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卒園式

朝5時半にセットした目覚ましで実際に飛び起きたのは5時50分。10分で着替えてスリランカ行きの荷物を抱えて電車に飛び乗り、つくば駅で迎えにきてくれる先生の車を待つ。8時前には、つくばの児童養護施設に着いていた。

今日は、高校3年生になる青年たちの卒園式。10時開始の式に参加すると、今日の昼過ぎのフライトに間に合わないので、8時から挨拶だけでもと、無理をお願いして上がり込ませてもらった。

LIPがこの施設に関わりはじめてからもう5年になるのだけど、僕が彼らをはじめて見たのは彼らが中学2年生の頃。どんなに大人が早く成長するとしても、この時期の子どもたちには敵わない。あっという間にみんな大人になっていく。今年、園の40年以上の歴史ではじめて、4年制大学に進学する子がいる。本人にとってはもちろんなのだけど、園全体にとっても、本当に象徴的な出来事だ。

5年間の彼・彼女らを遠くから見ていてつくづく思うのは、人の成長のきっかけがどこにあるのかは本当に分からないということだ。ふとしたことがきっかけで、子どもの顔つきが変わり、大人になっていく。僕にとっては高校サッカーがそうだった。あれを経験していなかったら、今の自分とは全く違う人間が出来上がっていたに違いない。

そういった出来事との出会いは、かなりの程度において偶然に依存するし、周りの大人からするとその偶然のきっかけがやってくるのを待つのはなんとも苦しいことだったりする。それでも、その成長のきっかけを子どもが掴み取れるかどうかは、実は周りの人がどうやって日々その子を支え続けるかによって確実に変わってくる。大人の子どもに対する支えや環境は、子どもが変化のきっかけの出会いをつかむ不確実性には影響を与えられないが、それに出会ったときに子どもが変わる確率は明らかに変化させる。やるだけのことをやって、芽が出るのを待ち続けるべきなのだろう。

ここから彼ら・彼女らは、文字通り自立をしていかなければいけなくなる。社会的養護の枠組みでは、18歳まで(20歳まで延長されることもあるが)しか子どもの養育を国や地方公共団体では支えない制度になっている。本当に困ったときに頼れる大人もそう多くないこともある。

あの子たちが困ったときには、ちょっとした支えになれたらいいなと思うし、そういう大人が増えたら素敵だと思う。社会的養護は、家庭がそれをできないときに、社会が子どもの養育環境を提供する仕組みなのだし、社会にいる人々が出せるのは決してお金だけではないのだろう。

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