感動をつくるもの
なぜか久しぶりに尾崎豊の15の夜が無性に聴きたくなって、youtubeで調べてみたら、昔のライブ映像が見つかり、それを見てものすごく感動するとともに、色々と考えさせられた。
少し前にも似たような議論をしたのだけど、音楽とか美術とかブランド品とか、伝統的なファイナンス理論だけで価格付ができないものの商業的な成功は、作品の技術的な側面だけには依存しない。もし技術的に素晴らしい作品に最高の値段がつくのであれば、AKBやジャニーズ(バックミュージシャンはNYのスタジオミュージシャンだったりするんだけど)の成功は全く説明できない。
じゃあ、作品の成功(その定義も難しいが)において何が必要なのかといえば、それは技術と心なんだなと思う。作品が大衆向けであればあるほど、後者の重要性は高まる。作品がプロ向けなら、技術だけでも結構いけるんだろう。
色んな制約と限界を持っている人間がありったけの心を込めて何かをつくると、それに技量が伴っていなくても、人はそれに感動をする。そして、感動にはお金がついてくる。
料理とかも同様で、ミシュランの三ツ星のシェフが全力でご飯をつくっても、親が真心を込めて作ってくれたご飯と味噌汁には敵わないこともあるだろう。「ヨイトマケの歌」にもあるように、どんなに美しい歌よりも、母が子どものために働きながら歌っていた歌が美しいこともあるのかもしれない。
ライブの尾崎豊は、途中で喉が枯れてしまって歌声もまあひどい感じになっている。それでも、彼の歌声には何らかのこみ上げてくるものがあって、それは音楽に対しては多少耳が肥えている僕でさえも感動するものがある。
芸術だけでなくて、たぶん人の心を揺さぶるものは心なんだろう。ここぞというときの議論で、僕はどれだけ心を込められているのだろうか。仲間たちとの話でも、どれだけ言葉に重さをつけられているのか。いろんなことを考えさせられた。
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