今を生きる

テラヴァーダー仏教の本場だけあって、スリランカの僧侶たちが書いている仏教の本には傑作が多い。

今を生きるというのは仏教の生き方の基本的な考え方だ。そのためには注意を払う(マインドフル)ことが基本動作になる。

前に書いたけど、僕はウルトラマラソンを通じて今に集中することの意味を理解できた。疲労困憊しているなかで痛む足を一歩一歩前に進めようとしていると、足を前に出すことだけに集中できるようになり、世界が静寂になる。

今に集中するとして、その今が1分とか1時間とかの単位でなく、一瞬になった人は悟りを開いた人なのだという。

これは、自分の行動が、極めて精度の高い行動原理に脊髄レベルで従っている状態に達している状態なのだろう。そうしてこそ、その人は瞬間瞬間を生きていても正しい行動が取れる。その人は、正しくないことを見かけたら瞬時にその人に注意ができるし、変な誘惑にも流されないし、思い切った行動を取るときに勇気を奮い起こす必要もない。悟りを開いていると言ってしかるべき状態だ。

これって、孔子が言っていた「七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」と同じことなんだろうと思う。行動経済学流の言葉でいえば、情報を自動処理する「システム1」に、高精度の指導原理が完全にインストールされた状態ともいえる。

実際の生活において今を生きるのは極めて大変なことだ。というのも、今やるべきことが毎回毎回変わっていくからだ。すごい頻度でやることを切り替えないといけないので、僕のような凡人は何かを行いながら次に起きることを予想して準備する、ということをせざるを得ない。

瞑想だけを通じてこの状態にたどり着けるのか、今ひとつ分からないでいる。もうちょっと色んな方法がある気がしている。


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