アメリカの世紀と日本

日本の現代史、特に太平洋戦争から戦後にかけての本については、アメリカ人研究者が書いた本のほうが読み応えがあるものが多い。若干客観的に見られるということもさておき、日本の戦後はアメリカによって形作られたものであるし、資料へのアクセスがしやすいとういのも一因なのだろう。

Japan in the Americal Century(日本語タイトルはいかにも日本での読者向けに翻訳された感がある)は、ジョン・ダワーのEmbracing Defeat敗北を抱きしめて)に次ぐ、個人的には当たりの本だった。

20世紀の初頭において、日本とアメリカは世界における新興勢力だった。どちらも19世紀から急速に力をつけ、20世紀には欧州列強に並ぶ勢力を持つようになった。19世紀におけるイギリスがそうであったように、海に囲まれ、列強らの争いに巻き込まれにくかったというのも大きい。

新興勢力は人間でいうと思春期の青年に似ている。野望と愛国的熱狂に満ち、自分たちの権勢を世界に広げようと躍起であり、国際秩序を作り変えようと企て、軍備を拡大する。世界最大の経済大国になったアメリカと、日露戦争で勝利した日本はまさにそんな状態だった。アメリカは20世紀はアメリカの世紀になると確信していたし、日本は自分たちが指導民族として欧米からアジアを奪取しようと考えていた。

両者とも欧州のような外交経験に長けているわけではなく、老獪な振る舞いはできなかった。そしてそのことが、日米を避けがたい正面対立に向かわせることにつながる。一部の外交通の山本五十六など、幹部の諫言を聞かずに実施された国際連盟脱退や日独伊三国同盟、そしてそれに続く真珠湾攻撃は、国内で反日感情が高まりつつあった米国を、史上まれに見る無条件降伏を求めさせるに至る。

クラウゼヴィッツが説くように、戦争は外交の延長線上にある手段であり武力なしに解決できない状況を打破するものである。目的はあくまで外交上の目的を達成することであり、無条件降伏を求めることの実利的な意義は極めて低い。無条件降伏が求められたからこそ、日本は徹底抗戦し、沖縄、広島、長崎、その他地域で多くの人々が死ぬことになった。ナチスドイツと違い、日本に対して無条件降伏を求めたことの妥当性は今も論争の対象となってる。

アメリカは無条件降伏を受け入れた日本を徹底的に改造しようとした。日本を占領し、軍備を一生不可能にする憲法を打ち立て、教育システムを入れ替えて民主主義をつくること、財閥解体などに取り組んだ。アメリカのイデオロギーを世界に輸出することを本気で信じていたようにもみえる。

当時のアメリカ人の日本に対する理解は、統治者としては絶望的に低かった。統治は統治対象の性格を理解することなしに成立しない(なお、統治下手は日本もそうだったけれども)。また、民主主義は国民自身の手によって達成されない限り根付かない。後に起きた安保闘争も、政治に影響を及ぼした国民的な異議申し立てではあるが、その目的は反戦であり民主主義ではなかった。結果として、日本の民主主義はアジアのその他の国の民主主義と同様、欧米における民主主義とは別物になっている(良いかどうかはさておき)。

朝鮮戦争が始まり冷戦が始まるなかで、この方針は一気に急転換する。日本を再軍備させるための圧力をかけ、企業への経済・技術支援も惜しまなかった。アメリカのおかげで日本は早くからGATTやOECDに早期に入ることができた。

しかし、日本再軍備の企ては極めて有能な政治家である(と僕は思う)吉田茂によって阻止される。吉田はアメリカに押し付けられた憲法を逆手に取り、また冷戦に突入するアメリカが日本の協力を必要としていた事実を利用し、日本が再軍備することを避け、安全保障をアメリカに負担させ、自国のリソースを経済成長だけに集中させることに成功した。戦後における日本の発展は、アメリカの目論見をうまく利用した吉田茂の功績によるところが大きい。この本を通じて、僕は戦後で最も偉大な日本の政治家は吉田茂であると思うようになった。

アメリカがA級戦犯であった岸信介をサポートし、彼が首相になったところで、国民の戦争へのトラウマは極めて強く、後戻りすることはできなかった。安倍政権による憲法解釈の変更により、近年になってようやく日米同盟はアメリカが半世紀以上前から望んでいたものになった。

 

20世紀は、多くの国がアメリカの指導原理である自由と民主主義を信奉し、アメリカの同盟国となることで経済・安全保障上の支援を得るというモデルだった。20世紀を通じてアメリカは世界唯一の超大国であり、多くの国が朝貢した。そして、アメリカの指導のもと、国連、世界銀行、IMFなどの国際機関が作られていった。

そのアメリカの時代はもう黄昏を迎えつつある。21世紀においては、まずは中国、そしてインドが世界の大国となる。両者は日米とは違い覇権国家として長い歴史を持っているが、それでも成長における混乱は避けがたいのだろう。世界が一つの方向性に収斂しない可能性が極めて高くなった。そんな中で日本の外交的な立場も大きく変わらざるを得ない。


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