他人のお金でギャンブルをするな

金融に未来はあるか――ウォール街、シティが認めたくなかった意外な真実 ジョン・ケイ (著), 薮井 真澄 (翻訳)

原題のOther People’s Moneyのほうがしっくりくる本書、訳者の藪井さんから献本頂いた。とても良い一冊だった(なお、僕は月に1〜2冊くらい献本を頂くけど、全ての本について書評を書くわけでない。時間があってかつ面白かった時だけ書く)。

本書は、なぜ現代において金融事業が拡大してきたのかについて述べた後に、現代の金融業界(主に銀行・証券会社のコングロマリット)が抱えている問題点とその解決のための方向性を述べている。金融業界で働いている人々にとっては耳が痛くなる指摘も多いが、著者John Kayの主張に反論できる人はそう多くはないだろう。

金融仲介機能は本来的に非常にシンプルなものだ。それは、お金を必要としている人と、今すぐにお金を必要としないのでそれを運用したい人をつなぐことだ。お金を必要としている人が資金を調達する手段は株式か借入のどちらか。お金を運用したい人が直接お金を必要としている人に投資・融資するのも可能だが、それをする十分な専門性が無い場合には、資産運用を誰かに任せることになる。それはファンドを買うことだったり、銀行に預金することだったり、様々だ。

他人から資産を預かり、それを誰か必要としている人に投融資する金融業は、ある程度の時期までは実直を象徴するかのような商売だった。それを変化させたのは、デリバティブに代表される金融商品開発と情報処理技術の進歩を土台とした、金融機関間の取引の増加だった。著者が、Financialization(金融化)と名付けたこのプロセスは過去30年で一気に進み、もはや多くの金融機関にとって売上のほとんどは本来の金融仲介機能によるものではなく、手数料収入(しかも場合によっては本人たちが理解していない商品を売ったことによる)によるものとなっていった。

では金融化が進んで金融サービスの利用者はハッピーになったのか。著者は否定的だ。

ローン債権の証券化やCDSなどは、リスクをより明確にして制御するための技術であり、金融制度をより強固なものとしてきたと、グリーンスパンをはじめとする業界のグルたちから高く評価された。しかしながら、実際のところこれらによって生じたのは、金融機関間のリスクのやりとりが重なりすぎて絡まり、リスクが見えなくなるとともに、その多重取引に絡まっているがために潰すことができない金融機関をつくることとなった。困ったことに、多くの金融機関は決済機能も担っており、それゆえに潰すことによる一般人への負の影響が大きく、潰すことができない。

確かに専門的なトレーニングを受けた運用者は、素人に較べて株式投資で高いパフォーマンスをあげる。しかし、市場全体を上回るパフォーマンスをあげつづけるファンドマネージャーはほぼおらず、結果として、平均的には手数料分だけ投資ファンドのパフォーマンスが下がることはよく知られた結果だ。この手数料の低さ≒パフォーマンスの世界における最優等生の一人はヴァンガードだ。ちなみに著者は明示的には述べていないが、PEにおいては、有意に高いパフォーマンスを出し続けるファンドが存在している。その一因は、PEファンドは頻繁にmark to market(ある時点での価値評価)がされないため、下降局面においても耐え忍ぶことがしやすいことにも共通しているようだ。

さらに著者は、多くの金融機関の倫理観は合法的なビジネスの中で最悪水準となっていることを痛烈に批判する。実際、多くの問題は業界内の人々の個人的な欲望とそれを抑えられない業界構造に端を発している。価値創出は往々にして利益創出につながるが、利益創出をすることが価値創出になるとは限らない。例えば同業他社を騙したり出し抜いたりすることで利益をあげることはできるからだ。そして、多くのケースにおいて、その騙し合いをするゲームに使われているのは、ゲームをする本人のお金ではなく、他人のお金だ。ギャンブルをするのは自由だが、他人の金を預かっている身でその責任を全く感じもせず平然とギャンブルをする人々を著者は鋭く批判する。

そんな状況を踏まえ、著者が提示している規制改革の方向性は次のようなものだ。

第一に、金融仲介機能をシンプルなものにすること。お金の最終的な出し手と受け手の間にある何重もの鎖を可能な限り短いものにすることで、その間で落ちる手数料は下がり、それはお金の受け手と出し手双方の便益につながる。

第二に、社会における重要インフラである決済業務とその他の業務を切り分けること。決済システムさえ安定していれば、ある金融機関が破綻しても大きな問題とはなりにくい。

第三に、金融機関を規制で縛るのではなく、金融機関側が正当な責任意識をもって他人のお金を預かるような仕組みを作ること。第一に行うべきことは、利益相反行為を徹底的に取り締まること。規制遵守=倫理観という図式は成立せず、規制はそれを逃れようとするプレーヤーの規制裁定を生みだすだけになってしまう。

第四に、第三とも関連しているが罰則規定を組織でなく個人に適用されるようにすること。そうすることによって、他人のお金でギャンブルをする人々の悪行を抑止できる可能性が高まる。

いくつか現実的には難しそうな提案もあるが、著者の金融システム全体をシンプルにすべきという言葉はその通りだと思うし、自分が実際にその一端を途上国で担っている人間として、ずっと心がけていきたいとことだ。

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