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私の人生経験値を例えるならはぐれメタル級 幼少期編②

小学校入学を期に
田んぼの多い祖父母の家を出て
街のアパートに引っ越す事になった
最初はよくわかって無かったけど
ボロい借家で小5くらいから
めちゃくちゃ恥ずかしくなっていた
うちにファミコンがあったせいで
小3くらいから男の子の友達がよく集まったが
それは恥ずかしさへと変わっていく
父親は祖父との仕事が上手くいかず
家でゴロゴロしてる事が増えた
働かない父は私の友達の男の子達と
よく遊んでいたが
それもまた凄く恥ずかしくてたまらなかった
父が働かないから
やはり母とケンカになる
母がパートに出て母の自立が始まる
朝ご飯の用意と
夕食のご飯炊きとお味噌汁作りは
私の役目になった 私の自立も始まった
父はたまにお酒を飲んでは母に手を挙げた
母はお酒を飲むようになった
夜中に瓶ビールを1本飲まないと寝れない
本当はお酒は好きでもないし強くも無かったらしい
「お母さんもう寝ようよ」
そう言って私はビールを飲んでる母親の横で
寝てしまう事がよくあった

学校生活ではのびのびやっていたが
男子と仲が良いと言うのもあって
小5くらいの時に
一度女子のグループから除け者にされた
朝の登校グループから外されて
しばらく一人で通った
結局 男子と仲良かったから
普通にしてたらまた元に戻ったが
ターゲットが変わって他の子が外されてた
コロコロいろんな子を除け者にしてた
リーダー格の女の子は
中学になってから逆に皆にいじめられたらしい
最終的に大人になった今
めちゃくちゃ仲の良い私の地元の友達となった

好きな子は次々変わって
最終的にはクラス1足の速い
シュッとした顔立ちの子を好きになった
家の方向が一緒でよく一緒に下校した
よくプチ家出した武勇伝を聞かせてくれた
彼の家も実は家庭が上手くいってなく
何か共感した
好きな子を聞いてみたけど
私なのか私の友達なのかはわからなかった
私が皆とは別の中学行くこと話したら
めちゃくちゃ怒ってて
サイン帳を破られた
私の事好きだったのかなぁ
とポジティブに考えるようにしてる

衝撃的な思い出は
6年生の時に産休要員で来た年配の女性の臨時教師が
すぐに私達の事を叩いたり馬鹿と罵るので
クラス全員でストライキを起こすことにした
朝みんなで一度登校してから
体育館の裏に集まり
近くの山へ逃げる予定だった
朝になってから男子が行かないと言い出し
女子だけで山へ向かった
マジメな子も不マジメな子も
内気な子も陽キャな子も
なぜかみんな団結できて山へ登った
そこまでするくらい
その女性教師の事がみんな嫌いだった
一番嫌だったのは
教室の中でスーツからジャージに
着替える事だった
60代くらいの女性が思春期に差しかかる
子供達の前で下着になって着替えるのだ
男子よりも女子の方が嫌だったんだろう
成長が早いからね女子
お弁当も持ってなかったけど
みんなでお菓子を食べて過ごした
学校行かずに山へ行くとは
なんともスリリングだった
みんなで色んな話しをした
めちゃくちゃ楽しかった
昼過ぎに裏切った男子達が密告して
私達は学校の先生達に保護された
よくニュースにならなかったよね
夜に保護者会が開かれて
子供達の意見を尊重する形で
臨時で来ていた女性教師は辞めることになった
今考えると申し訳なかったと思うが暴力はダメ
子供の意見が尊重されたのは
普段マジメな子や様々な種類の子が
意見を一致させ抗議したからだろうか
その時 女子の集団の力を知った
保守的な男子
行動的な女子
集団になると余計に性格が出る
親達も私達を怒らなかった
抗議するって大切なんだと知った
まあ私は「僕らの七日間戦争」に影響されていたんだけどね
貴重な経験で小学校生活を過ごした

続く…

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