課題解決の全体像 (ver. 0.0)

(本当は「仕事の話」マガジンに入れようかとも思ったのだけど、ちょっと色んな人に見てもらって意見が欲しいのでここに。僕自身もまだ自信が完全に無いまま書いているので、意見大歓迎です)

僕は各国の子会社を訪問する度に課題解決スキルについてトレーニングをしている。理由は3つ。
(1) 現場社員の仕事の質が向上する
(2) 未来のリーダーが誰なのかを特定できる(教わっている人の素直さ、勤勉さ、知的素養が一気に分かる)
(3) こういった課題解決の仕組みを皆に教えていくことは、僕が個人的にその国の発展に対してできる最大の貢献である

ただ、課題解決の全体像を書いた本というのはなかなか存在しない(僕が知らないだけかもしれない)。それを定義しないと体系立ててものを教えることができないので、自分でつくってみた。改めて思うのだけど、多くの問題解決にまつわる本は、この全体プロセスのどこか一部しか説明できていなくて、だからこそ本一冊を読んだだけではダメなんだと思う。

その全体像がこれ(バージョン0.0なので、これからもずっと改定していく)。ちょっと用語の統一性がとれていないのを自分でも感じているのだけど、それは少しずつ何とかしていこうと思っている。


1. あるべき状態が思い描けている

そもそも課題とは何かというと、理想と現実のギャップを埋めるために設定される問いである。なので、そもそも論として何が理想状態、あるべき状態なのかということを知っていなければ、そのギャップを認識することはできない。

「あるべき状態」を思い描く(envisionすること)ができるためには、様々なものを経験していないといけない。「見える化」というテーマ一つとっても、その本当の理想状態を理解するためには、最高の水準で運営されている工場をいくつも見る必要があるだろう。ブッダは真理にたどり着くために何年も修行をしないといけなかった。また、世の中の様々な分野のすごい人にとにかく会って話をするというのも必要なのじゃないかと思う。最近は、そういう人たちと会話することは叶わなくても、講演ビデオはだいたい転がっている。それを見るだけでだいぶ目線が異なってくる。

あるべき状態を思い描けるようになるには、そもそもそれを自分が見つけ出すのだという志と、自分が思い描いた「あるべき姿」が正しいと信じることが必要となる。最高のものに触れる生活をしていても、意志と信念がないところにはビジョンは生まれない。

ちなみに最高のビジョンが描かれているのは宗教書や革命家たちの書いた本だ。数億人の心をつかみ、その実現のために生命をかけらえるビジョンというのはそうそうあるものではない。また、事業においては、何もない場所に新しいビジョンを見いだせる人のことを天才と呼ぶのだと僕は思っている。折しも今は初代iPhone発表からちょうど10年、ジョブズは本当に偉大だった。


2. 現実が正確に見えている

そのビジョンと対になるのが現実なわけだけど、現実がきちんと見えている人は多くない。現場現物を重視する人であれば現実がある程度見えるようになりやすい。本を読んだりするのも良いが、可能な限り実際に足を運んで自分の目でものを見て話を聞き、その現場を匂いや温度や触覚など全ての感覚を通じて記憶すること。

ただ現場に足を運ぶだけでは十分ではなくて、その現場で見たものから多くの情報を引き出す力、すなわち観察力も必要になる。観察力を鍛えるには、とにかくものをひたすら見て考え続けること。個人的には何かを見た際に文章を書くことを義務付けると良いと思っている。

組織における課題解決を考える場合であれば、正しいKPI管理や見える化の仕組みと本音で話す組織風土づくりが必要になる。このあたりは「トヨタ経営大全」を見ているとだいぶイメージがつくのだけど、異常がすぐに検出される仕組みを組織内につくり、またそれだけではあぶり出されないような問題についても社員がオープンに話し合える文化があれば問題が見えやすくなる。逆に現場の人々が組織内の問題を見て見ぬふりするような文化があると、現実を知ることが非常に困難になる。この風土を作るために必要なことは、リーダーらが現場の人から問題を告げられたとき、決して反論・否定しないこと。一度それをやるだけで、色んなものが台無しになる。このあたりのことは「貞観政要」にもよく書かれているけど、リーダーは部下が組織の問題について話したときはまず反論せずに耳を傾ける必要があるんだと思う。


3. 現実をあるべき状態にするための問いが設定できる

そしてこれが最初の難所になる。あるべき状態が思い描けて、現実がきちんと見えていたとしても、そのギャップを埋めるためにどの課題を解決するべきなのかの問いを設定しないといけない。

