クルアーン 書物誕生

『クルアーン』―語りかけるイスラーム (書物誕生―あたらしい古典入門) 単行本 – 2009/12/22 小杉 泰 (著)

今年29冊目書評。この岩波の「書物誕生」シリーズは単に本の解説にとどまらず、その書物が誕生した時代背景についての記述が多く、学びが多い。そもそも、後で詳しく書くようにクルアーンは本来的には書物ではないので、書物誕生のカテゴリーに入ることに若干の苦しさもあるのだが。

クルアーンは神の言葉で、それは預言者のムハンマドが40歳の頃、山の洞窟に籠り瞑想をしていたときに、神の使者であるジブリール(キリスト教でいうところのガブリエル)によって最初の一説が伝えられたとされる。ジブリールから「読め!」と強要されたムハンマドは、最初自分が精霊に取り憑かれたのではないかと心配したが、やがてそれを神の言葉と信じて、神の言葉であるクルアーンを伝え続けた。

最初ムハンマドは生まれたマッカ(メッカ)に暮らし教えを説いていたが、地元の名門部族であるクライシュ族の迫害を受け、マディーナに逃れることになる(この移動をヒジュラとよぶ)。そして、敵対者との戦争に勝利した後、マッカは無血開城される(630年)。その2年後にマッカへの大巡礼をした後にすぐムハンマドはこの世を去る。

ムハンマドの死に狼狽する人々に対して、その盟友であったアブー・バクルはこう言って信徒たちを落ち着けたという。そして、この時からムハンマド亡きあとのイスラムが確立されることになる。

ムハンマドは一人の使徒にすぎない。彼の前に多くの使徒が逝った。もし彼が死ぬか、殺されたら、汝らはきびすを返すのであろうか。誰がきびすを返そうとも、いささかもアッラーを害することはない。(イムラーン家章144)

どの宗教もそうだが、それが宗教として継続するかどうかはその弟子や朋友たちが創始者の死後に何をするかにかかっている。


言葉による奇跡

クルアーンの翻訳はされているが、正式なものはアラビア語で発音されたものだけだ。時代背景とあいまって、クルアーンはアラビア語と不可分に結びついている。

そもそもクルアーンが神の言葉であると信じられるようになったのは、当時のアラビア世界において詩が大きな力を持っていたことと無縁ではない。ムハンマドが生きた時代の部族社会では詩人が大きな力をもっていた。部族間の武力衝突が起きたときであっても、有能な詩人がいるだけでその部族は闘いを有利に進めることができたという。その言葉の力で敵の戦意を削ぎ、味方の士気を高めることができたからだ。詩人の名声は高く、その詩を覚えて伝える職業さえも存在していた。

そんな言葉の持つ音の美しさと、その言葉が人々にもたらすビジョンにおいて、クルアーンは傑出していたという。実際に、その言葉の美しさのために帰依した人も少なくなかったとされる。クルアーンにおいても、この壮麗な言葉が神業でないのであれば、同じようなものを示してみよと説かれており、それが不可能であることが、この言葉が神の所業であることの疑いえぬ証拠であると説いている。

彼らは(クルアーンが)彼(ムハンマド)の作り話だと言うのであろうか。いな、彼らは信じようとしない。もし彼らが真実を語る者たちならば、これと同じような語りをもたらしてみるがよい。(山章33-34)

あるいは、彼らは(クルアーンが)彼の捏造だと言うのであろうか。言え、「もし汝らが真実を語る者であるならば、これと同じような十章を捏造して持ってきてみせよ」と。(フード章13)

クルアーンにはモーゼの海割りやキリストの病人治癒などの奇跡をムハンマドが見せた物語は存在しない。当時のアラブ世界では、この偉大な言葉そのものが奇跡の証拠だったからだ。

そもそも僕はアラビア語をまだ知らないのだけど、ビートルズを10倍ぐらい偉大にしたアーティストが登場したとして、彼らがその音楽を神から啓示されたものだと主張したら「そうかもしれない」と思うようなものなのではないだろうか。

