強いものだけが素直になることができる

河合隼雄さんの本があまりにも素晴らしくて、もっと早く読んでいたら自分がもやもやと考えていることがもっときれいに言葉になったのだと思いながら読んでいる。素晴らしい人間洞察。氏が「強いものだけが感謝することができる」と書いていたのを読んで、はっと掲題のことに気がついた。

何回か同じ内容のことを書いているけど、僕は謙虚素直であることは知恵を育むために欠かせないことだと思っている。完全な人間はいない。そして、過ちを指摘され、そこから反省して自己を改めていく過程こそが学習に他ならない。

だから、誰かに指摘を受けたときに心理的なガードが上がってしまう人、ムキになって反論してしまう人は、真の意味での知恵に至ることはできないと僕は考えている。そして、「みんな自分が間違ってたらごめんなさいと言って素直になれば楽でいいのになあ」と思いながら、それができない人たちをみて悲しい思いになっていた。とか言いながら、その指摘が自分にやってくると、やっぱり僕も心がザワザワするのだが。

河合隼雄さんの本を読んで反省したのだけど、謙虚素直であることってすごく難しいことなんだな。相手に自らの誤りを指摘され、その結果自分の一部を否定しても、自分という存在が揺るがないという確信があってこそ、人は他人の批判を素直に受け止めることができる。言い換えると、かなり強固な心の基盤と自己変革をしてきた経験がある強いひとだけが素直になれる。そんな強い人はそうそういない。

僕も含めた大勢の人がそういう心の弱い部分を抱えながらなんとか社会生活を送っているんだと思う。だとすれば、「素直になればいいのになあ」と傍観者にならず、どうやったらそういう弱さを抱えた人でも楽に物事を受け入れられるように出来るのかを誠心誠意考えるべきなのだろう。自分だって素直になれないことがあるんだから。

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