もういちどナイトランプ

  晴れた日の空のうつくしさに本気でかまけることができていたのは、晴れた日の空のおそろしさについてまだなにも知らなかったからだろう。

  激烈なる波浪の最中、肺臓に忍び込もうとするものたちへの抵抗に夢中でいられれば、それが無限に続くかもしれないという恐怖には触れずに済む。なおもあらゆる青年に共通する痴態へのおののきによって回避され続ける私の本生は、それをうまく描くことができないという生来の不感症が拍車をかけながら滲んで消えていく。

  何年経っても変わらずに、ついに空転したまま終わってしまうかもしれない自らの生について、こんなにも無様に画面上を右往左往しながら綴り続ける私の厚かましさ。もう二度と電話をすることができなくなってしまうかもしれない人たちへの恐怖と愛が、私の中で押しつ押されつつ渦を巻いては、実際に私の視界をぐにゃりと曲げていく。

  なんの洗練さも持たぬ草花を、それでもなんとか見つめる哀れな釣り人たちよ。二度と戻らぬかがやき、などという甘美なことばを忌み嫌う旅人たちよ!  あなたがたの膂力にあふれる心象風景には決して残らない無様で不躾なうつくしさについて、ナイトランプの灯りの中で考えている。

  すべてはn通りの一瞬に分解される、私のふざけた毎日の行方について、もう少しだけお付き合い願いたいものです。

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