほとんどは旅行として移動しているシーンであり、パイプ椅子は冒頭では車、ほかには飛行機の座席、ツアーバスの席になる。パイプ椅子の配置、登場人物の身振りによって、シーンは車のなかだったり飛行機のなかだったりするわけだが、それを成立させているのは我々の想像力であり、物理的必然性ではない。だからこそ、車のシーンから飛行機のシーンへと移行することができる。シームレスに移行するというよりも、二つの異なる時空間が「重なり」合う。『あたらしい朝』の戦略はこのような空想によって可能となる、時空間の異なるシーンの「重なり」である。これは演劇ならではだろう。そこに不在があるがゆえに、我々は不在を空想で補う。だからこそ、「重なり」が可能となる。

シーンの転換で時空間が跳ぶことは演劇ではよくあることて、多くの場合、それは暗黙の了解として無視されるか、無視されない場合にはメタ的な発言のギャグとなる。しかし、『あたらしい朝』ではそれが虚構のレベルを保ったまま、ドラマの肝となっている。

『あたらしい朝』では三人の男女が登場して、いろんな旅をする。この旅が異なる時系列で異なる人物の組み合わせで行われている。冒頭のシーンでは新婚カップルがヒッチハイクをする女と出会い、彼女が同世代であることから女二人で旅行しようということになる。しかし、女性二人の旅行をしているかと思えば、男女二人の新婚旅行のシーンになって混乱する。さらに、ヒッチハイクの女と旅行しているかと思えば、その女がもう一人の女の母親のようになっている。つまり、同年代の女性二人の旅行、新婚旅行、娘と母の旅行が演じられるのだが、この三つの旅行が順々に演じられるのでも、断片的に交互に演じられるのでもなく、ごちゃ混ぜに重なって演じられているのである。

はじめはこの「重なり」が理解できなくて混乱する。飛行機の席に並んでいるシーンのとき、女二人の旅行がはじまるかと思えば、新婚旅行のシーンになっている。女二人でバスツアーかと思えば、娘と母の旅行になる。

これを可能にしているのは、演劇において一人の俳優が複数の役を演じても、それが別の人物であることを文脈によって理解することができる私たちの能力による。三人の俳優のうち、一人は一貫した一人の女の登場人物を演じ、一人は今はいないはずの男を演じ、一人は二つの登場人物を演じている。だからこそ、同年代の二人の女の旅行も、新婚旅行も、娘と母の旅行も演じられる。

同世代の女二人の旅行から母と娘の旅行への移行は容易である。なぜなら、ヒッチハイクの女を演じる俳優が母親の役に切り替えればいいからで、それに合われてもう一人の俳優も同世代の女としてではなく娘として接すればいい。二人の会話内容やふるまいによって、二つの旅行は切り替わり、その間にはやや「重なり」が生じる。

男が伴う新婚旅行からほかの旅行へと移行する場合は、「重なり」が大きくなっているように感じる。この場合の「重なり」は男がその場において実際には不在であることによって成立している。新婚旅行から女二人の旅になるとき、男は「在」の存在から「不在」の存在として扱われるようになる。

これが「重なり」となるのは、冒頭のシーンの布石の効果である。冒頭では、新婚の男女がドライブ中に、ヒッチハイクしようとしている女と出会う。このシーンはふつうに成立していて、別段おかしいところはない。ヒッチハイクの女が同年代であることが分かり、女二人で会話が盛り上がる。このとき、妻の方が冗談めいて「この人(夫)はいないと思って」というが、それは新婚カップルが気の置けない関係にあるからで、妻の方が夫よりやや強いからだろうくらいにしか理解されない。男の扱われ方は気の毒ではあるが、さもありなんというか、ちょっとしたギャグ的な描写として気に留まらない。しかし、男は不在扱いされるのが、「扱い」ではなく、実際に不在なのだと感じられるような描写へと変化していく。男はぞんざいな扱いにため息をつくが、それがエスカレートしていくことで、本当の「不在」へと変質していく。この変質がゆっくりと行われるため、「重なり」が生じている。

こうした構造は、はじめは分からない。私たちが演劇を見るときは、虚構を構成する約束事を紡いでいきながら、舞台上の演技を了解していく。しかし、『あたらしい朝』ではそれらの約束事に混乱が生じるように展開していく。男女三人の物語かと思えば、二人ずつの旅行が三つ重なっていることに気づくまでに、観客はさまざまな「重なり」に混乱することになる。

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