日本の思想

引き続き、日本に感じているこの違和感は何なんだろうということを考えていて、少しずつそのアイデアが収斂してきた。たぶん、また色んなファクトを知る過程に変容していくんだろうけど。とりあえず、バージョン0.0ということで。

日本の和って、すごく悪い言い方をすると、「個として自立していない人間一人ひとりが、周囲に自分を当てはめている状態」だと思う。そして、それが社会で規範となっている社会においては、こういうことが普通に生じる。

・リーダーが弱い。どの国際会議に出ても感じるけど、日本の上澄み層は、世界の他の国の上澄み層と比べた時に、明らかに見劣りする(70代〜80代、20代は結構いけてるが)。一方で、リーダー以下層は優秀で、全体としての組織力は意外といけている。大企業では大抵の場合、誰が社長をやってもほとんど何も変わらない。

・組織的失敗において、個人の責任の所在は非常に不明確になる。自分は没個性的に周りに従うという、社会規範を守っているのだから、それは当然と考える。戦争は全部軍国主義のせいになって、そこに加担した自分たちの責任を自らに問う人はほとんどいなかった。今回のワールドカップの事前の乱痴気騒ぎは、全てメディアのせいにされた。

・理屈でなく、予定調和的に物事が決まる。その予定調和的に、空気で決まろうとしているものを、誰かが論理的にやっつけることをひどく嫌う、というか、そういう人は憎まれる。

・異質なものに対する許容性が低い。(個人が強い社会であればあるほど、他人は他人で、勝手にやればいいと思っている)出る杭は打たれる。

・周囲との阿吽の呼吸に従うことで組織が動くので、関連組織間の相互牽制とかガバナンスとかは基本的にきかない。メインバンク制はその経済的な典型。

・自分で決める人が少ない。よって、自分自身の審美眼を頼ってものを決める人がほとんどいない。アーティストは大抵海外で評価されて日本で評価されはじめる。

・意見が全員一致しながら大きく揺れ動く。片方にほぼ全員が振れたあと、いきなり正反対にまた全員が振れるのはザラ。その反対方向に揺り動かすカタリストとなる個人や出来事は確かに存在するのだけど、それは別にリーダーシップではない形で表現される。すなわち、カタリストとなる人は常に決まった人ではない。

・周囲に従って、その構成員が動くような組織は、すっごく流動性が高いスライムみたいなもの。だから、進むべき方向性が外的に定まっているときは、摩擦無くその一方向に流れ込むので高いパフォーマンスを発揮する。だから、国が先進国を目印にして成長していく過程においてはこのタイプの組織は強い。一方で、頂上にたどり着いてしまうと、そこで流動性の高いスライムが完全にスタックしてしまうと同じように、何をすれば良いのか分からなくなる。

唯物論的にいうと、こういう社会意識は何らかの物質的条件によって規定されているはずで、それは何か、ということがまだ分からないところ。一つの仮説としては、天災の多さ。自然災害に直面していると、人間個人の小ささを痛感し、抗いようのない周囲の状況に自分を適合させるのが最適解となる。そういった、自然との関係性が、この社会規範を生み出しているのではないか。


(うーん、まだ練れてないな。しかも、まだ誰かの言ってることの焼き直しレベル)

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