手紙を書けよ

  異なる速さの時間をかわるがわる生きていくことを容易に見せかけている人たちの背中が、大きく見えたり小さく見えたりする。ある時は尊敬の眼差しを向けるし、ある時は憐憫めいた気持ちで眺める。

  18の頃、カルト的なグループからの勧誘を受けた。結論としては、そのグループと関わることは後にも先にもないが、しかしその時に受けた質問と、それに応じた私の言葉を今でもはっきり覚えている。

Q.大学生活で充実させたいことはなにか
A.自分の軸をもつこと。絶対的な軸をもちたい。

  その頃から、浅はかな自分の姿に嫌気がさしていたのだろう。絶対的な軸に基づいて、すべてを色分けできる人に憧れていた。血も涙もない、というわけではないが、それに従って自分の態度を決定できるなにかの軸が欲しかった。

  しかし、よくよく考えてみればわかる。それは、ことばを先取りしているだけだ。軸が欲しい、ということばを先取りしてしまったために、純粋体験のうちに作り上げる、意識されない軸を見過ごしてきた。なんでもござれ、どうでもいい、そんな即席の回避方法が、いつしか常套のこころのあり方になった。そしてそれにうんざりしていると見せかけて、いつまでもこころの奥底でそれに固着していれば、当面、いのちを揺さぶるような戦慄から逃げられるとも思っている。

  陽光をたっぷり浴びたグラウンドでの一日があるからこそ、日陰で感傷的になる一日が愛おしいのだ。わたしは初めから勘違いをしている。先取りと近道の連続に、近視を加速させている。だからもう、早く寝ます。

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