Mika Tajima Appear -太宰府天満宮アートプログラム vol.11

 謎めいた言葉に気を取られてしまうのはなぜか。簡潔さを切望するものたちの背に宿る、あのうらぶれたにぎやかさを私はどうしても無視してみたいのである。
 

 田島美加 Appear を見た。
 1975年、ロサンゼルスに生まれ、現在はニューヨークで制作活動中であるという田島美加。この作家を、先日太宰府天満宮を訪れた際に初めて知った。
 

やはりいちばん印象深いのは

Art d'Ameublement(Karena Maihiva)
アール・ダ ムーブルモン(カレナ マイヒバ)

そして

Art d'Ameublement(Araveke)
アール・ダ ムーブルモン(アラベケ)

 「今回の新作は、蓄光性の顔料を含むグラデーションで描かれています。」(会場配布ハンドアウトより)とある。2作は共通のマテリアルで製作された、見た目にも似通った新作であるらしい。蓄光の顔料。グラデーション。およそ4分間の間隔で、光はゆっくりと明暗をくりかえす。

 展示室の最深部に配置された両作品は、ここまで進んできたわれわれのエネルギーを静かに受け止めるように感じた。設置された発光源のエネルギーを蓄えるのだが、同時にここまで進んできたわれわれの目線を吸収し、そして固定し、そのいくらかはわれわれに対して打ち返すのだが、いくらかは減衰していく光の中に取り込んだきり、返してはくれない。

 さて、謎めいた言葉に気を取られてしまうのはなぜか。それはやはり、それらの言葉に直面したわれわれのエネルギーが、なおも手の内を明かそうとしないそれらの内側に向けて放たれてしまうからであり、放たれたエネルギーたちは二度と返ってはこないであろう、と直観するからであろう。

 平たく言おう。謎めいた言葉は、それらを知覚した瞬間から、それらのエネルギーが減衰していくように思われる。つまり、そこから明瞭な意味を汲み取れないわれわれは、それらを知覚した瞬間をピークとして、それらの言葉の印象を失っていく。
 
 あるものごとに吸収されてしまったわれわれのエネルギー。しかし、あるものごとからはエネルギーを受け取るわれわれ。

 明瞭さにかまけて、すべてのエネルギーを跳ね返してしまうべき環境に身を置く時間も多々ある。しかしそれでもなお、ゆっくりと減衰していく光のエネルギーを蓄えて、かつてあったエネルギーの残滓を抱きしめる時間を必要とするわれわれがいることもまた、事実ではないだろうか?


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