一生懸命働くことの精神的な意義

小中学校の頃の僕を知っている人は覚えているのだけど、僕はもともとは今以上にどうしようもない人間だった。それが多少なりともまともになった最初の出来事はサッカーだったと自覚している。才能が無いのに一生懸命に努力を続けたことによって僕の人格が少し改善した。高2くらいになってから、先生からも「目が変わった」と言われたな。

今まで努力することの意義の一つは、努力グセがつくことで他のいろんなこともうまく出来ることや、得意な分野で働くことの大切さに気づくことだと思っていたのだけど、それだけだとこの努力が人格形成に役立った部分をなかなか説明できない。

そして最近気づいたのだけど、どんなに結果がでなくても努力し続けるというのは、外的環境に関係なく自分の精神状態を一定に保ち続けることだ。何もかもがうまくいかないということに心迷わされず、やるべきことを粛々とすることを通じて、その人の心はとても静かになるんだと思う。ギーターの言っているカルマ・ヨガはまさにこのことなんだろうし、苦労人に立派な人が多いのもそういうことなんだろう。

決して長時間働けということではなく、毎日毎日真剣に真摯に仕事に取り組んだほうが、もっと幸せなのになあ。

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