例えば離職率が高いという現状があるとする。それを下げるために必要なことは何なのか。採用プロセス改善か、職場環境改善か、それとも会社に成長をもたらすことなのか、仕事の意義を説明することなのか。仮置きで良いので「これを行えば、現実が理想に近づくのではないか」という問いを設定する必要がある。

ここでの問いは仮説といっても良いのだけど、この段階では検証可能といえるくらいに固いものではないので、「問い」くらいの表現が妥当だと思う。問いはまだふわっとしたものでいいが、情報集めのピント合わせのために必要になる。問いのセンスが悪いと、問い→情報集め→大して進まない→問いの繰り返しになってしまって疲弊するので、できるだけ精度を上げたほうがいい。ただ、すぐにセンスがよくなることはほぼなくて、何度も繰り返し訓練をし続ける必要がある。


4. 設定された問いを明らかにして課題を解こうという意欲がある

そして問いを設定できたとして、それを明らかにして課題を解こうと思えるかどうかが次の分かれ道だ。ちょっとググるだけですぐに答えが出れば良いのだが、場合によっては検証にはかなりの時間がかかるからだ。

例えば五常の事業上の問いの一つは「世界中にピカピカのマイクロファイナンス機関を持つことによって、新しいサービスを作ることができるのではないか」というものなのだけれど、その答えを検証するには相当な時間と労力が必要となる。

だからこそ、意志が必要になる。「絶対にこれを成し遂げたい」と思うような原体験が途上国起業する人に多いのはそういうことなのだろう。また、過去に成功をしている人であれば「今度も大丈夫だろう」と思って重めの問いに取り組むことができる。その最大の例はイーロン・マスクのようなシリアルアントレプレナー達だ。そういったものがなくても、対象となる事業が本当に好きで情熱を持って行えるのであれば、原体験や成功体験は不要かもしれない。

重たい課題解決に取り組む起業家の場合は上記に述べたようなものが必要なのだと思うけど、組織が日々取り組む課題解決はもう少し易しく、数日や数週間、場合によっては数時間で済むようなものが多い。そういった場合においては、問題を放ったらかしにしない企業風土があるだけで課題解決速度は大いに異なってくるだろう。


5. 答えを得るために必要な情報を特定できる

さて、「いっちょやってやるか」と思ったあとには、問いに対する答えを考えるために必要な情報を特定する必要がある。言い換えると「何が分かれば、問への答えが出せるか」を知っていないといけない。

答えを出すという作業において一番厳密なものは数学的な証明だとして、次点は統計学的なアプローチだろう。事象がどのような分布に従うのかを特定し、ランダムにサンプルを集め、信頼区間x%で仮説が棄却できるかできないかを計算する。科学者が日々行っている仮説検証はそういうものだ。

しかし、残念なことに実際の事業の現場では、こういった科学的に誠実な仮説検証を行うことは不可能に近い。なので、いくつかの妥協案で我慢する必要がある。そこであると便利なのがフレームワークをもって物事を考え、そこで集めた情報をもって論理的に考えることだ。

例えば、日本においてビジネスのフレームワークで最も知られているのは競争戦略における3Cだが、それが意味するところは「シンプルな戦略」に書いてあるように、「お客さん(customer)が喜び、競争相手(competitor)に勝つことができて、かつ自社(company)が儲かる」のがよい戦略だということだ。すなわち、論点が戦略である場合において、思考を深掘りするためにはこの3Cについての情報を収集すべき、ということだ。

フレームワークの作り方が下手だと、情報を無闇矢鱈と集める割にあまり考えが深まらないという問題に陥ってしまいがちになる。フレームワークづくりが上手になるためのコツが何なのかは僕も知りたいところだけど、とにかくフレームワークとその使い方についての知識をある程度得た後には、練習し続ける他にないように思う。フレームワークを作ってみて、それで本当に考えが深まるか論理的に考えて、ダメだったらそれを捨てて次のやり方を考える。そういった繰り返しをすることで、センスがついてくるのだと思う。

問いとフレームワークの二つがあることで、課題解決に必要な情報収集作業の効率性が一気に高まる。


6. 必要な情報を集めることができる

必要な情報を特定したら次は情報を集めないといけない。ここでも現場との近さが役立つ。ビジネスの場合必要な情報は現場に転がっている場合が多いからだ。普段から現場に近くないリーダーは現場の正しい情報を集めることに苦労する。