読み書きができないムハンマドは、神からの言葉を弟子たちに伝え続けた。この神の言葉すなわちクルアーンは、ある時期までずっと口伝しかされなかった。しかし、いかに当時の語り部たちの記憶力が優れていたとしても、口伝を続けていると、様々なバージョンが出てくる。このままではいけないということでクルアーンは書物(ムスハフ)となり、三代目のカリフ(ムハンマド亡きあとのイスラム共同体の指導者のこと)であるウスマーンの代のムスハフが正当なバージョンとなった。その時に他のムスハフは全て焼却されたという。

ムスハフも長い間筆写が主流だった。宗教学者たちもが認める品質の活版印刷によるクルアーンは、1923年に当時のエジプト国王だったファード一世の命でようやく制作されることになる。この「ファード国王版」クルアーンの登場により、ようやく「印刷では正しいクルアーンが作れない」という論調が消えることとなった。


六信と五行

イスラムの基本的な教えは六信と五行に代表される。本書ではそれらについても解説がなされている。

六信とは、(1)唯一の神がいること、(2)その神のメッセージを人間に届ける天使がいること、(3)そのメッセージである啓典があること、(4)その受け取り手である預言者がいること、(5)終末の日がやってきてその時に皆が蘇り審判を受けること、(6)その全てを全能の創造主が定めていること、の6つを信じることだ。

ここでの唯一神はキリスト教の神と同じで、クルアーンに登場する25人の使徒のうち20人まではアブラハム(イブラヒム)やイエス(イーサー)などのような聖書における使徒でもある。どちらも全能の神の存在を信じるという点において同じだが、イスラムでは神の子は存在し得ないという点でイエスを神の子と信じるキリスト教と異なっている。創造主は唯一絶対の存在であり、それに子どもがいるということはあり得ないというわけだ。

五行はムスリムの義務のことで、それらは次のことだ。
・信仰告白:「アッラーの他に神なし」、「ムハンマドはアッラーの使徒なり」と証言すること。ムスリムとなるにはこの言葉を口にする必要がある。

・日々の礼拝:マッカにあるカアバ聖殿に向かって、日の出前、正午過ぎ、夕刻、日没後、夜と、1日に5回礼拝をすること。

・喜捨:財産の一部を貧しい人のために寄付すること。その計算方法も決められており、基本的に必要財産を上回る分のx%として計算される。

・ラマダン月の断食:日の出から日没まで飲食や性的な行為を断つこと。夜明け前と日没後は問題がない。ラマダンの頃にバングラデシュにいたことがあるが、この期間はお祭りのようになる。

・巡礼(ハッジ):一生に一度、イスラム暦12月の数日間の間にマッカを訪問し必要な儀式を行うこと。なお、つい最近がまさにそのハッジの時期だった。

その他、いくつかメモを。
・色々な誤解を招いているジハードは、そもそもは迫害されたムスリムたちがどうしても戦わないといけなかった時に登場したものだ。クルアーンには「戦闘が汝らに(義務として)定められた。それは、汝らには好ましくないものである」と書かれている。

・一夫多妻制は、戦争の結果イスラム共同体のなかで男性が少なくなったことから生じたものだったといわれている。そのためか、クルアーンにおいても妻たちを公平にできないと思うのであれば一夫多妻とするべきではないと戒められている。
 なお、4人が結婚できる女性の上限であるというルールはムハンマドには適用されなかった。また、このムハンマドの最も若い妻であったアーイシャに姦通疑惑が生じたことから、「姦通罪の立証には4人の証言が必要である」というルールが確立されることになる。

・食べ物は自由だが、死肉、血、豚肉、アッラー以外の神に捧げられたもの。ただし、故意もなく法に背く気もなく必要に迫られたものはそれを食べても罪にならない。


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