家族類型や教育格差から見る世界

読書会でエマニュエル・トッドの本をいくつか読んだ。
大分断 教育がもたらす新たな階級化社会
エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層

彼の本は英語圏ではほとんど出版されていないし、出版されたものもあまり読まれていないようだ。そして、なぜか日本語圏ではとても注目されていて、しかも日本人読者向けの本まで書いている模様。そういうことをするインセンティブは普通の知識人・思想家には存在しないので、形式基準的にはアラートが鳴るのだけど、とはいえ、内容は悪いものではなかった。

彼も言及しているアナール学派の考え方は、一種の史的唯物論だ。すなわち、歴史は人間が実際に手に触れたり経験するような物によって作られていると考える。マルクスの場合は経済だけだったが、アナール学派は家族や人口動態、地理、言語など、それ以外の物質的環境も歴史理解に役立てている。

例えばトッドは世界を家族システムの類型別で考える。そうすると、確かに多くのことが見えるようになる。しかし、当然ながら歴史を一つのメガネだけで見ることはできないわけで、複数のドライバーの一つとして家族の仕組みがあると考えるのが最も適切だろう。

トッドがどのように家族類型を分けたかというと、「核家族か大家族か」、「兄弟間での相続が不平等か平等か」の二軸だ。これに外婚制/内婚制、および、イトコ婚の禁止/許可というパラメータが加わることでもう少し複雑になるが、基本は次の4類型になる。

絶対核家族(核家族&兄弟不平等)

イングランド(スコットランドは直系家族)、アメリカ、オランダ、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランドなど。

子どもが結婚すると家を離れるので、親の権威が永続的でなくなることから、親が権威主義にならなくなる。子どもが早めに離れるので、教育には不熱心になりがち(自分を養ってくれるわけではないから)。

親の財産は子どもの誰か一人に相続される。一人の長男を除くと全員が平等であるため、女性の地位は比較的高くなりがちで、女性識字率も高い。イデオロギーとしては、自習主義、資本主義・市場経済、二大政党制、小さな政府、株主資本主義と相性がいい。


平等主義核家族(核家族&兄弟平等)

フランスのパリ盆地エリア、スペイン中部、ポルトガル南西部、ポーランド、ルーマニア、イタリア南部、中南米。

同様に核家族。兄弟間の相続が完全に平等である。上記と同様の理由で教育には熱心でない。

家庭内における女性の地位は直系家族や絶対核家族に比べると低い(兄弟が平等なので女性が差別されがち)。共和主義、無政府主義、小さい党が分立し、大きな政府となりやすい。


直系家族(大家族&兄弟不平等)

ドイツ、日本、オーストリア、スイス、チェコ、スウェーデン、ノルウェイ、ベルギー、フランス周辺部、カタロニア、スコットランド、アイルランド、朝鮮半島、日本。

結婚した子どもの一人、多くは長男が両親と同居する。そのため、親の権威は永続的で、親子関係が権威主義的になる。

兄弟間は不平等であり、長男の嫁に権力が集まりがちになる。教育熱心で識字率も高く、女性の識字率も高い。イデオロギーとしては、自民族中心主義、社会民主主義、ファシズム、政権交代の少ない二大政党制、土地本意制、会社資本主義と相性がいい。


外婚制共同体家族(大家族&兄弟平等)

ロシア、中国、フィンランド、イタリア中部、ハンガリー、セルビア、ブルガリア、ベトナム北部。

結婚した男子は全員両親と同居するので大家族になる。父親の権威のもとに息子たちが平等になりがち。女性の地位が低くなりがち。全般的には教育熱心。

「権威者の下で全員が平等」というスタイルなので、スターリン型共産主義、一党独裁型資本主義になりがち。


この分類でいえば、例えば民主主義でいっても、アメリカ・イギリス、フランス、ドイツ・日本、ロシアでは形態が異なっている。例えばドイツ・日本は、直系家族系のシステムなので二大政党制にはならないし、権威主義とヒエラルキーに基づく階層を受け入れる。だからこそ、EUのような仕組みは絶対に機能しないとトッドは話していた。

とはいえ、こういった類型化だけでは説明できないことも多いので(例えば欧米とアジアのジェンダーギャップなど)、これだけで全てを説明しようとするのは無理な話だろう。あくまで参考にはなると思う。

 

トッドがもう一つ着目しているのは教育だ。元々、彼は識字率が社会変革のドライバーだと考えていた。男性の識字率が50%を超える&30代以下が大多数を占める社会では社会変革が起きやすくなる。一方で、女性識字率が50%を超えると少子化が始まる。

最近ではほとんどの国で識字率は50%を超えてきているなかで、トッドが注目しているのは教育格差。彼は現代の格差とは教育格差であると説く。実際、大抵の国では、親にお金があればいい大学にいくらでも入れる。多くの高等教育を受けたエリートたちは能力のおかげではなく、階級によってそこにいることが多い。

エリート層にとって自由貿易は自分たちにとって望ましい結果をもたらすことが多い。自由貿易は基本的にGDPは増大させるが格差も大きくする。「自由貿易が教育格差をもたらすわけではなく、教育格差によるエリート支配が自由貿易と経済格差をもたらし、それがさらに教育格差をもたらす」と彼は説く。

トランプが2016年の大統領選挙で勝ったのはこの格差が理由だったとトッドは説く。事実、有名大学出身者と大学院以上出身者のほとんど(エリート)がクリントンに投票し、そうでない人々がトランプに投票した。民主主義は国民が同レベルのリテラシーを持っていてこそ機能するが、それがもう機能不全を起こそうとしている。そもそも、全ての人に同様の価値(=投票権)があるという民主主義と、能力によって人々を区分するというメリトクラシーは矛盾する概念でもあるのだけど、現代においてメリトクラシーはこれでもかというくらい躍進してしまった。

解消の方法は長期的には教育機会を均等にすることだし、短期的には持つ人々と持たざる人たちがきちんと対話を続けることだ。ただ、多くのエリートたちは持たざる人たちを蔑視しているので、それを実現するのは極めて難しいことだろう。

こういった現状を踏まえて、トッドは移民にはさほど肯定的ではない。ある土地で、ある民衆が、お互いに理解できる言語で議論するために生まれたのが民主主義であり、その思想には土地への所属・外から来るものに対する嫌悪感・排外意識が背景にあると彼は考えているからだ。彼は、多くの人が愛国心と裏腹の排外意識を持っているのは自然なことだと考えている。


なんとなく、こういう排外的なナショナリズムや「日本は特別なのである」という主張に対して理論武装を与えていることが、この本が日本で流行っている理由なのかなと思っている。同じ理屈でいえば、日本と同じ類型であるドイツでも流行るはずだけど、著者はドイツに対してはアンフェアともいえるほどに批判的なので、流行らないのだろう。



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