他にも必要だなと個人的に思うのは、その分野の専門家へのアクセスだ。どの分野にも専門家グループは存在していて、その人へのアクセスがあるかどうかで必要な情報が集められるスピードが段違いになる。課題解決の生産性が高い人はだいたい「この人に聞けばいい」ということが分かっている。もちろん、自分に何もコンテンツがないとそういった他分野の専門家につながることが出来ないので、そういうアクセスを拡げていくには、自分自身が他人に何かを提供できるようになる必要がある。

もう一つ必要なのは、必要な情報がどこにあるのかについての知見。例えば日本のマクロレベルのデータは総務省統計局のウェブサイトにいくとたいてい見つけられるし、経済開発についての情報であれば世界銀行かIMFのウェブサイトが詳しい。文献集めに関しても、よくできたサーベイ論文を一つだけでも知っていれば、そこから芋づる式に主要文献を全て見つけることができる。必要な情報がどこにあるのかの知見は、専門家に聞けば当然分かるものなので、専門家へのアクセスがあれば不要ともいえる。ただ、毎回専門家に話を聞くわけにもいかないから、自分の事業領域については知っておいて損はないだろう。

当然のように検索能力も高めたほうがいい。特に日本固有の話題なら日本語で検索するだけでいいのだけど、それ以外のものは常に英語のほうが充実しているので、英語での検索練習もしたほうがいい。ちなみに個人的な感想でいえば、調べたい項目が英語のWikipediaにあればラッキーで、そこから芋づる式に情報を探すことができる。


7. 集めた情報の意味を理解し洞察を得ることができる

その次に必要となるのは情報の意味を理解して洞察を得ること。

このプロセスが個人的には課題解決の川中における山場だと思っている。情報に対して人はついつい自分の持っている情報処理の型をはめて物事を見てしまう。それでうまくいく場合も多いのだろうけど、はじめから情報処理の型を当てはめるつもりでいると、何か大切なものがこぼれ落ちてしまうこともある。

先に話したようなフレームワーク等を用いた情報処理の型を使うことは、いわば手で望遠鏡の形を使ってものを見るのに似ている。型にはめることによって情報の解像度は高まるのだけど、その型を用いることによって捨象してしまっている情報があることには自覚的であるべきだ。その捨象されたものの中に、対象理解のためにもっとも重要な情報が入っている場合も(もしかしたら)あるかもしれない。

なので、このプロセスで特に大切なのは、フレームワークを持って集めてきた情報について、単にフレームワークを当てはめるのではなく、虚心坦懐に見つめる姿勢なのだと個人的には思っている。情報処理の型を持ちつつも、場合によってはその型を変える必要があることを覚悟しながら物事に接すること。知的な融通無碍とはまさにそういうことなのだろうけど、なかなか難しい。

そもそも物事を理解するというのはどういうことなのだろう。個人的には、得られた様々な情報を統合させて物事の全体像を知るというのが理解するということなのだと思う。

この意味において、僕は自分自身も含めて未だに人間という生き物を理解できていない。個人的に最も人間をよく理解していたと思うのはドストエフスキーだ。ドストエフスキーに出てくる登場人物の多くは、普通の物語に比べると幾分と倒錯しているように思われる。お金欲しさに小さい娘を売りに出す母親が、その娘の最後の夜に一緒に号泣するといった具合に。ナチス・ドイツで虐殺に加担した人々も一方では思いやりがある人間だった。邪悪な部分と善良な部分を全て合わせてその人なのであって、悪い部分や良い部分だけを切り出すと何かがおかしくなる。 でも、僕たちは往々にして人の一面をクローズアップして、それをその人と同定する。

それた話を戻そう。自分の今までの経験や思考の型をある程度頼りにしつつも、それに依りすぎず、虚心坦懐に物事をありのままに見ること。そして得られた情報を統合して、物事の全体像を知り、そこから得られる課題解決への示唆が何かを見出すこと。これこそが、情報を理解し、洞察を得るということなのだと個人的には思う。


8. 課題解決のアイデアを発想することができる

洞察を得られたのであれば、その次は実際に課題を解決するための方針を打ち出さないといけない。カール・マルクスの言葉を借りていえば、我々は世界を理解するためにここまでの作業を行ってきたのではなく(それは学者の仕事だ、マルクスは哲学者と言ったけど)、世界を変えるために行っている。

ところで、ここでやってはいけないことは、課題解決方針が問題の裏返しになるようなことだ。風邪をひいている人に「熱が上がっているから下げよう」といって冷水風呂に入れるのが荒唐無稽であることは皆にとって明らかだけど、でも実際の世の中にはこのレベルの課題解決案が非常に多い。

