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ネパール滞在8時間で帰ってきた話

デリーに午前1時半着(日本時間午前5時)、午前7時発というむちゃくちゃなフライトでネパールのトリブバン国際空港に着いたのは9時過ぎのこと。この空港では、許可を取った出迎えの人が入国管理エリアまで来ることができる。現地の人が迎えに来てくれて、一緒にビザ申請をする。ネットで事前に確認したところによると、ネパールはVisa on Arrivalがとれると書いてあったので。

しかし、入国管理エリアの人が僕の旅券を見たきり帰ってこなくなった。そして、別室に呼ばれる。「またいつものパターンかな」と思ったのだけど、ちょっと様子が違う。

なんと、ネパールの入国管理法には、明確に「パスポート以外の旅券を用いて渡航する人間に対しては、アライバルビザは提供してはならない」と書かれていた。上役の人に話をしても、その結論は覆らないそうだった。

「本当に申し訳ないが、ここまで法律に明確に書かれていると動かしようがない。例えばデリーに戻ってネパール大使館でビザを取ってきたりすることはできないか」と、入国管理局の人が言う。

「デリーに入るにはまたビザが必要なので難しいですね」と返す。

別室で待っている間に、現地パートナーの人は政治家や大臣に電話をしてくれた。だけど、今回のように明確に法律に書かれている場合には難しいとのこと。入国管理局の人にも、航空会社の人にも同情されるなか、粛々と手続きが進む。

幸いだったのは、現地パートナーのSと同僚が許可をもらって僕のいるエリアまで来れたこと。お蔭で、一番しなければいけなかった仕事の話を、2時間くらいかけてすることができた。それだけでも来た意味があると思いたい。

Sは泣きそうな顔をしていた。「手を尽くしたのに成果がなくて、自分がLoserのような気分だ」と言われたので、「これは残念だったけど、法の支配があるということは国として本当に素晴らしいことだと思うよ」と答える。もうここまで来ると笑いしか出てこなくて、1日前に到着していたSanjayには"now I'm ready to enjoy anything that will come to me further"と話した。

で、飛行機に乗って来た道を帰ることになった訳だけど、これがちょっと特殊な経験だった。まず、普通の旅行者のルートを通らない。空港には入口と出口がある訳だけど、出口から飛行機に乗るという不思議な経験をした。

そして、この道中、僕は旅券もチケットも全部取り上げられている。おそらく、渡航者を元の国に追い返すための手続きなのだろうけど、この手続が取られるケースの多くは不法入国者を本国に強制送還する場合なので、途中で逃亡するのを防ぐための方策なのだろう。

運が悪いのは、この旅券もチケットも取り上げられた状態でトランジットしなければいけないのがデリーのインディラ・ガンディー国際空港だということだ。僕はインド人もインドも好きだけど、この空港は僕にとって鬼門なので、嫌な予感がしていた。

トランジット待ちのカウンターで、係の人間が「座って待っていろ」というので、座って待つこと2時間。担当の人間は談笑しながら、そのうちどこかに消えて行った。あー、インド入国するときに見た光景だ。

全く音沙汰がないのでカウンターに行って状況確認したら、「お前はもともと火曜日に帰る予定なのだから、火曜日まで待つしかない」といわれる。さすがにカチンときて、「あなたたちこの2時間何やってたんだ。ここから東京に帰る便はいくらでもあるはずなんだから探してくれ」と話す。

ここで本当に助かったのは、ネパールのSが「心配だから」と、別れ際に僕に渡してくれたインドで使えるSIMカード。これを使って、同僚のPraachiに電話で話してもらう。彼女のコミュニケーション能力は、僕が今まで見た人類で一番高い。電話を交換した相手の人の顔がどんどん柔らかくなっていく(いったい何を話していたのかは不明)。そして、彼女との電話の後に、ようやく係の人が動き出した。

Praachiいわく、カトマンズの入国管理局の人々の理解が「アライバルビザ提供不可のため帰国すること」であったのに対し、インドの空港の人では「不法入国者であるため帰国すること」と翻訳されていたようだ。このぞんざいな対応はそのためだったらしい。今ようやく彼らも動き出したので、チケットは出るだろうとのこと。もし彼女に電話してもらえなかったら、このまま空港で二日間寝泊まりしてたのだろうか。

そこから更に待つこと2時間。ようやくチケットが発券される。デリー午前1時(日本時間4時半)発の飛行機にのって、片道18時間、現地別室9時間の旅が終わった。

色んな人に迷惑をかけてしまって、反省しなきゃいけなことがとても多い。それと同時に、色んな国の人ときちんと結んでいく人とのつながりほどに強いものはないんだなということも改めて思った。

いくらお金や権力があっても、外国で一人ポツンと残された状況では何の役にも立たないだろう。でも、人と人とのつながりがあれば、どこでも生きていける。


それにしても帰りの飛行機から見えたヒマラヤが圧巻だった。登りたい。。


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