差別主義者を判別する方法

SpotifyのTED TalkでIbram X. Kendiが話しているのを聴きながら、ピンときたことがあったので書いてみる。それはこういうことだった。

レイシストは「自分のやっていることはレイシズムではない」と言う。

一方で、レイシストでない人は「自分はレイシズムに反対である」と言う。

これは本当にその通りで、女性差別、性的マイノリティ差別、民族差別など全ての差別の文脈で同じことが観察される。Ibram Kendiは、差別を無くすには「自分はアンチ差別主義者だ」と多くの人が言うようにならないといけないと話していた。 

 

このTalkを聴きながら、なんで差別主義者が無くならないのだろうかと考えていた。まず、差別する側、抑圧する側に立っている人々は、その構造から何らかの便益を得ている場合が多いので、放棄するインセンティブが少ない。

また、知らずしらずのうちに抑圧者側になっている人が多いため、その状態が自分のアイデンティティにつながってしまっている。例えば、大勢の人々を奴隷労働させて巨万の富を築いた○○家の人にとって、自分が差別主義者であることを認めるのは、ある意味で自分の家や人生を否定することになってしまう。

前者だけが理由なら1代で差別がなくなる可能性はあるけど、後者はなかなか難しいなと感じている。例えば第二次世界大戦で戦死した日本人は230万人。今を生きる人たちの、そう遠くない先祖である。亡くなったご先祖様たちが「悪いことをしていた」と認めるのは難しい。ドイツは比較的よくやっているようには思うけど、それでも極右団体によるバックラッシュは定期的に起きている。

 

だからこそ差別は根深いし、完全に無くすには世紀単位で時間がかかる。国家が個々人の精神に介入することはできないしするべきでもないので、法律や制度といったハードの側面を変えながら、少しずつ人々の内面も変わっていくように努めていく他ないのだろう。諦めてはいけない。


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