洞察が深いレベルで得られていれば、多くのケースにおいては課題解決の方針もある程度固まっている。熱がある・くしゃみをしている・鼻水が出るという現象を深掘りして統合的に理解すると、風邪をひいているという状況理解をできるようになる。そこから打ち手を考えるまではあと一歩というところにある。

が、じゃあ風邪の場合は風邪薬を飲んで安静にする、というのが大抵の解決方針だということを僕たちは経験的に知っているけれども、実際世の中にある問題群についての課題解決方針を考えるためにはまたちょっとしたジャンプが必要な場合もある。

難しめの課題解決においては、現状理解がきちんとできたとしてもなかなか課題解決方針が思いつかない場合がある。それでもずっと考え続けているうちに、何らかのアイデアが思い浮かぶことがある。そして、思い浮かんだあとにそのアイデアを論理的に検証しても、それが確かにいけそうなアイデアであることが分かる。「言われてみれば確かに」といえるようなアイデアを思いつくことをアブダクション(仮説的推論)とよぶ。

これについては「アブダクション」という本がそのまま出ている。ポランニーの「暗黙知の次元」もそれが何であるのかを理解するのに役立つだろう。実務的な本でいえば「アイデアのつくり方」が古典的名作である。科学分野であればポアンカレの「科学と仮説」がよい。

どうやったらこういった能力を鍛えられるのかについて、答えがあれば僕が教えて欲しいくらいだ。観察結果として感じていることは、場数を多く踏み、一つ一つの物事を何度も考え続ける知的忍耐力とセンスが必要なようには思える。ちなみに、このプロセスがうまくいかない場合、再び問いの設定に戻ることになるが、それは決して後戻りしている訳ではなく前進していると自分に言い聞かせること(じゃないとつらい)。


9 . 課題解決のアクションプランをつくることができる

そして、アイデアができたら、それを実行するためのアクションプランに落とし込むことが必要になる。

ここで必要とされるのは、そのアイデアを実行するために誰がいつ何をしないといけないのかを組み立てることができる能力だ。これこそが実務能力だと僕は思うし、官僚組織や大企業においてこれが超絶優秀な人の仕事を見ていると僕なんかはとても真似出来ないなと思う。歴史的な人物でいえば蕭何がそれにあたるのだろう。

こういう実務能力が長けている人を見ていると、論理的思考能力、現状把握能力、想像力に優れている。論理的思考能力は当然のことだとは思うけど、誰が何をすることができてできないのかが分かっているので無理なく人に仕事を割り振ることができるし、既存の技術や制度などについても分かっているので一番効率のよい方法を分かっている。さらに将来にどういった問題が発生するのかを事前に予測しておいて先回りして手を打つことができる。


10. 課題が解決するまでプロセスを遡りアクションを続けられる

そしてアクションプランを作ったらそれを実行することになる。「経営者になるためのノート」で柳井正さんが経営は実行であると言ったように、事業のために必要なことを実行するのに必要なのがマネジメント力だ。 人を動機づけるための人心掌握力やチームワークを強める能力もさることながら、事業遂行をきちんとモニタリングするためのタスク管理の仕組みづくりや、バグだしのための会議体設計などの手際も必要になる。要はこういったものを全て含めて、マネジメント能力というのだろう。

モニタリングの仕組みづくりのための本は世の中に結構ある。これは技能というよりは知識なので、本を読むか得意な人に話を聞けばある程度身につく。より難易度が高いのが人を動機づけるほうで、これに関しては小手先でどうこうなるものではなく、自分自身がきちんとした人間になって一対一で人に向き合う他ない気がしている。

そして、何よりも大切なのがやり抜く力だ。これは執念と言ってもいいのだと思う。このプロセス10の目的はプランの実行ではなく、それを通じて課題を解決することであり、課題解決のアイデアが正しくなさそうなことが見えてきたり、新たな問題が発生したときには、ここまで辿ってきたプロセスをまた遡ってやり直すということが必要になる。これはとてもしんどいことで、そういったことを経験してでも何かを変えたいと思う執念が必要なのだと個人的には思う。


と、ここまで書いてきて思うのだけど、課題解決のこの全プロセスを一人の人間だけで回すのは非効率だと思う。人間は訓練すれば色んなことをできるようになるが、生来の得手不得手があるので、 ある分野については能力の伸びが一定のタイミングで頭打ちになる。

だからこそ、それぞれのプロセスが得意な人がチームを組んだほうがはるかに課題解決の質は高くなるのだろう。ビジョナリー、デザイナー、世話焼き人、社交家、実務家、研究者といった異なる気質・能力を持つ人たちが集まってチームを作ってこそ、素晴らしい仕事を残すことができるんだと思う。

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