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聾唖の子ども向け『あがったり さがったり』を見て

1月19日 国立オリンピック記念青少年総合センター リハーサル室
FTH:K
『あがったり さがったり』
演出:Jayne Batzofin

演者の二人は大柄な女性と細見の女性、その二人が円形のマットの上で遊んでいる。子どもらしい衣装に、子どもらしい小道具。ただの子ども向け作品として見ていた。『あがったり さがったり』というタイトルにしては、そのテーマがあまり表現されていないと思っていた。しかし、上演後のトークを聞いて、なんて真摯な作品だったのかと見方が大きく変わった。この作品は聾唖の子ども向けに創作されたものだったのである。見ていてドラマトゥルギーがはっきりとしなかったのは、この作品を普通の演劇として見ていたからだった。彼らが聾唖の子どものためにつくったのは、この作品がはじめてであり、彼らにとって大きな挑戦だった。こうした作品になるまでの試行錯誤が感じられた。まだ発展途上にあるのだと思う。

『あがったり さがったり』というタイトルにある通り、上がったり下がったりするものがテーマとなっている。てっきり、何か上がったり下がったりする素材を駆使して、理科の実験的に上演が構成されているのかと思っていた。上演では、造花のバラがまるで成長しているかのように伸びたり、風船が飛ばされては沈んだりする。けれども、そうした物理的な上がったり下がったりは作品の一部でしかない。

上演中、演者が手話で語るシーンがある(手話が分からないので、同時に流される音声によって内容を知った)。子どものころ、木を登るのが怖かった。落ちてしまうのが怖かった。子どものころ、天井を見上げて寝そべるのが好きだった。世界の上下が逆さになる感じがした。上がったり下がったりするというのは、何かが上がったり下がったりするのを見るというだけではなく、自分自身が上がったり下がったりすることも含んでいる。最後の方では、子どものころ、葬式に参加したときの経験が語られる。死者は地面に埋められて下にいくが、その魂は天に昇る。上がったり下がったりが、同時に起こることもあるのだ。

子どものころ、という言葉があるように、演者の二人は何か子どもの役を演じて舞台にいるわけではない。二人は何の役を演じているのか考えることにあまり意味はない。二人は、さまざまな「上がったり下がったり」を表現し、それを観客に示す媒介者のようなものだ。「上がったり下がったり」には、目に見える外的なものと、自分が感覚する内的なものとがある。舞台上の演戯によって、二つの「上がったり下がったり」は結びつく。

この作品は3才~7才の聾唖の子どもに向けて創作された。聾唖の子にとっての主な情報源は、聾唖学校の先生になる。だからこそ、学校外の感性的なものを伝えたいとアーティストの二人は思ったそうだ。聾唖の子に向けてやるからには、独特のアプローチがある。子どもっぽく見える衣装は、視覚によるところが大きい聾唖の子にとって、劇の世界観を伝える重要なツールである。衣装も舞台装置も主に水色で作られているが、それはあまり色が多いと目が疲れてしまうからだ。大げさな身振りや表情は、視覚頼りの聾唖の子にとって、劇のリズムを構成するものだった。

アーティストの二人は、南アフリカにある聾唖学校をいくつか回って公演を行ってきた。そこでは、ふつうの子どもを相手にするときとは異なるアプローチが要求される。最近では、フェスティバルに参加する都合もあって、ふつうの人向けに音楽や音声を流している。いずれにせよ、聾唖の子向けに創作した知見は、聾唖の子だけに役に立つ知見に留まらず、そこには新しい美学が生まれている。今後、彼らの作品がどのように発展していくのか楽しみだ。

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