ダイヴ・イントゥ・コモンセンス

 早晩このようなことになるとかねがね溜め息まじりにつぶやいてきた一つの考えが、今や結晶しつつあり、その姿を十全にわれわれの前に現そうとしている。色とりどりの宝石が並んだショーケースよりも、似たような色がひしめきあう引き出しの中のパレットのほうへずっと心惹かれるようになったのはおそらく、絡み合う蔦を掻き分けるときの興奮や、折り重なった紙を刺し貫く釘の痛快さを知ったからだろうか?

 想像力とはつまり、想像できることをしか想像することのできない範疇をあざやかに縁取るものであり、そこに無限の可能性はない。想像力の根源は自らの身内に積まれたアーカイブであり、つまりその力が意味するところのものは、外界に設置されたものへのアクセスの可能性のことではない。

 常に綺麗な放物線を描いて他人の言葉を打ち返そうとし、執拗にバッティングセンターに通い詰める人々の額に滲む汗は、長時間座学に打ち込む受験生の尻を濡らす深夜の汗よりも冷えている。

 真夏の夜風のぬるさに郷愁を求める人々の背に降る西陽よ。年を経るごとに手放していく宝石たちの涙よ。どうか今夜の古くさい私の独り言を、やたらめったらに嘲笑ってくれないだろうか。

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