「#どうして解散するんですか?」から見える大人の上から目線

日本を離れているといろんな話題が周回遅れて入ってくるのだけれど、この「#どうして解散するんですか?」についても話題に滑りこむにも周回遅れなので、ただ不思議に思いながら眺めていた(なお、総理が保守速報をソースにしてこれを卑劣と断じたのにはさすがにびっくりした)。

知能と人間としての成熟はかなり違う時間軸で発展する。知能は早熟に成長することもあるのだけど、20歳で人として成熟するということはまずない。これは過去の偉人の伝記を見ていてもそうだ。どんな天才であっても、20代の頃は大抵私生活はめちゃくちゃである(60代になってもメチャクチャな人もいるが、さすがに多少は落ち着いてくる)。確信はないけれど、矛盾に直面する経験だったり、身体の元気さだったり、「人間には限りがある」という一種の諦観を抱くことが、人の成熟と関連しているのだろう。

だから、20歳の若者が何かをやらかしたとしても、それはそんなもので、よく大学生がやらかす何かと違うものとは思えなかった。例えば、高田馬場駅に夕方に行けば、やらかしている大学生でごった返している。僕も大学生の頃には色々やらかしたし(例えば学校の備品を拝借してこっぴどく叱られたこと)、残念ながら今になっても人に迷惑をかけたり、人を傷つけたりしまくっている。成熟は遠い。というか、いつかやってきてくれること(というか自分で至るものだけど)を切に願っている状態だ。

と、まあ、自分がそんな体たらくなので、20歳の若者が勢いでやらかしてしまったことを叩きまくるという気分にはなれなかったのだけど、周りを見ていると随分と違っていてびっくりした。叩いている人のなかには、反政権=民主党=敵という、マニ教もびっくりの二分論が脳髄に染み込んでいている人もいるようだったけど、そうでない人も随分と怒っているように見えた。

その後、いくつかのブログで、なぜ多くの人が怒っているのかについての説明を読んで、ようやく納得がいった。一言でいえば、こういうことなんだろう。

「大人をなめるな」

これには、ただ年長者というだけで多くの人が保持している謎の上から目線がある。そして、それはなんだかんだ儒教的な価値観が残っているこの国では看過されている気がする。別に20歳の若者より年をとっているからといって大した人間であるという保証は全くないのに、自分より若いものがなんか目立ったことをして、それが自分たちを小馬鹿にしているということが(実際にそうかはさておき)見受けられると、徹底的に叩きたくなる。そして、引きずり下ろすところまで引きずり下ろして、それで自分は名前も明かさずに悦に浸る。そういう雅量のかけらすらない大人にはなりたくないなあと思うわけである。

ちなみに、学校の備品を勝手に拝借していた僕をこっぴどく叱った先生は、それを全く不問にして誰にも話さないでいてくれた。あのとき、彼が言いふらしていたら、僕はどうなっていたんだろう。

色んな意味で大人は遠い。


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