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【小ネタ】金融政策のレジーム転換? サージェント『四大インフレーションの終焉』に書かれていること。

トーマス・J・サージェント『合理的期待とインフレーション』に収められている「四大インフレーションの終焉」から日本のリフレ派経済学者・エコノミストは、"金融政策のレジーム転換"という教訓を引き出しているが、本論文を読む限り、書かれている内容のほとんどが財政政策のレジーム転換の話であることに注意が必要だ。"財政金融政策"という言葉は出てこなくもないが、「四大インフレーションの終焉」論文に限った話では、2箇所しか出てこない。

イントロダクション

イントロダクションにおいて、四大インフレーション(第一時世界大戦後のオーストリア、ハンガリー、ポーランド、ドイツの事例)を終焉させたのは何かについて結論が先に述べられている。

オーストリア、ハンガリー、ポーランド、ドイツの各国において、財政政策レジームに劇的な変化が生じたが、いずれの場合にも、それはハイパーインフレーションの終焉と結びついていた。さらに、チェコスロバキアは、他の4カ国といくつかの問題を共有していたにもかかわらず、自国通貨の価値を維持するという目的を表明し、比較的抑制的な財政政策レジームを計画的に採用した。(P.55)

また、これら4国の共通点として以下のような特徴が挙げられている。

オーストリア、ハンガリー、ポーランド、およびドイツのハイパーインフレーションには細部で多くの差異があるにも関わらず、非常に重要ないくつかの共通点がある。それには次のようなものが含まれる。

1. ハイパーインフレーションの期間中に実施された財政政策レジームの性質、すなわち4カ国はそれぞれ長年にわたって経常勘定において膨大な財政赤字に陥っていた。
2. ハイパーインフレーションを終息させるために採用された計画的かつ根本的財政金融政策手段の性質
3. 物価水準と外国為替が突然、一瞬のうちに安定したこと
4. 急激なインフレーションが終息してから数ヶ月ないし数年後に「ハイパワードマネー」の供給量が急激に上昇したこと

レジームとは?

次の"The Gold Standard"のチャプターにおいては、レジームについて述べられている。

政府の債務の価値を決定するのには、そのときに実施されている財政政策レジーム、すなわち現在および将来における経済状態の関数として財政赤字を決定するルールについての見解が必要であった。財政レジームについての人々の見方が必要であった。財政レジームについての人々の見方が、政府債務を保証する歳入の流列の現在価値に関する経済主体の期待を通じて、債務の価値に影響を及ぼしたのである。4つのハイパーインフレーションの終息を巡る事件を概観するに当たって、金本位制に関するこのような見解を心にとどめておくことは有益だろう。(P.59)
レジームの例としては、明示的にせよ暗黙的にせよ、政府支出や税率を経済状態の関数として繰り返し選択するためのルールが挙げられる。動学的マクロ経済学の最近の研究によれば、次のような一般的原理が発見されている。すなわち、政府の戦略あるいはレジームに変更があれば、必ずそれに対応して民間経済主体は、消費率、投資率、ポートフォリオなどを選択するための戦略ないしルールを変更すると期待される、という原理である。(P.59)

ここで、レジームの例として挙げられているのは、「政府支出や税率」といった財政に関する関数であり、金融政策に関する関数ではないことが読み取れるだろう。

ドイツの例

第一次世界大戦後、ドイツは戦勝国によって膨大な額の賠償金が課せられた。これがハイパーインフレーションの最も重大な原因だった(P.82)と述べられている。1923年1月にフランス軍がルールを占領。これに対してドイツは消極的抵抗を行い、ストライキ中の労働者にライヒバンクに政府短期証券を引受させることでその資金を賄っていた。この時にハイパーインフレーションが最も深刻化したという。1923年10月15日に旧マルク紙幣1兆マルクを新しいレンテンマルクにすることでデノミを実施することを宣言した。11月後半に突然インフレーションが止まったという。これだけを見ると、「金融政策のレジーム転換」という教訓が引き出せそうであるが、その裏で財政ファイナンスの停止、均衡財政の実施、政府雇用者の大量解雇、そして賠償支払いを緩和させるドーズ案の採用といった一連の財政政策のレジーム転換が行われた。財政政策の転換なしにハイパーインフレーションの終焉はなかったと言えよう。(金融政策は飽くまでサポートに過ぎなかったと言っても過言ではないかもしれない)

安定化という出来事は「通貨改革」に伴って起こったが、この改革において
1923年10月15日にレンテンマルクと呼ばれる新しい通貨単位が1兆紙幣マルクに等しいと宣言された。(中略)10月15日の法令の本質的側面は、ライヒバンクの銀行発行機能を、新設のレンテンバンクに引き継がせることにあった。法令によって、レンテンマルク発行限度額を320億マルクとし、対政府信用限度額を120億マルクとされた。この、政府に供与しうる信用総額に課せられた制限は、政府が紙幣発行という手段によって事実上支出の100%を賄っていたときに表明されたのである。(P.88)
突然3つのことが同時に起こった。すなわち、政府による中央銀行からの追加借入れが停止し、政府予算が均衡に向かい、インフレーションが終息した。表3-22は、レンテンマルク法の公布から数ヶ月で均衡予算に向けて劇的ともいえる前進のあったことを示している。(中略)政府は、均衡予算へ向けて、増税と支出削減のために、慎重で永続的な一連の措置をとった。ヤングの報告によれば、「1923年10月27日の人事異動によって政府雇用者数は25%削減された。臨時雇用者は全て解雇され、65歳以上は全員皆退職させられることになった。さらに10%の公務員が1924年1月までに退職させられることになった。戦後の復員に伴い、過剰人員を抱えていた鉄道は、1923年に12万人、1924年には6万人をそれぞれ解雇した。郵便事業は6万5000人の職員を解雇した。ライヒバンクも、1922年末には1万3316人であった雇用者数が1923年末には2万2909人まで増大したが、安定化効果が明白になるや否や12月から余剰人員の解雇を始めた」(36, 第1巻, 422ページ)財政状態を十分に助けるために、ドイツは賠償責任を軽減された。賠償支払いは一時留保され、ドーズ案では遥かに実現可能な支払い計画がドイツに提示された
(P.88~P.89)

結論

結論において、サージェントは以下のようにまとめている。

ドイツ、オーストリア、ハンガリー、ポーランドにおいてハイパーインフレーションを終息させた本質的な手段は、第一に、追加無担保信用を求める政府要求を法的に拒否し得る独立の中央銀行の創設であり、第二に、財政政策レジームの同時的な変更である。これらの手段は相互に関連しており、協調して実施された。それらは、政府をしてその債務を民間部門および外国政府に求めざるを得なくする効果があったが、民間部門や外国政府は歳出とくらべ十分に大きな将来の租税によって債務が保証されているかどうかでその債務の価値を判断するのを常としていた。これまで研究してきたそれぞれの事例では、政府が財政赤字のファイナンスを中央銀行に求めない、ということが広く認識されると、インフレーションは終息し、外国為替は安定した。(P.96)


以上のように、サージェント「四大インフレーションの終焉」では、ハイパーインフレーションを終わらせたには、財政政策のレジーム転換が主な要因であると述べられている。この論文から金融政策のレジーム転換という結論を出すのは相当アクロバットであると言えよう。

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